沖縄旅行記|水納島のシンクロババア
水納島(みんなじま、と読む)に初めて行ったのは、かれこれもう20年ほど前になるのか。友人と沖縄本島に旅行に行った際、途中1泊で水納島に立ち寄った。その時はあまり知らなかったのだが、水納島はどちらかと言うと日帰りで遊びに来るのが主流な、レジャーアイランド的な立ち位置らしい。確かに昼間は日帰りツアーで来ている若者でごった返し、レンタルパラソルはビーチいっぱいに広がり、バナナボートやら体験ダイビングやらの勧誘と、それを嬉しそうに受ける客でいっぱいだった。でも、日暮れから朝方までは、数少ない宿泊者と島民(夏だけの一時島民含む)のみの島となり、打って変わってアットホームな雰囲気になるのだ。
水納島では民宿に滞在した。民宿と言っても、個室がしっかり確保されていて、部屋数も10部屋程あり、どちらかというとゲストハウスや小さめのホテル、という雰囲気だ。でも、民宿らしいところは、1泊2食が提供され、庭のテーブルで他の宿泊者たちと一緒に食事を取るところか。そういう沖縄の民宿は、食事が進むと同時に酒も進み、どこからか三線を引っ張り出した若者(たいてい沖縄通ぶっている、薄汚くヒゲを伸ばしまくり、夜なのにサングラスをかけた貧乏人面の、かつては若かったであろう若者風の前期中年)が演奏をし、最後はみんなで歌え踊れの大合唱になることが多い。例外的にこの民宿は、中高年の夫婦・カップルが多かったようで、みなさん割と落ち着いて食事を取り、宿の人とも笑顔で話しながらも、どこかしら品位を保っている感じだった。我々も、食事を取った後に夜の海を散歩したかったので、さほど酒も飲まず、他の宿泊者とも2、3言葉を交わしたくらいであった。
そこに、彼女は現れた。食事は6時から、と言われていたので、宿泊者はみんな律儀に(律儀だよねえ、自分も含めて)6時に集まり、順番に提供される島料理をみな同じ順番で食べていたところだ。ゆうに20~30分は過ぎたころ、彼女は現れた。身長は150ちょっと、年のころ、50代後半といったところか。全身まんべんなく濃い茶色に焼けていて、茶髪(しかもバッサバサ)をポニーテールに結っていた。その年代の女性にありがちな、食の細さから来る痩せた体の肉がないため皮膚がたるんだ感じ。鎖骨や肘、膝などの関節が妙にふくれあがり、それなのに肩から紐の白地に緑の模様の入ったワンピース(しかもミニですよミニ)を着ている。おそらく1年2年ではそうならないであろうほどに焼けた肌のおかげで、なんとか肌のたるみや皺が隠されている感じ。第一声は確か、「おーっす」か、「ひさしぶり~」か、宿の人に超親しみを込めてあいさつをし、さほど大きな声でもなかったのに、彼女は目立った。とにかく目立った。「遅れて登場」する大女優だって、もっとしちめんどくさい演出をするはずだ。きれいなドレスを身にまとうとか、女優オーラを全開するとか。なのに彼女は、ワンピースこそ若作りと言えるものの、それ以外は自然体だった。そして目立った。ただ、目立ったといっても、美しさに胸を打たれるという類のものではない。昔やんちゃしててさ、若くして妊娠して結婚したけど旦那がクズだったからすぐさま離婚して、頑張ってシングルマザーでやってきたのよ、それでもこの海だけは好きで毎年来てさ~、小さい子供も連れてきてたけど、その子ももう成人したから、やっとまた羽を伸ばして遊べるわ、的な30年くらいのストーリーが一瞬でわかるような目立ち方だった。そして、そんなに相違ないのだと思う。彼女はやっぱり食が細くて、主にタバコを吹かしながらビールをチビチビ飲み、その合間に一口だけ食事をつまむ、というスタイルで、宿の人と昔話をしていた。あまり聞き取れなかったが、一瞬で読み取ったその推測ストーリーとはそんな大差ないのだと思う。一つわかったのは、どうやら東京生まれの下町育ちのようだ。そして、「ティーンネイジャーからここに来てるのよ」とのこと。あのチャキチャキさはやっぱりホンモノなのだ。僕と友人は、「あ、あそこにも東京から来てるお客さんいるよ」と指摘されるのではとドキドキしながら(あまり社交的ではない僕は、そんな彼女の圧に耐えられるとは思いませんでした・・・)そのたるんだ黒々した肌をチラ見しつつ、早々に食事を終わらせて席を立った。
翌朝、まだ日帰りレジャー客が島に到着する前、宿泊者しかビーチにいない時間に、僕らは早めにビーチに場所を決め、パラソルを広げてもらった。7月後半の沖縄はとにかく日差しが強い。ただでさえ肌の弱い僕は、大量に日焼け止めクリームを塗り、帽子を被り、サングラスをして、さらに大き目のビーチタオルを肩からかけた。いつものスタイルだ。ほんとに、何しに海に来ているかわかりゃしない。その時一緒に旅行に来た友人は肌が強めで、積極的に日焼けをするものの、最初はやはり念入りに日焼け止めを薄っすら塗り、パラソルの下で日差しの様子を伺っていた。
そしてまた、彼女は現れた。我々が20分くらいかけて下準備を終えた頃に、彼女はゆっくりビーチに現れた。暑さに驚くそぶりも、日差しに焦るそぶりもなく、悠然とビーチをゆっくり歩いてきた。だいたい想像は出来るかと思うが、もちろんビキニだ。それも真っ赤のTバック。(『まっ赤な女の子』By小泉今日子はBGMにはなりません・・・)彼女は透明な小さなビーチバッグを持っている以外には何も持たず、その華奢な顔の輪郭にはあわないくらい大きめの真っ黒なサングラスをかけ、帽子もタオルももたずにビーチに現れた。そしてまた、目立った。バブルの頃のパーティーギャルのその後・50代後半編、という映画があれば、彼女以外主役は考えられないくらい、目立った。そして、ビーチに映えた。白いビーチに照らされている彼女。今の君は~ピカピカに光って、とは別物の、黒光りである。ゆっくりゆっくり人のまだいないビーチのちょうど真ん中あたりで立ち止まり、自分の体を念入りにくまなく一回確認すると、おもむろにごろりと涅槃像スタイルに寝転んだ。左手で自分の頭をささえて寝転ぶスタイルだ。タオルも何もひかず、白い砂の上にそのまま寝そべった。そして、ゆっくり右手をスラっと太陽にまっすぐ伸ばした。5本の指は優雅に開き、一瞬まっすぐ伸ばしたのち、腕を伸ばしたまま自分の右耳のあたりまで腕を下した。寝そべってから腕を伸ばし、右耳のあたりまで下す一連の姿は非常に優雅で、最初は泳ぎの練習なのか、はたまたシンクロナイズドスイミングの真似なのか、と思ったが、右耳の横で伸ばしたままの腕は相変わらずそのままだ。何をしようとしているのか、さっぱりわからなかった。
「あの人たぶん、わきの下を焼こうとしてるんじゃない?」同じ動作を一緒に見ていた友人がぼそりと言った。僕は「??」っと一瞬意味がわからなかった。「あの人、わきの下以外、もう焼く部分がないんだよ、だからきっとわきの下を焼くんだよ。たぶん後で逆側も焼くよ」と友人の想像通り、30分くらい経ったら逆サイドで同じことをした。ベチャベチャに日焼け止めを塗って、それでも首や胸が赤くなってしまう弱っちい僕には、「わきの下を焼く」という概念がなかった・・・。わきの下って、焼けるものなのね・・・。われわれが何度か水に入り、だんだん日帰り客がビーチを占領してきたころ、彼女はよっこらしょ、と立ち上がり、宿の方向へ消えてしまった。それ以来、その旅では彼女を見かけていない。
それから20年くらいたったコロナ禍、僕は別の友人たちと水納島を訪れた。その時は日帰りで上陸したので、泊りで来た時とはずいぶん印象が違って見えた。やはり日帰り客がいなくなった後の、夜の島の親密さは格別だ。そして、その時ふと「水納島のシンクロババア」を思い出した。あえて親しみと経緯を込めて、彼女をババアと呼びたい。彼女はまだこの島に通っているのだろうか?今でも黒いのだろうか?まだミニスカ・ビキニを着ているのだろうか?そして、今でもわきの下を焼いているのだろうか?そうあって欲しい。幻に終わってほしくない。あの目立つ存在感は格別だ(重ねて言うが、決して仲良く会話をしたいとは思わない)またいつか、どこかでそのシンクロ姿に会える日まで・・・。グッバイ、ババア。