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怖い(ショートショート)
小さいころからずっとそうだった。何かと奇怪な事に巻き込まれてきた。そして、それは今も変わらず続いている。
初めて見たのは祖父だった。夜中に目が覚めて、布団から起き上がろうとしたとき、目の前には祖父がいた。白装束とか着ているのかなーなんてぼんやり思ってたんだけど、意外にもいつも着ている和服姿で登場した。
初めて見た時は驚いた。確か5歳くらいだったと思う。祖父は優しい顔を浮かべて、僕を見るなり小さく頷いた。そしてゆっくりと、僕の前から消えたのだった。
これをきっかけに、僕の周りでは不思議な事が起こるようになった。
夢の中に、当時大好きだった隣の家のお姉さんが出てきた。ニコニコと素敵な笑顔で僕の腕を引き、花畑のようなところを走るのだ。僕はお姉さんの少し後を追いかけるようにして走った。しばらくすると、お姉さんの腕が消え始めた。お腹、太もも、膝、足。歩みを進めるごとに順番に身体が消えていく。最後はとうとう身体が消えて、気づいたら川の前に立っていた。さっきまでそこにあった、包まれるような柔らかい温かさが消え、いつの間にか赤黒い空と凸凹とした砂利道が続いていた。急激な怖さに襲われた。そして、遠くからこちらに向かってくる黒い影に身体を飲み込まれた。大きな声を上げ、目を腕で覆う仕草をしたところで、汗をかきながら目を覚ました。
その日、僕の大好きだったお姉さんは、家の中で静かに亡くなっていたらしい。
都市伝説は迷信だと思うだろうか?
もちろん全部が真実だとは言わないけれど、中学生のころ「メリーさん」に遭遇したことがある。買ってもらったばかりの携帯に知らない番号から電話がかかってきた。
「私、メリーさん。今、××駅にいるの」
この頃には、あらゆる出来事が起こりすぎていて、僕はもう、たいていのことでは驚かない体質になってしまっていた。悪魔に身体を乗っ取られそうになったので、とりあえず曹洞宗のお寺まで悪魔を引きずっていった事もあった。また、生前ひどい目にあって恨みを持った女が、僕の勉強の邪魔をしてくるので、全力でビンタして追い払ったりもした。
メリーさんなんて、実際に遭遇したら怖いのかもしれない。ただ僕からすれば、インディーズデビューとメジャーデビューの差くらいしかない。いつも出会うそれらよりも、全国的に名が知れている程度の存在でしかないのだ。
「途中にコンビニがあるだろう。そこでお茶を買ってから来てくれ」と僕は返答しておいた。
「・・・・え?」
メリーさんも初めてだと思う。これから呪い殺しに行こうと思った相手から、急に買い物を頼まれる経験なんて。逆アップ以外の何物でもないだろう。
お茶を買ってこなかったメリーさんを、自分の部屋に入れることは無かった。いきなり電話指摘、勝手に部屋に上がろうとするのに、手土産の1つも用意できないなんて非常識な奴だと思う。
ノックがすごくうるさかったので、僕の部屋にたまたまいたメンヘラをそそのかして、逆に呪いをかけてやった。メンヘラ×あの世=災悪だ。これ以降、僕の前にメジャーどころのそれらが現れることはなくなった。
そんな僕も大学生だ。大学が家から遠い場所にあるもので、この春から1人暮らしをしている。1LDKで、大学まで徒歩12分。駅もコンビニも近いから、僕としてはとても満足している。これまで、ありとあらゆる超常現象を体験した結果、向こうでは僕のうわさが広まったのかもしれない。大学に入ってからというもの、僕に対してちょっかいをかけてくる者はいなくなった。
僕からすれば、こういう存在は、生身の人間よりも扱いが簡単だった。奴らはすでに思考や感情が止まっている。複雑な考えや思想に支配された人間とは違い、現世界にとどまり続ける理由は、念とか想いでしかない。課題が明確だからこそ、対処がとても簡単なのだ。だから、出来ることは決して多くない。
とはいえ、出てこないのならそれに越したことはない。基本的に僕は1人でいたいのだ。だからここ数日は、本当に穏やかな日々を送ることが出来た。この日々がずっと続いてくれれば最高だ。それ以上のことは、特別何かを望んだりはしないのだ。
「大変申し訳ございません。実は二重契約だったことが判明しまして・・」
さようなら。平穏な日々。
僕の借りている部屋が二重契約になっていると不動産から連絡がきた。僕には何の関係もないが、裁判やらなにやらが色々あって、この部屋から速やかに出ていかなければいけなくなってしまった。
不動産屋は1か月以内に同じような条件を探すと言ってくれたが、1週間経っても2週間経っても、結局部屋は見つからなかった。
「本当に申し訳ございません。なんとしても新しい部屋を探します。それで・・・」
不動産屋が僕のもとへ菓子折りを持って訪れた。どうやら、代わりの部屋がなかなか見つからないらしいのだ。僕としては、あと数日でこの部屋を出ないといけない事になっている。
「それで?」と僕は聞き返してみた。
「あと1か月だけ猶予を頂きたいのです。その間、代わりにコチラの部屋に住んでいただけないでしょうか?」
不動産屋は部屋の間取りと写真、パンフレットを僕に見せてきた。
3LDK、風呂トイレ別、7階建てマンションの4階、日当たりも良好。
明らかに今の僕が住んでいるアパートよりも高級なマンションだった。おまけに、僕が通っている大学へは徒歩15分で行けるため、アクセスもかなり良いと思う。
「家賃はこの家と同じで大丈夫です」
「なるほど」
条件としては悪くなかった。幸い、部屋に物が少ないおかげで、引っ越しも自力でなんとかなった。つまり、1か月だけにせよ、今までと同じ出費で少しだけ高ランクな家に住むことが出来るという事だ。片付けや荷物まとめなどが少々面倒だということを除けば、むしろ良い提案だと思う。
「いかがでしょうか?」
大きなヘマをやらかしたことを負い目に感じているのか、不動産屋はものすごく謙虚だった。
「分かりました」
面倒ごとに巻き込まれたのは事実だが、目の前のこの提案は決して悪い案ではない。僕はとりあえず、1か月間だけこのマンションに移り住むことを承諾した。
「よかった。ありがとうございます! それと・・・」
営業なんだから、もう少しテンポよく話した方がいいのではないかと思う。不動産屋はまたしても、ぼそぼそともったいぶった感じで何かを言い出した。
「この部屋、条件は最高なんですが、1つだけ。夜は絶対に外出しないでください。外出さえしなければ問題はありませんので」
承諾してから条件を後出しするのはよくないと思う。夜に外出してはいけない? 近所にヤクザでもいるのだろうか?
「なるほど、分かりました」
「ありがとうございます」
僕は、それも含めて再度了承した。そうした理由は2つある。1つは、そもそも僕は夜に出歩いたりしない。遊ぶような友達もいないし、基本的に家にいたいのだ。もう1つは、僕の体験だ。先ほど、ヤクザが近くに住んでいるのか?と仮説を立てたけど、普通の人ならもう1つ、もっと身近でもっとありがちな、もっと怖いと言われていることを想像するだろう。
そう、事故物件だ。
これだけ好条件がそろっているのに、そもそも部屋が空いているなんておかしい気がする。その上で、夜に出歩いてはいけないという事は、外、あるいは玄関前に何かがいる、何かがあるという事だ。この場合どう考えても、ヤクザより怪奇現象を疑うだろう。この部屋は、高確率で何かしらの怪奇現象にさらされる、あるいは過去に、そういう事例があった。だからこの不動産屋は、夜は出歩かないでといったのだと思う。
普通なら嫌がるのかもしれない。だが、僕にその必要はない。むしろ僕は本気で、事故物件よりもヤクザの方がちょっとだけ嫌なのである。事故物件なんて、僕からすれば実家と同じだ。実家の僕の部屋には、あらゆるものが集まった。本当に迷惑だったのだが、ひっきりなしに色んな奴らが出入りしていた。いないものとして扱う事も可能だし、いたとしても適度な話し相手くらいにしか思わないのだ。
僕はさっそく引っ越しの準備をした。夢のマンション生活だ。良い機会だから全力で堪能させてもらおうではないか。
部屋はすごくきれいだった。深緑のおしゃれなドアを開けると、広めの玄関が出迎えてくれた。フローリングの廊下にはワックスがかかっていて、うっすらと僕の顔が映った。右側に備え付けられているクローゼット式の下駄箱も、広いのにシュッとしていて、とてもスムーズに見えた。
廊下を進むとリビングだ。曇りガラスがシンメトリー上に配置されたドアを抜けると、20畳くらいの部屋が待ち構えていた。べランドに通ずる大きな窓は、必要な日の光をふんだんに吸い込み、その結果、この大きな部屋に明るさをもたらしている。キッチンはモダンなコンパクトキッチンだ。コンパクトキッチンにすることで、リビング全体に広さを与えている。全体的にクリーム色をベースにしたおしゃれな部屋になっていて、平穏かつ幸せな生活を予感させた。
リビングへ通ずる廊下の途中には2つの扉がある。左側はバスルームで、右側はトイレだ。リビングから行くことが出来るもう一部屋は和室になっていた。
誰がどうみても、大学生が済むような部屋ではない。
「こりゃすごい」
思わず声が漏れてしまった。
確認したのだが、この部屋には何もいなかった。僕が調べたのだから、間違いないだろう。こうなると、夜に出歩いてはいけない理由が、本当にヤクザや暴力団なのではないかと思う。巻き込まれるのはごめんだし、そもそも外に出る用事もないので、1か月間は静かにしていることにする。
部屋の片づけを終え、一息つくことにした。僕はリビングの真ん中に腰をおろした。そして、慌ただしかった引っ越しまでの出来事を振り返る事にした。
しばらくすると異変が起きた。バスルームから変な音が聞こえるのだ。面倒だった僕は、しばらく無視を決め込んだのだが、やがてその音がうるさくなり、ついにバスルームを見に行った。
顔から血を流した髪の長い女が、バスルームの壁を叩いていた。髪がくるくると巻かれているのが気になった。
「何か御用?」
目が合い、こちらに気づいた女性が、僕にこう話しかけてきたのだった。
「うるさいから、壁を叩くのをやめろ」
「お前、私が怖くないのか?」
やれやれ、さっきまでいなかったはずなのに、いつの間にこいつは入ってきたのだ?
「怖い? そんなわけないだろう」
女性は恨めしそうにコチラを睨んでいたが、僕の物言いに対して目を見開いたのだった。
「それ以上壁を叩くというのであれば、前世以上の苦しみを与えることになる。よく覚えておくんだな」
僕の背後から溢れる禍々しいオーラに気づいた女性は、壁を叩くことを止めて姿勢を正した。それから2度と、壁を叩くような音はしなくなった。
僕はミスを犯した。引っ越ししてきたのだから、当然結界を張っていない。どうりで、僕の周りをあいつらが徘徊出来るわけだ。僕は部屋の周辺に結界を張った。これで、奴らが出てくることはないだろう。
その日の夜、うぅぅぅ・・という唸り声のようなものが聞こえた