自分は果たしてカサンドラになれるのか。
決定的なことを言うと、僕はまだパートナーの病気が何なのかがわからない。
ただのモラルハラスメントの心の持ち主である可能性もある。
寛解期が長めの軽い躁と、うつ期を繰り返していることも否めない。
突然意味もなく攻撃されるのだから某ミサイルかと思う。
大人の発達障害をもっているかもしれないので、以下のことが起きる。
パートナーが発した言葉
◎明るい未来のための素敵で優しい良い言葉
◎ナイフのような酷く悪意に満ちた言葉
発言自体の記憶を喪失し、都合良く書き換え上書きしているのが僕のパートナーである。
若年性の認知症なのかもしれない。
症状をネットで診断すると「認知症ケアとは」と出てくる。油断ができない。
薬も飲んでおらずカウンセリングも受けていないので、パートナーについて証明できる目撃者は僕一人だけだ。
僕の記憶と証言でパートナーの病名が決定するであろうプレッシャーに数週間押しつぶされそうになる。そう、つらい。
正直言うと、つらいのだ。
パートナーのご機嫌を取ることに必死でご機嫌斜めだったのを、まっすぐにしたところでまたすぐ別方向に捻じ曲がるから困ったものだ。亜熱帯バナナなのか。
そのうちにパートナーのご機嫌斜めになる頻度は低くなりそれは喜ばしいのだが、機嫌をそこねる理由のハードルまでもグッと低くなったため怒りの琴線に触れないように更に気をつけることになった。非常に苦しい。終わりなき棘のある道だ。
僕は人生を通して暴言を浴びてきた。
仕事においても、身近な人との日々の中でも。
ただ歳を重ねて、いちばん近くにいる大切なパートナーから浴びるのはやはり辛い。いたたまれない。
僕のような顔色を伺う人間を嫌う種類の人間が一定数いる。
それがたまたまパートナーであったことは我々の中で1つだけある失態だったのかもしれないと思い始めている。
「人を怒らせるプロ」認定をパートナーから授与されましたー。
これって新しいパートナーシップかな?
さらに、僕が密かに楽しみにしているパートナーとの未来のことも、パートナーの手によりぶっ壊されました。
無法地帯。ご愁傷様でした僕。
例えば、風のように空気のように突然無の状態で僕が消えたら、パートナーはどうするのだろう。
少し考えた結果、人の心の痛みに気付かず自己愛に満ちた人なのだからやはり何の感情も抱かず日常をこれからも送っているのだろうなという結論にいたりました。
そして逆の立場で考えたら、突然失踪されたくないなと強く思うので。
人にされて嫌なことは絶対しない主義が勝ち今日に至ります。
生きてるだけで良いのかもしれません。
この数日あまり体調が良くなく、健康診断も精密検査が必要であるそうなのだが、僕はこの虐げられる環境下では長生きできないし、長生きしたくなくなっているので望んで限界まで無で己の魂を信じて駆け抜けようと決意しました。
ではまたしばしのお暇をいただき、気まぐれでnoteに戻ってこようとしています。その時にはカサンドラに近づけているでしょう!
その日まで
adiós