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農活2日目 畝つくったら脇腹ピキーン
せっせせっせと溝を掘り、なんとなく畝作ってみた。
種芋が植えられるのはもう少し後なんだが何かやりたい人。
4列作るはずが2列が終わったところで脇腹がつり強制終了。
あたたた…てなりました。
土をほっくりかえしてたら中から色々と出てくるようで、ほったそばから鳥がくる。かわいい。野鳥よ少しは警戒心を持て。
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ここの市民農園はぜんぶで100区画ちょいあるそうな。
みんな工夫をこらして楽しんでらっしゃる。
畝の取り方も色々だし、上にのびてく野菜と背丈の低い野菜を同じ畝で育ててたり省スペースをフル活用する知恵も見られた。
それぞれの畑を痛めた脇腹をさすりながら偵察してきた初心者。
綺麗に管理されてて皆さんすごいな。
夏になったら景色が一変するかもしれないけど(雑草で)
一緒に植えるとメリットがある野菜をコンパニオンプランツというそうだ。
害虫が減ったり土壌の微生物バランスが整ったり、育成に良い影響が出るもの。そして一緒に植えるのはやめた方がいい野菜もある。
植えると虫よけになる花とかまである。蚊取り線香の素らしい。
先人達の知恵の結晶。たまらん。
話かわるけど、定期的に通わないといけない病院が何個かある。
難聴の定期観察で耳鼻科。
緑内障の疑いの定期観察で眼科。(ずっと”疑い”できてる)
生活習慣病の血液異常で内科。
生活習慣病はまず痩せろって感じだし自力でなんとかしろって話なんだけどさ、目と耳って大事やーん。これなくしたら終わるやつ。特に目は大事。わたしの趣味に目は必須。緑内障って失明するリスクある。
その定期観察もずっとサボッてたし、改善するために向ける気力がマイナスすぎて長年放置してたわけ。
今かんがえるとおっかなくない?
無職になってからやっと行ったら先生に怒られた。
聴力は悪化してなかったし、今回も緑内障疑いだったけど、最低年1は検査必須だと。そうだよね…。
働くと真面目になっちゃう。ぜんぶ後まわしにしちゃう。
自分のことも自分にまつわる事も。
だからもう働きたくない。
一番働く自分が嫌いだなって思ったのが2011年。
東日本大地震もあったんだけど、それとは別に祖母が亡くなったんよ。
でも会社を休むっていう選択肢があんまりなくて、自分に。
休むの好きじゃないっていうか、休まない方がラクなんだよね。
祖母が危篤状態との連絡があり仕事終わってから病院に行ったんだけど、そこから祖母は頑張った。死と生の堺をさまよっていた。
その時にわたしは何を思ったか。
早くしてくれと。
最低だろ。知ってるぜ。
でも翌日に控えてる仕事のことを考えるわけよ。
けっきょく私はいったん帰った。兄とか他の家族はそのまま残って看取ったけど。そんでお通夜も仕事してから新幹線乗って行ったのよ。
なんでそこまで?って感じじゃん。私にもわからん。
でもそうなっちゃうの仕事してると。でも本当は看取りたかった。
大事なものを優先できなくなる自分が嫌だったな。
そんでいよいよアホだなって思ったのが東日本大震災の時ね。
交通機関が乱れに乱れたのに、アホみたいに忠実に仕事に向かう人達を見て、この人達、出社した後にそんなに大事な仕事あんのか?って思った。
私にはなかったよ。でも行った。げつようびだから。
あの時に日本中を包んでいた空気感って私はいまでも思い出せるけど尋常じゃなかった。それでも脳内停止して会社に向かう自分が嫌だった。
でも働ける人達は働いて日本経済支えなきゃいけないとも思っていた。
そう思って働ける仕事に就いていたかった。
ここで多分いちどぶっ壊れたんだよね。
直後にメニエール病を患いサクッと退職した。
なんか今日、土さわってたら色々と思い出した。
ヒリヒリしてたあの頃の感覚がきもちわりぃ。
働いて幸せになれる仕事ってなんだろうね。
土掘りながら色々考えるけど、気温もちょうどよくて天気がよくて、今の状態はぜんぜん悪くないなとも思った。