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【第1章】僕は、いつからゲイだった?

幼稚園の頃、女性の先生が「男の子は女の子を、女の子は男の子を好きになるものだよ」と教えてくれた。

クラスの仲良しの女の子に対する親しみが、好きというモノなのだろうと解釈した。

だから僕は幼稚園の頃にゲイだった自覚はなく、ごく普通に女の子が好きな男の子だと思っていた。

ゲイだと自覚したのはもっと後、中学校で吹奏楽部に入ってから。

中学1年生の後半から徐々に意識していったのは、1学年上のS先輩。

成績優秀な優等生タイプで、ちょっぴりカタブツ。だけど時々見せる、はにかむ笑顔がかわいい温厚な性格。

中学生なのに紳士的。

背格好はすでに成人並みで、ガッシリした体型が見るからにスポーツマン。

運動オンチのうわさは無かったから、勝手に文武両道のエリートだと思ってた。

何年ぶりだろうか、最近そのS先輩を某テレビ番組で見かける機会があった。

ちょっと老けたかな?当たり前か。30数年ぶりだもんな。

髪型すら変わっていないところがS先輩らしい。しゃべり方も紳士的なまま。

だけど決して不器用な人間ではない。

イマドキの中学生ならともかく、当時すでに彼女がいたからだ。

その彼女は同じ吹奏楽部のT先輩。

後輩想いの優しい先輩で、人間関係で落ち込むことの多かった自分を、よく励ましてくれた。

そのS先輩の彼女であるT先輩に、部活の帰り道「S先輩と付き合ってるんですよね?羨ましいな~」と言ってみたことがある。

一瞬「えっ?」って顔をされたけど、「だって恋人同士なんですよね?羨ましいです」と返したら、変わった言い方をするねって笑われた。

ホントは精一杯の宣戦布告だったんだけどね。

S先輩と部室で二人きりになる瞬間が何度かあって、その度にドキドキしたことを思い出す。

今なら・・・と。

もちろん奪い取るなんてことは出来なかったけど、生まれて初めて男の人が好きになった気持ちを、どこかで吐き出したかったんだ。

だけど最後まで告白することはなく、S先輩の卒業で片想いはジ・エンド。

そもそも好きになった理由は、中学生なのに彼女が居るとウワサで聞いたから。

ブサイクじゃないけど、特別ハンサムでもない。

そんなS先輩に大人の色気を感じたことで、自分の恋愛感情が生まれて初めて揺さぶられたのだ。

同じ町内だから時々S先輩と会うこともあったけど、最後にしゃべったのは先輩が大学に進学した直後だったかな。

中学卒業からおよそ4年経ったら、こちらのことをかなり忘れてしまったようだ。

名前が出てこないばかりか、どちらさま?という目線を一瞬見せたから。

部活のあいまに話し掛けてはいたけれど、やっぱり印象が薄かったんだ。ちょっぴり後悔。

徐々に増していた「自分はゲイかも?」という戸惑いが足を引っ張って、ほかの部員のように親しく話せなかったのだ。

自分がゲイだとハッキリ自覚したのは、S先輩が卒業した後。中学3年生になってから。

ゲイというだけでも辛かったけど、それ以上に追い詰められたのが「いじめられる原因がまた一つ増えた」ことだ。

いや、正確に言うなら「いじめられる原因が一つ元に戻った」だ。

長年の軌道修正でやっと「オカマ」と言われなくなったのに、まさか正真正銘のオカマ(ゲイ)だったとは。

しかも今回はハッキリと、女性に興味がないことが明確になってしまったのだ。

5月のとある土曜日の午前中、卒業したS先輩が部活に顔を見せた。久しぶりの会話に尋常じゃない嬉しさが込み上げた。

誰に対しても抱かなかった、激しいときめき。

<T先輩とは続いてるの?><新しい彼女はできた?>とめどなくあふれ出てくる言葉を飲み込むのに必死だった。

その日は市内の特別支援学校へ、我が吹奏楽部が慰問演奏にいく予定があった。

それに合わせて卒業したばかりの先輩数人が、見学がてら応援に駆け付けてくれたのだ。

大きな楽器を運搬用トラックに積み、持ち運べる小さな楽器を持った部員達とともに、学校がチャーターした乗合バスに乗り込んだ。

S先輩が乗った直後に。

うっかり楽器ケースに入れ忘れた、楽譜ファイルを片手に持ったまま。

数人の部員と話し始めたS先輩の目の前に立ち、楽しげな高校生活に耳を傾けた。

続々と乗り込む部員。徐々にすしずめ状態になる乗合バス。

どんどんS先輩の顔が近くなる。やばい気まずい。

発車の合図とともに前方へ振り向くと、後ろ手にした楽譜ファイルを持つ手の甲に、かすかにS先輩の股間が当たる。

えっ!!

もしかして到着するまでこのまま!?

もっと触りたい!! でもそんなことしたらS先輩に失礼だ。

それだけじゃない。わざと触っていることがバレたら口を利いてもらえなくなる。

到着までの約20分間、ぎゅうぎゅうになった乗合バスで、揺れるがままに身を任せることもできず、必死に吊り革につかまった。

このことがあって、二次成長期特有の同性への憧れじゃないことがハッキリした。

自分の身体の変化が、同年代の男性と一緒なのか、という探究心があったわけでも無かった。

そもそも女性に対して、もっと身体を知りたいという妄想をしたことが無かったのだから。

幼稚園の頃から、なぜか女性を性的な目で見てはいけないと、誰に教えられたわけでもないのに心に誓ってきた。

エロ話に興じる同級生を横目に、全くの無関心を装ってきた。

だけど無関心を装うまでもなく、本当に女性に関心が無かったのだ。

なぜそうなってしまったのか、当時から全くわけが分からず長年の謎だった。

なぜ女性を神格化し、性的な目で見てはいけないと誓ったのか。

あまつさえ、女性になろうとしていた記憶すらある。

だが近年になってHSP(繊細な人)という言葉を知り、解決の糸口が見えてきた。

特に2020年12月から2021年1月に掛けて、今まで点と点だった記憶の断片が、ことごとく線で結ばれるようになり、ほぼ全ての謎は解明されたと言っていい。

4歳~6歳に掛けて通っていた幼稚園が、自分自身の謎を紐解くポイントになっていたのだ。

次回はその頃を中心に、記憶のスポットライトを当ててみようと思う。

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