恋愛リアリティショーが見てられない
恋愛リアリティショーは私の幼少期から存在し、初めて視聴したのは「あいのり」という番組でした。
当時は小学生だったため、純粋に楽しんで視聴することができましたが、大人になるにつれて、この番組の撮影方法や音声の収録方法などがどのように行われているのか疑問に思うようになりました。
本当に日常は度々目紛しく波乱が起こるのでしょうか。
大人になったらリアリティショーで楽しめない
恋愛リアリティショーは、その本質はショーであり、リアルさというものは曖昧な位置にある作品といえます。
私は映画や小説、ドラマをはじめとする創造性に感動する作品が大好きです。
同時にドキュメンタリー作品も好みであり、戦争やホロコースト、歴史などの作品もしばしば観賞します。
大人になるに従って、リアリティ番組に没頭することができなくなりました。
映像の品質が非常に高く、音声も非常にクリアであるためです。ピンマイクがないにもかかわらず、音声が綺麗に記録されていることから、ガンマイク、つまり音声スタッフが存在していることがわかります。
さらに、カメラワークはズームで行われ、照明もしっかりと美しくなっています。
自然な雰囲気で撮影されていますが、ただの監視カメラのようなものではありません。そのため、出演者は明確に撮影スタッフの目に映っています。
つまり、出演者は既にアイドルのような存在です。
アニメ「推しの子」においても恋愛リアリティショーの撮影シーンが存在しましたが、それはまさに、厳格なスタッフが関与しており、リアリティを持たせたストーリーの曖昧な境界線が存在していました。
だから入り込めない…。
リアルでもないし、作られたストーリーでもない。どっちつかずに感じてしまう。
あの状況で本音なんか出ない
カメラマンやディレクターにプロデューサーがいるような現場で本音で話したりできるのだろうか。
カメラを意識しないでなるべく自然体に見せられる彼らはもうすでに一般人ではなく俳優なのです。
だから、見る人によってはきれいすぎる!となってしまうのではないでしょうか。
Boyfriendも見れない
作品を批判する意図はありませんが、話題のNetflixの『Boyfriend』を視聴するのは難しいと感じます。35歳の独身ゲイ男性が、このようなキラキラしたドラマに共感するのは、少々違和感があります。第一話をちらっと見ただけでも、映像の美しさや音声のクオリティの高さ、さらにはストーリーのまとまりに驚かされました。
実際に普通のゲイが集まった場合、もっと地味であったり、あるいはもっと悲惨な状況になることが多いでしょう。そのようなリアルな描写を視聴者が見続けることは難しいですし、Netflixとしても大衆受けを狙わなければならないため、そうした内容で作品を制作することは考えにくいでしょう。美しいイケメンたちによるリアリティショーではなく、しっかりとしたドラマとして描かれた作品を見てみたかったです。プライベートとドラマの中間ではなく、純粋にドラマとしての描写を期待していました。