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日露戦争に見る日本の海賊②-日本勝利の絶対条件『皇家の号令』と『晴れ男』

 先日の記事⇒日露戦争に見る日本の海賊①-対馬沖海戦東郷ターン(大転回)の秘密を探る😀で、、

 なぜ、伝説の『東郷ターン』が出来たのか??というワタシの素朴な疑問をこの様に深堀して見ました。

船を操舵していた水夫衆=『三浦水軍の末裔』
・艦上の大砲衆=『雑賀衆の末裔』

 これなら”辻褄が合う!!” 。。。しかし、これだけではまだワタシを納得させることはできません。。(笑)

 ベトナムのクオン・デ候もインドネシア、マレーシア、フィリピン等の独立の志士達も、戦後みな一様に”日露戦争での日本の勝利に衝撃を受けた”と回想して居るのです。当時如何に堅固な白人種によるアジア奴隷支配が敷かれていたか。。。
 正に、”奇蹟”、、、、でも、”奇蹟”を呼ぶには当然それなりのもっと更なる秘密があった筈です。⇩ 

マダガスカル島の赤崎伝三郎
 
 …明治37年(1904)1月2日、赤崎夫妻が上陸したディエゴ・スアレズは、人口一万四千人、マダガスカル島北部の要港であった。
 …この年の2月10日、日露戦争が始まった。遠い故国では、有史以来の大国難に直面し、国中が湧きかえっていた。
 故国日本を離れて地球を半周、放浪一年有余の後、ザンジバルからフランス船で二日二晩、ディエゴ・スアレズに上陸し(中略)、夫妻はバーを始めた。…相手は主にフランス植民地軍の兵隊連中。

北野典夫著『天草海外発展史』より

 そう、あの時期にアフリカ東南沖マダガスカル島に天草出身の日本人赤崎伝三郎(あかざき でんざぶろう)という日本人が居り、そこへ丁度ロシアのバルチック艦隊がマダガスカル港へ入港して来ました。⇩

バルチック艦隊の動向を打電 

…明治37年12月29日のことであった。日英同盟によって、イギリス経営のスエズ運河を通過出来ず、遠回りをして来たのである。フランスはロシアの同盟国だから、ディエゴ・スアレズでは艦隊の石炭積み込みが許され、(中略)。戦艦8隻、巡洋艦9隻、装甲海防艦3隻、駆逐艦9隻、運送船、病院船等の特務艦9隻、合計38隻の大艦隊である。
 それを見て驚き、赤崎伝三郎の体内に、日本人の血が滾り返った。
(中略)
 伝三郎は、印度のボンベイ日本領事館宛てに、バルチック艦隊30余隻の艦種と隻数を、ローマ字綴り日本語で打電した。

北野典夫著『天草海外発展史』より

 バルチック艦隊が入港、すると赤崎伝三郎氏は即座にバルチック艦隊陣容詳細を『在ボンベイ日本領事館』へ向けてモールス信号を打電しました。翌年この艦隊が出航した『2月17日』の情報も、在ボンベイ付武官だった東乙彦(あずま いつひこ)陸軍砲兵少佐にきちんと届き、このことで戦後日本海軍から赤崎氏へ感謝状が送られたそうです。

 歴史通説では『日英同盟』でイギリスがバルチック艦隊情報を流してくれたお蔭、といいますが、タイムリーさと正確さ、信頼度に措いてこの『赤崎情報』には適わないでしょう。
 日付を整理すると、東郷元帥の日本海軍は翌年早々にバルチック艦隊陣容の詳細を掴んでいた訳です。そして、艦隊のマダガスカル島出航日『2月17日』、対馬沖海戦は『5月27-28日』なので、、、

 えー、、半年近くも余裕があったんか??💦💦😑😑😑

 と、それなら事前に何度も作戦会議を開き、『T字戦法』で大技(東郷ターン)』を出す作戦を練りに練り上げ、ついでに対馬沖で何度も実地練習出来ていた可能性も有るんじゃないかしら。だって海は、特に沖合は暗礁や微妙な潮の流れや風の角度があり、それを知らずに卓上で立てた作戦は功を奏さないケースが多い。(←ワタシは海育ち。。😅😅)

 なので、超タイムリーな『赤崎情報』東郷ターン成功要素の一つに間違いないと思うので、『最強コラボ』に追加したいと思います。😀😀⇩

コラボ1船を操舵する水夫衆=『三浦水軍の末裔』
コラボ2)艦上の大砲衆=『雑賀衆の末裔』
コラボ3)マダガスカル島からの赤崎情報=『九州・天草海賊の末裔』

 えーー、さて、そして実は、ここで最も重要な事に気が付きませんか、、それは、、、

 『号令は誰が掛けても良かったのか?』

 という問題。だって、いくら御国の一大事だ!と云っても、”お受験戦士で東大から公務員”みたいなガリベン職業海軍大将、”おいっ、それっ、ターン(転回)だ!! 命令だぞ!!”と金切り声を張り上げられた所で、、だれが、”はい、はいっっ!!”と素直に動くかっ?と考えたら、、、
 。。。絶対に、、、有り得ないですよね。。(笑)😅😅😅

 そう考えて、もう一度先の記事に戻ってみます、⇩

 会津衆⇒「文治5年(1189)の奥州合戦での戦功により、三浦大介義明の子・佐原十郎義連(よしつら)が源頼朝から会津4郡(会津・大沼・河沼・耶摩)を与えられ、」
 
 雑賀衆⇒「古くは源平合戦のころ、舟を持たぬ源氏に味方した雑賀党は、壇の浦まで奮闘。源頼朝が鎌倉幕府を開いた折、 雑賀党は源氏に従って鎌倉周辺へ。その多くは、三浦半島に落ち着いた」

 ではでは、『東郷平八郎大将』とは??⇩

 「東郷氏-
  祖は
桓武平氏秩父氏で、相模国渋谷荘を領し渋谷氏を名乗った一族。」

 と、ここ⇒東郷氏 (薩摩国) - Wikipediaにお名前が見え、祖は『桓武平氏』と。それで、ネットで見つけた『桓武天皇の系図』がこれ。⇩

 

https://ka-ju.co.jp/column/7/

 おおっ、右手一番下に『清和源氏』も見えますね、みんなご親戚!ならば、日露戦争対馬沖海戦・奇跡の勝利の最大の秘密とは、⇩ 

 4)号令者が天皇家の血統者

 これが、日本が度々歴史の中で”奇蹟”を起こして来た最大・最強の秘密であり、実は226事件で逮捕・死刑になったあの頃のカリスマ御2人も同じことを訴えていました。⇩
 

巻一  国民の天皇 

≪憲法の停止≫
 天皇と国民全員が一丸となり≪健全国家の改善策≫の根幹を決定する目的の為に、天皇は≪天皇大権の発動≫を行う。これにより憲法を3年間停止し、衆議院と貴族的参議院の両院を解散して全国に戒厳令を布く。
 (中略)
≪天皇の原義≫

 天皇は国民の総代表であり、国家の根柱である原理。この理義を明らかにする為、神武国祖の創業と明治大帝の革命に則って、天皇を補佐する器を広く天下に求める。

”令和だよ、日本改造法案大綱、行ってみよう!”〔1〕現代語訳篇😅

 我が国のいわゆる無産労働階級は、極度に虐げられてその生活巳に死線を越ゆる奴隷の位置にあり。そは国民の大多数なると共に、彼等は一部少数の特権階級資本家のために天皇の御恩沢に浴し得ざる窮状に沈淪せり。
(中略)
 …国民の大多数を占むる無産労働階級と天皇とは離るべからざる霊肉の関係にあるもの。そが敵は日本を毒する外国と国内に巣くえる特権階級資本家どもなり。

西田税(にしだ みつぎ)とベトナム抗仏志士

 ね、、、😅😅😅
 日本という国柄は、正真正銘の亡国危機にはもうガリベン官僚や御用学者や売国政治家や裏金議員ではハンドリングは無理なんでしょう。
 平和時と違って、もう能力云々の問題じゃあない。国家の非常事態下では『天皇と国民の間の中間管理職』は無用の長物、全員引っ込んで貰う必要、少しの間ご退場を願う必要がある、”だってそれが『日本の歴史』なんだから仕方ないジャン。。💦” …という意味だと思います。

 それでも、残念なことに、、、
 226事件が起こされ、御2人には不当で強引な死刑判決が下された。そして世界大戦に突入し、日本史上で初めて退場を承知しなかった”彼等”が代わりにこれを考え出したかと。⇩

 

水木しげる『コミック 昭和史 第3巻』より


水木しげる『コミック 昭和史 第3巻』より

  。。。😅😅😅😅😅😅。。。

 結局は、日本史上始まって以来の大敗北で幕を閉じました。。

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 話を戻しまして、ワタシが考えた『対馬沖海戦・日本の奇跡の勝利を起こした秘密』とは、⇩
 
1)船を操舵する水夫衆=『三浦水軍の末裔』
2)艦上の大砲衆=『雑賀衆の末裔』
3)マダガスカル島の赤崎情報=『九州・天草海賊の末裔』
4)直接統率者(号令者)東郷平八郎海軍大将が、天皇家の血統者

 この『最強のコラボ』が揃った所へ、本当の”奇蹟”が起こったとワタシは思います。”奇蹟”とは、人力の及ばない『当日の天候』のこと。⇩

 『天気晴朗ナレドモ波高シ』

 これは『T字戦法』を考案したとされる作戦担当参謀秋山真之(あきやま さねゆき)海軍中将が大本営へ打電した有名な一文ですが、、
 
 秋山参謀は当日、本当に神の御加護を感じた筈です。多分、作戦必勝の最後条件は、⇩

 5)当日の天候が奇跡的に見通しの良い快晴に恵まれ、転回(ターン)を助ける十分な高さの波があること。
 
 これだった筈です。だから、多分、
 ”よし!!作戦実行に最高の天候だ!! 大転回(ターン)やりますよ!!”

 あの有名な秋山参謀の大本営への一文は、実際はこんな意味じゃなかったかと。😀😀😀😀



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