ワクワク。心トキメク。上代。
ふと回顧したことを忘備録として記そうと思います。
小豆島へ移住する前に住んでいた場所では、ソウルメイト、ツインソウルの友人と近場に住んでいたこともあって、頻繁に会うことがありました。
そのソウルメイトは、わたしより8つ年上で、まあ、お姉ちゃんという感覚で接していましたが、今にしてみれば、手のかかるわたしという子どもの世話を焼いてくれた懐の深いお母さん的な人です。
考えること、ハマるツボ、興味、趣味、主義、思想などが完全に一致していたので、一緒にいてストレスを感じることは一切なく、いつ会っても、うん、うん、そうだよね、と同じ波動=vibrationの会話をエンドレスに続けていました。
いわゆる小物製作を生業としていて、時より百貨店のイベントに出展することもある個人事業主です。自ら資材を問屋へ仕入れに行き、自ら製作、販売、接客、梱包、などを行います。わたしもスピリチュアル系のヒーラーとして生活を始めた当初は、天然石の仕入れ先を紹介して、連れて行ってくれました。
そういうわけで、モノの原価(下代)を2人とも知っているのです。そして、販売する価格(上代)も設定しています。
いわば、利ざや、利益については、それこそ、上代の設定次第になるわけですが、下代を知っている以上、闇雲に高い価格に上代設定するのは、とても気が引けました。
2人して『あーぁ。価格ってなんだろう。価値ってなに。なんの価値にどれだけのお金を払うの?』と常々疑問に思い、百貨店のイベントの撤収後、小洒落た女子会専用のカフェでお茶しながら、あれこれ懊悩煩悶することが多々ありました。
まぁ、話がポンポン飛んで、脈絡のない方向へ流れていく女子の会話世界なので、このテーマについては、結論らしきものが出た試しはありません。
それでも、記憶の片隅に残っているのは、「多分、価値とか価格っていうのはさ、その人がワクワク、心がトキメクものなんだよ。」と半ば酔っ払いながら、投げ遣りな気持ち、そして、自暴自棄な気持ちも込めて、その話題を2人してさらりと流したことがありました。
そう。たとえいくら私が、「この食べ物は、添加物まみれで、不自然すぎるから、買うに値しない」と言っても、他のひとは「この濃い味つけが、ビールを飲むにはたまらなく最適」というのならば、その食べ物は、その人にとってココロ踊らせる価値あるものであり、その人の払えるだけの価値にお金を出すのです。
なので、全ての人に一律に価格を設定するのは、ほぼ不可能であり、ターゲットを絞った上で心を鷲掴みにする価格を設定するのがmore betterなのでしょうね。(2人ともYMO好きなので、細野晴臣さんの「この次はmore betterよ」のセリフが好き。英文法的には間違えでしょうね)
価値とか価格は、ひとそれぞれ。価値がわかる人は、惜しまずにそれに見合う対価、価格にお金を払います。
全ての人にストライクになるような価値はありませんし、そんな価格設定も不可能でしょう。
どれだけ自分の軸がブレないで生きているか。その信念が、上代設定に反映されるのではないか。と、人生下り坂のわたしは小豆島の穏やかな波動の中、ふんわりと感じています。
他に流されない芯の強さ。でも、折り曲げられないようしなやかさも持ち合わせること。
きっと二十年くらい昔の自分に言い聞かせたら、理解されずに猛反発をくらうような解答です。それだけ人生の酸いも甘いも経験して、老いたということでしょうね。
あー。また女子会しながら、終わりなき話をしたいなぁ。と台風接近前の小豆島で思ったりするのです。
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