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日本・仏印の相似形-大川周明氏と陳仲淦(チャン・チョン・キム)氏②一流学者の素顔 ~我が人生について~

日本・仏印の相似形-大川周明氏と陳仲淦(チャン・チョン・キム)氏①一流学者の素顔 ~共産主義について~

 大川周明氏とベトナムのチャン・チョン・キム氏、戦後は其々『右翼の巨頭』とか『日本軍の傀儡』など、意図的におどろおどろしいレッテルを張られ続けてますけど、お二人が遺した遺稿には、ユーモア・センスが溢れてて、その(多分)お茶目な本当のお人柄が垣間見えます。
 大川周明氏が、1932年の5.15事件で禁固5年の刑の判決を受けて入獄した時のこと。⇩ 

…既決囚として豊多摩刑務所に入る時は、在所中に『欧羅巴近世植民史』を書く心づもりを決めていたから、書斎を自宅から監獄に移した気持ちで、約1年有余を実に忙しく且つ有効に過ごした。(中略)
 板敷の四畳の独房には何の装飾もない。着物は夏冬によって厚薄あるが、柿色の筒袖一枚は一組、同じく柿色の越中褌一本、三食は握り飯一個と一菜である。…私が与えられたものは、(河上)博士が報告しているものよりも遥かに粗末なものであった。獄中戯れに詠んだへなぶりの中に下のようなものがある。

 今日もまた、わかめ汁なり朝も夕も、ひとやの糧はつつましきかな
 今朝のかては、野菜にあらで草なれば、馬は喰うべし人は得食わず
 塵箱の、其処の藻屑に似たるかて、何ぞと問えばひじきと答えき

大川周明著『安楽の門』

  特に三番目の、
塵箱の、其処の藻屑に似たるかて、何ぞと問えばひじきと答えき」

 。。最高ですよねぇ、、私は何度読んでも笑って噴き出してしまう。獄中にあってこのユーモア。。😂😂

 チャン・チョン・キム氏も回顧録の中で、1949年末フランス軍から最終通告を受けたベト・ミン政府側の奇襲作戦をこんな風に表現してます。⇩

 あの時にベト・ミンが執った戦略とは、万一勝てば良し、負けたら退避してゲリラ戦と焼土戦を展開するという、要するに住宅を焼き払って焼野原が残るだけという作戦だった。

チャン・チョン・キム著『一陣の埃風』

『負けたら退避してゲリラ戦と焼土戦を展開する作戦』
    ⇩      ⇩     ⇩
 名付けて、必殺!!  住宅を焼き払って焼野原が残るだけ作戦!

 😂😂😂 
 私のベトナム人の夫や友人達もですが、ベトナム人はこういう冗談大好きです。(笑)

 そして大川周明氏は、豊多摩刑務所から松沢病院に収監中、不思議な力の御加護が度々あったと書いてますが⇩

…絶えず病院に私を訪れて、常に私を慰めてくれた数々の友人がある。
 その一人は、私の『近世欧羅巴殖民史』や『回教概論』を出版した元慶応書房主人岩崎徹太君である。私の『古蘭訳註』が昨年立派な装訂で刊行されたのも、…売れないのを覚悟の前で出版してくれた岩崎君の好意によるものである。

大川周明著『安楽の門』

 キム氏も、1945年8月に日本敗戦で内閣は解散、バオ・ダイ帝も退位した後、流浪の暮らしを送り経済的に困難な中で再会した友人が有りました。⇩

 サイゴンでは、私は自分の本を寄せ集めてこれらを再版する出版社を探そうとしていた矢先、チャン・バン・バン氏が訪ねて来た。チャン・バン・バン氏は、フエでホ・タ・カイン氏と一緒に経済省で働いていた人物であり、私も以前からの知り合いだったから、私の余りに困窮した状況を見た彼が、直ぐに纏まった資金を貸してくれて、本を再版出来る出版社探しを請け負ってくれた。
 あの時あの様な危機的状況の時に、チャン・バン・バン氏の様な友人が訪ねて来て再会ができるなど滅多にある出来事ではない。襲い来る幾多の困難と悲しみから、少しでも救われるようにと神が与えた幸運だったのだろうか。

チャン・チョン・キム著『一陣の埃風』

 周明氏も、「松沢病院の病室は、書斎としてまことに申し分なく、そこで私は多年の宿願であった古蘭和訳を成就したことは、叙上の通りであり、そのために私は常に私を加護して下さる見えざる力に篤い感謝を捧げた」とも書いてます。

  さて、キム氏は当時のフランス留学組のエリートで、大川周明氏も高校・大学時代に欧米思想、カント、ヘーゲル、シュライエル・マッハなどからインド哲学へ没頭したそうですが、最終的にはお二人共、自国史を深く知って目覚めた歩みがこれまたよく似ているなと、これも私が思う所です。⇩

…私の精神に喚び起こされた最も大切な自覚について述べて置きたい。(中略)
 …私はこの時まで日本のことにはほとんど興味を持たず、日本歴史は中学校で教わっただけであった。
 …私はさほど困難な仕事とも思わずに(歴代天皇の御伝記執筆)を引き受けたのであるが、着手して初めて至難の業であることが判った。私が古事記・日本記を初め、六国史を読んだのは実にこの時が最初である。
(中略)
 …予期したよりも幾倍かの時間を費やして一応列聖伝を草し終えた頃には、日本人としての自覚が極めて強烈となり、一切の日本的なものに至深の関心を抱く様になった。(中略)
 …私はインド研究によりて取り留めもなかりし世界人から亜細亜人となり、列聖伝の執筆によりて亜細亜人から日本人に復った。

大川周明著『安楽の門』

 チャン・チョン・キム氏の編によるベトナム歴史本の金字塔『越南史略(1920)の序文にも、こんな文章があります。⇩

 歴史とは、単に「過去の出来事を書き留めた本」だというだけでなく、その核にあるものを推量し、昔の人々が興した事業の根源にあったものを考察して、一国の吉凶盛衰とその民族の進歩水準に深く理解を馳せることでもある。 
 主なる目的は、我々の先人たちがどんな生活をして老心老躯を尽くし、現在の我々子孫へ天下に恥じないこの国土を残してくれたのか、国民全てがこの恩を永遠に忘れることなく光を当て照らし続けることにある。 
 国民全てが自国の祖国史を正しく理解することで初めて国家、家族を愛する心が生まれるのである。(中略)
 …過去に我国で編纂された歴史書は、あまり学術的価値が高いとは言えず、自国の歴史書はこれを頼みとできない。かといって自国史を知る国民も多いと言えず、自国の学問は国民が歴史を学ぶことを可能にしない。大人も子供も「書籍を脇に抱え学校へ行く人たち」と言えば、「支那史」を学びに行く人々で「自国史」を学びに行くのではない。詩賦文章と言えば全て支那の故事から来たもので、自国の話など全く言及がない。自国民が自国の話を出した所で、そんな些細な話を持ち出して一体何が言いたいのか?と問われかねない。(中略)

「自分の家のことは怠けてるが、親戚の家の事になると熱心に走り回る。」 
 正しく、この諺通りだったのだ。

チャン・チョン・キム著『越南史略』

 それでもキム氏は、自国の子孫に向けて序文の最後をこう締めくくっています。⇩

 今我らが身にまとっている着物は絹織物ではなく、綿織物だ。当然品質は良くないけれど、とりあえずは寒さを凌いでくれる。言いたいことは、今日我国の青少年誰もが自国史を正しく知れば、自分の祖国に対し引け目など感じることなど決して無い。それが編者の唯一の望みであり、もしその心が読者に届いたならばこの本「ベトナム史略」は、それだけでも有益な本だと言いたい。

チャン・チョン・キム著『越南史略』

 そして、大川周明氏も。

…そして愛読惜かざる薄伽梵歌にある「たとい劣機なりとも己れの本然を尽すは他の本然に倣うに優る。己れの本然に死するは善し、他の本然に倣うことは畏るべし」という鉄則は、単に個人にだけでなく、民族にとりても不磨の真理であることを身に染みて感じた。

大川周明著『安楽の門』

 またお二人共に、人生に於ける富や名声についてはこの様に書いてます。⇩

 さて吾々は、自分の内にある自然(発生的の人性本具の感情、羞恥・愛憐れ・敬畏)に支配されてならぬように、外にある自然即ち「物」に支配されてはならぬ。物が人生に対して有する恐るべき力は、その最も象徴的なる黄金の場合に特に明瞭である。キリストは、「富者の天国に入るは駱駝の針の孔を通るより難し」と言った。富者とは黄金に支配され居る人の意味である。古来いかに多くの人々が黄金のためにその人格を傷われたか。黄金を獲得し且つ所有したいという度に過ぎた欲が、いかに多くの人々を人間ならぬ「守銭奴」に堕落させたか。

大川周明著『安楽の門』

 『好名不如逃名 逃名不如無名』という先人の言葉を思い出す。≪名声を得るより名声から逃れた方が良い、名声から逃れるより無名の方が更に良い≫という意味だ。智慧者の中では、己の無名を維持する術を知る者が唯絶の高位者だと云われるが、私は不用意にも名声の中に己を引き込んでしまったから、これからは逃れる術を模索しなければならない。
 人生に於ける名声と利益とは、我が身を貶めようと仕掛けられた罠へ、我が身を嵌めるための餌なのだ。結局それは幻想であり、何も実態が無い。一度罠に掛かれば、屡々汚れて悪臭が漂う場所に入って行かざるを得ず、そこで目を閉じ鼻を摘んでいるしかない。実に苦しいことだ。

チャン・チョン・キム著『一陣の埃風』

 最後に、お二人が自分の人生を振り返ってのお言葉がこちらです。⇩

 ここに至った我が人生のことを、外部の人が見たら実に物哀しく思うのかもしれない。しかし乍ら私本人は、あれやこれやの仕事の算段に頭を悩ませていた時よりも、多くの興味深いものを見つけることが出来た。古典劇の舞台で踊り刎ねて芸を見せ、そして幕が引かれて舞台を降りた時と同じ心境であろう。ここへ来て一つ所に落ち着いたことで、浮世での出来事や、精神を落ち着けて己の心情の奥底を知ることが出来た。(中略)
 私が通り過ぎて来た道の上には、数多の辛く悲しい出来事があったが、神仏の御加護のお蔭で何処へも道を踏み外すことなくどうにか今日までやって来れたのは大きな幸せだった。

チャン・チョン・キム著『一陣の埃風』

 「安楽の門」とは宗教のことである。この小著は私の宗教的生活の回顧であり、その執筆の由来は下の通りである。(中略)
 …人間はどうすれば安楽に暮らせるか。私はこの問題に答えようとするのである。いや、幸福に暮らせるというよりは、安楽に暮らせると言った方がよい。(中略)
 …私が答えようとするのは、人間が貧富貴賤を問わず、短命長寿を問わず、順境逆境を問わず、どうすれば安楽に暮らせるかということである。私は自分自身の生活を顧みて、甚だ安楽に暮らして来たことを喜ぶ。私の永年の行路は、必ずしも平坦砥の如きものであったとは言えない。それにも拘らず私は、常に心の底に安んずるところあったために、無事長程を踏破して、今日安楽に歩み続けて居る。

大川周明著『安楽の門』

 あの全世界の激動の時代に、アジア植民地解放という信じられない程の重責を担って真に険しく厳しい道程を歩んだに間違いないお二人がお二人とも、最後は殆ど同じことを、最高の言葉を、私達へ残してくれてました。。😊😊😊 

 
 
 

 


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