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第三のがん(大腸がん)⑤

【31歳(2007年)冬頃】

食べる事が、怖い

食欲は、チューブが入ってる時も全然無かった。
腸閉塞後に初めて食事のお盆を見た時にも、全く食べたいと思えなかった。
それよりも「また腸閉塞になるのではないか」という恐怖感が強かった。
医師は食べていいと言う。でもそれを実行してたら、腸閉塞になった。またチューブを入れられるのは嫌だ。

もはや医師の言葉は信じられなくなってしまっていた。

ブドウ糖の点滴はずっとしてるんだし、前の卵巣がんの時もそれで栄養何とかなってたし。
変に前の治療の事が頭に残ってるもんだから、まぁ大丈夫よ、そんな思い込みもあった。

自分が自然に食べたいと思える様になるまで食べないぞ!謎の決心。
あと、医師の言う事はもう信じない!医師とはもう口も聞かない!


医師の呪いの一言

そういう感じで、医師を拒否する日々が始まった。何を言われても首を縦か横に振るだけ。言葉を交わす行為をしなくなった。

ある日、副主治医に言われた。
「ゆきえさんの状況は可哀想だと思うけど」
この一言が私を大きく傷つけた。なんでそこまで胸に刺さったのか、今でも正しくは分からない。
医者に可哀想って言われるって何なん?こうなったんは、お前らのせいちゃうんか?
無性に腹が立った。
そしてさらに、拒否活は続く。

医者も看護師も、みんな嫌い!なんでこんな奴らに自分が管理されなきゃならないの?


病院のトイレ事情

入院してた病院がかなり古い事は前述したのだが。トイレもかなりヒドいものだった。
トイレはフロアに2ヵ所。

1ヵ所目には3つのトイレがあった。
1つは車椅子でも入れる広めの個室。ただし扉は無く、アコーディオンのカーテンで仕切られていた。
2つ目は洋式。狭めではあったが、点滴台を何とか持ち込める(ただしかなりギリギリな)広さ。
3つ目は和式。ここはほぼ使った事がない。リウマチで膝が痛くなる可能性があったのでね。

そして2ヵ所目。
ここは全面タイル貼り。外壁に面してたのと暖房が入っていないのとで、かなり寒い。
ここにも3つのトイレがあった。
1つ目は男性用トイレ。個室ではなく、壁に面して剥き出し。しかも入り口からは丁度見えない位置にあったので、そっちのトイレ利用する時は、いつも恐る恐る室内を覗かなければならなかった。
2つ目は洋式。ただしここの室内はかなり狭く、トイレ内に点滴台を持ち込むとなんと扉が閉まらない。人が来ませんように。そう祈りながら使用しなければならなかった。
3つ目は和式。ここはもう言わずもがな。

そしてどのトイレも、常に悪臭を放ち続けていた。

ここは野戦病院か!


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