【後編】骨髄バンクドナーになったらカポエィリスタになってた
手元に14万円があったら、何に使う?
14万円というお金を自由に使える場面というのはなかなか訪れるものではない。このお金が、自身の労働の対価として受け取ったものであれば、おとなしく生活資金や貯蓄・投資に回すのだが、今回はそうではない。このお金は骨髄バンク事業の提供ドナーに対する助成制度によって手に入れた、いわばあぶく銭のようなものだ。
本投稿は、前編で骨髄バンクを通して末梢血幹細胞を提供した話と、後編で提供ドナー向け助成金を使って始めたブラジルの格闘技であるカポエィラの話の2部構成となっている。
後編を読むにあたり、前編を読むことは必ずしも必要ではないが、前編は骨髄バンク事業の提供ドナーの流れがざっくりわかる体験記仕立てになっているので、併せて閲覧いただければ大変うれしく思う。
既に14万円の使い道を先走って書いてしまっているが、本投稿ではお金の使い道としてカポエィラを選んだ理由・きっかけや、そもそものカポエィラの概要、そして自身のカポエィラ体験談を記述するので、しばしお付き合いいただければ幸いである。
14万円の使い道を考えよう
とりあえず書き出す
さて、このお金を使って自身がやりたいことを列挙してみよう。
こうして書き出してみると、自身の欲深さにまず驚く。
やりたい(買いたい)ものが多すぎるため、より絞り込むため、これらを分類してみる。
分類して絞り込む
こうしてみると、欲しいものの傾向ははっきりしていて、大まかに「楽器」と「家電」に分類されることがわかる。
ただ、私の家は賃貸であり、かつ、いつ転勤するかわからないサラリーマンの身分であるため、家電は引っ越したタイミングで買えばいいのかなとも思う。引っ越し先で前の家から持ってきた家電が所定の場所に入らず泣く泣く手放したような話も聞くため。今回はおとなしく除外することにする。
「モノに変える」の項目のうち、家電を削除してみた。
「ミシンが残っているけど?」と思った方もいるだろうが、ミシンは上に挙げた他の家電よりは小さめで取り回しが良いし、除外を即断できないほどには欲しいと思っているので残しておいた。私は裁縫が趣味なのである。
そういえば、やりたいことを列挙する段でファッションやアクセサリーを挙げていないが、これは裁縫を趣味としていることにも由来する。自分が欲しい服は作ればいいのだ。ブルべかイエベか、骨格がどうとかで自分の着たい服を制限する昨今の風潮はカス。「その服、君のパーソナルカラーに合ってないよ」とか私に対して言う奴がいたらしょんべんひっかけて強制的にイエベにしてやるからな。←??
↓私が裁縫をやる様子は下記の投稿で記載している。
趣味でいえば、「モノに変える」の項目の楽器(トランペット・チェロ)、「経験に変える」の旅行(国内・海外)も趣味に該当する。
学生の頃はかなり「なんちゃって」ではあるもののジャズや中南米音楽のサークルに所属していたため、トランペットを細々と続けている格好だ。チェロはやったことは無いが、クラシック音楽もかなり聴くので漠然と始めてみたいなとずっと思っている。
旅行も趣味だ。国内旅行は頻繁に行くが、海外旅行はしたことがない。列挙の段で具体的な目的地としてネパール、スウェーデン、ミクロネシアを挙げているが、いずれも大学の卒業旅行として計画していたものだ。ネパールでは壁のように聳えるダウラギリ・アンナプルナ両峰の、極めて巨大なものに対する根源的な恐怖に近い圧迫感を常に感じながら涸れ川を遡り、スウェーデンでは人類が定住する最北端、スバールバル諸島にて沈まない太陽の下野生のホッキョクグマを探し、ミクロネシアでは強烈な日差しを逃れてタコノキの下で大量の蚊に刺されながら、空と海の絶景がそのうち日常に感じるほどの、怒りにも似た無限の退屈さを享受する夢想をしたものだが、新型コロナウイルスという激甚な疫病によりこれらの夢が現実になることはついになかった。しかし数年経った今も諦めてはいない。
話が長くなったが、どの趣味についても、小さな情熱の火種がくすぶり続けており、継続してお金を使ってきていると思う。いずれの夢想も、そのうちすべて達成されるだろうという直感が働いた。
したがって、このあぶく銭を既存の趣味に使うことも、今回に限っては除外することにした。(現に、国内旅行のうち西南諸島(伊是名島)と北海道は最終的にお金の使い道が決まった後で実現した。)
リストに残った項目を個別に検討する
ここからは、残った項目に対して個別に検討する。
■脱毛する
すべての脊椎動物において、受精卵から最初に形成される器官は肛門(原口)である。身体の全パーツの長男(長女)たる肛門(余談だが、カポエィラ発祥のブラジルの公用語であるポルトガル語では、肛門を意味するânusは男性名詞である)の周りに毛が生えるかどうかは、人間においては完全な個体差が見られる(と思う。ここで断定しないのは、私が他人の肛門を見たことがない以上、肛門の周りに毛が生えているのが世界で私ただ一人である可能性を排除できないからだ。)。
肛門に毛が生えている人間が最も恐れることは、自身が被介護者になってしまったときのことだ。
当人の意思に関わらず、おしもの処理を自分自身でできなくなってしまう状況に置かれたときを考える。排泄されたおしもは、おむつの中で逃げ場をなくし、そのままVIOでいうOのジャングルと一体化する。密林と絡まったおしもを掃除する(される)ことは、介護者にとっても被介護者にとっても回避できるなら回避したいことであるに違いない。(「自分は気にしない!」という人がいたらそれは最大限の賞賛に値する)
介護産業の「働き方改革」は、VIOを永久脱毛することから始まるといっても過言ではない。
将来的に脱毛(VIO)は絶対にしたいのだが、20代の自身にとってはまだ猶予があると考えておこう。
■自転車を買う
なんでこれ残ってんだろ。今の賃貸には駐輪場もないし、却下。
■資格習得のために勉強する
普通免許と世界遺産検定1級だけなぜか保有しているが、他に欲しいものは今のところない。勉強したくないし、却下。
しいていうなら狩猟免許は欲しい。けど今はいい。
■パーティーを主催する。
他人のためにお金を使いたくないので、却下。
一応、主催するならどんなパーティーをやるかは考えた。
以前、一斗缶で20人前近いビリヤニ(インドの蒸しご飯)を購入し、中学校時代・高校時代・大学時代それぞれの友人を招いて、ほぼ全員初対面のパーティーを開催したことがある。言ってみればガウゲリのオフ会であろうか。
この回はビリヤニだったが、14万があるとなるとちょうどやりたいことがある。
羊を一頭まるまる購入するのだ。
羊まるまる一頭の丸焼きは、神楽坂のモンゴル料理店『スヨリト』や秋葉原のガチ中華料理店『香福味坊』なんかで注文でき、相場は10万~20万、かなりちょうどよい。ありだな~と思っていたが、悲しいかな、利己的な人間には全額自費という決断は無理だった。
※羊の丸焼きが食べられるかどうかは事前にお店に確認してください。たぶん予約必須。
■ギャンブルに使う
自分の理性を信用していないので却下。
■パーソナルジムに通う
保留。ムキムキになってみたいので。
■新しく習い事を始める
自身の趣味を振り返ると、先述の音楽や裁縫の他に読書もするが、改めて自身の完全なるインドア志向に新鮮に驚く。
国内旅行も趣味である旨を書いたが、旅行で見るのは山とか海とかではなく、文化財の類である。したがって旅行に行っても専ら寺社仏閣やらミュージアムやらの屋内におり、太陽から常に隠れるように移動している。明るく快活な人間を陽キャ、私のような暗くてジメジメしたところが好きな人間を陰キャというのは言い得て妙と感心するほかない。
ここで、少しでも体を動かす習い事を始めてみようかな、という気になる。
大学入試に全部落ちて予備校に入った以外は、一度も習い事の類はやったことがないため、習い事というものには若干の羨望があるのだ。(小学生のとき、友達が「習い事」を理由に遊べなかったとき、自身と遊ぶことよりも優先するほど楽しいものなのか…? と疑いと憧れを抱いていた。)
ここで、先ほど保留した「パーソナルジムに通う」の選択肢が生きてくる。
パーソナルジムに通いたいと思ったのは、自身の虚弱な体を少しでも頑健にしたいのが理由であるが、自身の体を鍛えられる習い事を始めれば一石二鳥。きれいに自身の要望に適う。例えば、格闘技とか。
世界には数えきれないほど多くの格闘技があるが、既存の趣味である音楽(楽器の演奏)や裁縫の命ともいえる手を傷つけるわけにはいかない。そこで、足技が主体の格闘技を探すと、キックボクシング・カポエィラ・テコンドーの3つが候補として浮上した。(余談だが、手を傷つけたくないからという理由で足技が主体の格闘技に行き着くのは、漫画『ONE PIECE』のサンジとまったく同じである。)
ただし、キックボクシング・カポエィラ・テコンドーのいずれも、何の知識も持ち合わせていないため、積極的にどれかを選択するかの理由は現時点では何もない。
そこで、自身のinstagramのアカウントで、相互フォローの人たちに聞いた。
こうして、カポエィラを始めることにした。(悩んだわりにあっさりしているが、こんなもんである。生きとし生けるものはすべて運と機会の奴隷であり、因果めいた出来事の方が珍しい。もとを辿れば、さんざ使い道を迷った14万円はドナーの助成制度で受け取ったものだし、これは数万分の一の確率で患者のHLA型と自身のHLA型が一致したことから始まった。いや、さらに遡れる。患者のDNAがせっせと複製を行う中で、造血に関わる細胞の中で数億から数兆の塩基のうちの1つが突然変異し、がん細胞になったこと、地球上でDNAによる複製によって自己増殖をする生物が生まれたこと、様々な物質の溶媒となる水が常に液体として存在できる惑星の位置…そして最後にはビッグバンにたどり着く。全部運と機会だ。)
そもそも、カポエィラとは
体験談に入る前に、カポエィラがそもそも何なのか説明したい。
ただし、ここで文章を割くよりも見た方がずっと理解が早いので、YouTubeで”Capoeira”と検索して、一番再生数が多そうな動画を引っ張ってきた。百聞は一見に如かず。
(現に今習っている身として軽い気持ちで動画を見たら、本当に釘付けになってしまった。動画がすごすぎて正直もう説明することがない気さえ起こる迫力だ。)
カポエィラの歴史、まずは黎明期
カポエィラの歴史を説明することは、そのままブラジルの歴史の説明をすることと同義だ。
1500年、ポルトガルによって「発見」されたブラジルは、西洋の(先述の処刑されたのち生き返る人の)暦が支配する「世界史」の舞台に引きずり出された。
ブラジルに入植した16世紀のポルトガル人は、はじめブラジル先住民を労働力(奴隷)として、砂糖に代表される大規模な商品作物農場を経営した。しかし、苛烈なブラジル先住民の使役により人口が減少し、その労働力の穴埋めは同じくポルトガル領だったギニア地方やアンゴラなどアフリカ大陸から連れてこられた黒人奴隷が担うことになる。
こうした歴史的背景をふまえ、黒人奴隷が過酷な労働を強いられる中で自身の身を守るために編み出した護身術が、カポエィラの起源とされている。(諸説あり。一方でカポエィラが明確に文献上に出現するのは(プランテーションや逃亡奴隷の多い農村部ではなく)都市部においての記述であり、「奴隷制に対する黒人奴隷の抵抗として発展したカポエィラ」という肉付けが後世で恣意的になされたという指摘も多いようだ。)
しかしながら、奴隷が護身術を身に着けることは、農園主などの当時の支配階級にとっては反乱にも繋がりうる脅威として考え、あらゆる格闘技の練習は厳しい取り締まりの対象となった。
転機となったのは1864年のパラグアイ戦争である。
戦争と政治禍、混沌からの萌芽
パラグアイ戦争は、名前の通りパラグアイとブラジルを中心とする同盟軍が衝突した戦争であるが、練度の低い義勇軍が主戦力を担うこの戦争において活躍したのは、他でもないカポエィラの担い手である黒人奴隷だったという。
カポエィラの主な担い手である黒人達がパラグアイ戦争で大活躍したことは、1888年の黒人奴隷制度廃止にもつながるのだが、これより少し早く、1870年代にはブラジルの政界エリートたちがパラグアイ戦争で勇猛果敢な働きをしたカポエィリスタ達に目を付け、彼らを抑止力として(主に不正選挙の工作員や単純な脅しとして)政治活動に利用する動きも現れはじめる。
↑ヤバすぎて草
こうして、かつては「反乱の芽」として取り締まりの対象であったカポエィラは、一転して熾烈な政局争いで黙認された半グレ集団の技能として急拡大する。しかし、カポエィラ半グレ集団の傍若無人なふるまいも長くは続かず、治安の悪化をもたらすと問題視され、ついに1890年、当時の刑法*の中で明確にカポエィラ=犯罪として定義されてしまう。
(*ブラジル合州国刑法第13章条例第402号)
カポエィラが明確に犯罪と定義されたことで、この間カポエィラは暗黒の時代を迎えるが、一人の人間によって暗黒の時代は終わりを迎える。カポエィラ界の大スター、メストレ・ビンバの登場である。
サウヴィ・メストレ・ビンバ
メストレ・ビンバは、禁止時代を経て単なる浮浪者やアウトローの抗争の道具に堕落していたカポエィラを、他の格闘技の要素を取り込みつつ、伝統的な実戦的要素を洗練させることで武芸として昇華させることに成功する。さらに、階級システムを整備し、肉体的だけではなく、精神的にも成長するという概念を導入した世界初のカポエィラ道場を開設することで、カポエィラの世間の認識は、暴力の手段から自身の修練やブラジル文化を体現するものに変貌を遂げた。こうして、それまで下級階級が主な担い手だったカポエィラは、中流以上の階級にも拡大し、ブラジル全国民のものとなった。
そして1953年、メストレ・ビンバは時のブラジル合州国元首、ヴァルガス大統領の前でカポエィラのデモンストレーションを行い、格闘、ダンス、祈り、それらどの言葉を単独で使っても形容しえないその行為――カポエィラ――はついに国家公認のものとなった。
ところで、メストレとは日本語で「先生・師範」を指す語であるが、ビンバとは日本語で「おちんちん」を意味する。したがって、メストレ・ビンバとは「チンポ先生」のことを指すのだ。「不敗の牛山」は地球の裏側にもいた。
小見出しの「サウヴィ・メストレ・ビンバ」の「サウヴィ」とは、カポエィラで使われる挨拶であり、しいて日本語に訳すなら「押忍」という具合になる。したがって、「サウヴィ・メストレ・ビンバ」は「押忍、チンポ先生」である。
(余談だが、ブラジルでカポエィラが大統領公認となった1953年、地球の裏側ではアダン生い茂る地上の楽園(あるいは、ソテツ生い茂る地獄)がハクトウワシの国から、菊の国に返還された。ブラジル日系人に奄美出身者が多いことは、今回カポエィラを説明するうえで何の関係もない)
カポエィラをはじめるには
さて、話は私が骨髄バンクドナーの助成金の使い道をカポエィラに決めたところに戻る。
私は家から最も近そうで規模のデカそうなカポエィラ教室をインターネットで探し、早速受講生となった。(教室を決めるまでになんかしらのドラマ的展開があればよかったなと思ったが、本当になんもなかった。私の場合、どこにしようか迷っているうちに熱意を失ってしまってカポエィラ以外の助成金の使い道にシフトする可能性が大いにあったからだ。鉄は熱いうちに打て、ということわざは私のためにある。)
カポエィラの教室があるのってどうせ都会だけでは…? と思うかもしれないが、意外にも日本には38都道府県に60団体、300を超える教室が存在し、(私の)想像よりはずっと多い。(ちなみに、カポエィラ教室がない県は青森、山形、福井、奈良、鳥取、島根、愛媛、佐賀、大分の9県である。また、主要4島と沖縄本島を除いた日本の全離島に教室はない。)
すでに有志のカポエィリスタにより作られた全国教室マップがあるので、自分の家の近くに教室があるか、是非確認してみてほしい。
ところで、上記のカポエィラ教室マップには、各教室に(分類)という項目があり、「ヘジォナウ」や「アンゴーラ」という語を確認できるが、これらが何かというと、カポエィラの流派を表す。
カポエィラの流派
カポエィラには「ヘジォナウ」と「アンゴーラ」という二大流派が存在する。
ヘジォナウは先述のメストレ・ビンバが創始した流派であり、格闘性の高い技術に傾倒している特徴があるとされる。一方のアンゴーラは、メストレ・ビンバと並んでカポエィラの普及に尽力した偉人、メストレ・パスチーニャが創始した流派である。アンゴーラはヘジォナウと比較して、ゆったりした動きが特徴である。アンゴーラという名称はカポエィラのルーツのひとつである黒人奴隷たちの故郷、アンゴラに由来する。
時代が下るにつれ、ヘジォナウとアンゴーラが混ざり合ったり、各流派(主にヘジォナウ)がさらに新しい要素を取り込んだりした結果、どちらの流派にも属さないスタイルが誕生し、これらを総称して「コンテンポラネア」と呼ぶ。今日のブラジル連邦共和国では、教育の一環としてカポエィラを実践する学校も多いが、学校教育では主にコンテンポラネアが採用される。
これら流派によってもホーダ(後述するが試合とか組手みたいなもの)の雰囲気が異なることがある(未確認情報)ので、これから習おうと思っている人は教室のHPに(おそらく)掲載されている動画などを確認するとよいだろう。私は全然調べずにレッスン受講生となったが、私のカポエィラ教室はヘジォナウの道場だった。
カポエィラ体験記
カポエィラ受講開始
かくして私は、家からのアクセスが良さそうでかつ規模のデカそうな教室を探し、東京・大久保にあるカポエィラ・テンポ東京の受講生となった。
レッスンでは入念な準備運動ののち、基本の動きである「ジンガ」を学ぶことから始まる。そのほかにも基本の動作・蹴り・避けを1時間程度のクラスで受講する。ここら辺を書いているあたりで気づいたが、格闘技は(私の文章の拙さも手伝って)文字情報と非常に相性が悪いことを理解する。
私の通う教室では↓のような動画も出しているので、こんな感じのことをほぼ週1のペースでやっていく。(無駄なあがきはせず、動画に頼る)
https://www.youtube.com/watch?v=2LBOURtjBw4
初回受講時に下記の「技習得カード」が配布され、できた項目は講師の方がスタンプを押してくれる。
ところでこのスタンプカード、既視感がないだろうか。
そう、小学校時代にも体育の授業の鉄棒や縄跳び、そして水泳で同じようなシステムがあったはずである(特に水泳はこれに似たカードの裏が健康管理表となっており、当日朝の体温と親のシャチハタがないと授業に参加できなかった)。
私はこのスタンプカードを見たとき、なんとなく小学校の校庭の砂利が外履きの中に入った不愉快さと、校庭の端にあるもぬけの殻となった鶏舎の匂いを思い出し、ノスタルジーに浸った。
スタンプの数が一定数を超えると受講できるクラスの種類が増え、スタンプが全て埋まるとメンバーと呼ばれる道場の正規会員になるための試験の受験資格を手に入れることができる。
私は週1回(よりも気持ち多めの頻度で)教室に通い、7ヶ月ほどで「技習得カード」のスタンプを埋めることができた。
試験は「技名と動きが一致しているか」を確かめる。講師が指示した動作・蹴り・避けの動きをすぐ実行に移す。かなり危うかったもののなんとか合格し、私は晴れて道場の正規会員たるメンバーになることができた。
メンバーになると、さらに受講できるクラスが増えるほか、ブラジルから招聘する師範から「アペリード」と呼ばれるカポエィラ洗礼名(リングネーム)を賜ることができ、さらに「バチサード」と呼ばれるカポエィラの昇段式への参加が可能になる。私がメンバーになったのは、バチサードを1ヶ月先に控えているタイミングだった。私は、本当ギリギリでバチサードの参加資格を得ることができた。
私の3つめの名前
バチサード(昇段式)に先立ち、カポエィラ・テンポブラジル本部から師範を迎え、ささやかなパーティが開かれた。
パーティに居合わせた新規メンバー達に次々とカポエィリスタの洗礼名であるアペリードが与えられる。すでにアペリードを持っている先輩方や同期はLobo(狼)、Trovoada(雷雨)、Peixe-leão(ライオンの魚、ミノカサゴ)など、師範の直感で映(ば)える名前が付いている。
ついに私の番が訪れ、私のアペリードが決まる。
私のアペリードは…
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Yakisoba(ヤキソバ)
え?
え………………………………………………………………
あ、は?
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戸籍に記載された出生名、アフリカでフィールドワーク中に賜った「ガウゲリ」、そしてカポエィラ洗礼名であるアペリードの「ヤキソバ」と、私の名前はついに3つを数えるまでになった。次は相撲部屋にでも入るか?
一応、私のアペリードが「Yakisoba」になった経緯を説明すると、師範を迎えてのパーティでBGMとして流れていたのがSeu Jorgeの”Japonesa”という曲だったことが名前の由来となった。本投稿の最初の方で「中南米音楽のサークルに所属していた」ことを書いたが、私はこの”Japonesa”という曲をライブで演奏したことがあった。
この曲の最大の特徴は、ラストで「Yakisoba」と怒涛の連呼をすることにある。
BGMでこの曲が流れたとき、この奇怪(きっかい)な歌詞を口ずさまずにはいられなかった。こうして"Yakisoba"と連呼している私を見た師範も「あ、こいつのアペリード、”焼きそば”だわ」とピンときたに違いない。
私が学生時代にかじっていた中南米音楽がこうしてまわりまわって自身の名前になる、というのは奇妙な経験だった。人生の伏線回収だ。
ちなみに、この”Japonesa”だが、2024年12月現在、YouTube上アップロードされているライブ映像のひとつにとんでもないものがある。
Seu Jorgeも含めた全員が、TV用の尺に編集されたこの曲の構成を理解しておらず、大事故を起こしているテイクがあるのだ。
原曲を聴いてみた後で、本動画も視聴してみてほしい。本当にすごいから。
幻のカポエィリスタ、ヤキソバ爆誕
こうしてバチサード当日を迎えた私は、昇段にチャレンジすることとなった。実のところ、昇段式当日に昇段可否が決まるのではなく、事前に昇段できるかどうかはおおよそ決まっており、最初の帯を取得するにはある種の「型」を覚えればよい。
こうして形式的にホーダ(さっき後述するとか言いておいて説明するのを忘れた。簡潔に言えば楽器隊とコーラス隊が円形に並んでその真ん中で一対一の組手を行うことだ。)を終えると、私の腰にはカポエィリスタの世界に足を踏み入れた証の黄緑色の帯が巻かれた。(最初に取得する帯の色や、そもそも帯で段位を示すかどうかは流派によって異なる。)
この真ん中で手を挙げているのが私だが、
釈迦の誕生のポーズでカポエィリスタ誕生ってか笑(急にどうした??)
カポエィラを始めてよかったと思う?
即答する。よかった。
私がカポエィラを始めてよかったと思うことを挙げていく。
①自身の成長が肌身にわかる
何か新しいことを始めることは、社会人になるとめっきり経験する機会が減る。新しいことを始めたときは、大抵の場合何にもできない状態からの出発になるが、そもそも「何にもできない状態に置かれる」ということ自体が貴重な経験である。
カポエィラは側転(に近い動き)での移動や、両腕だけで体重を支える姿勢をとる必要があるが、当然始めたばかりのときは何にもできない。これがレッスンの回数を増やすうち、少しずつ、本当に少しずつであるが、着実に、できるようになっていく。小学生のときに初めて跳び箱の6段を飛びこえることができたときや、初めて鉄棒で逆上がりができたときのような喜びがある。
自分の成長を実感することの嬉しさを、私はカポエィラを通して久しぶりに思い出すことができた。
②仕事の疲労を上書きする
私の通うカポエィラ・テンポ東京は、平日夜と、休日昼にほぼ毎日レッスンが行われており、任意のタイミングで受講することができる。
仕事終わりに行き、レッスンで汗をかいて帰宅すると、その日の疲労をカポエィラで完全に上書きすることができ、大変寝つきが良い。
③新しい文化への興味
結局説明に割くタイミングを逃したが、どのカポエィラの団体もホーダ(集会)と呼ばれる演武会みたいなイベントを定期的に行う。
ビリンバウやパンデイロなどの楽器(流派により使用する楽器は異なる)を中心に円形に整列し、組手への参加を待つメンバーが歌や手拍子で盛り上げる。そしてその円の中心で一対一の組手を行う。
この投稿では、便宜的にカポエィラを格闘技と分類して話を進めてきたが、カポエィラをやるうえでポルトガル語や、楽器や歌、そして手拍子で刻むリズムなど音楽を要素を避けて通ることはできず、単純な「格闘技」として理解できるものではないと考える。
カポエィラはブラジルの多様な文化の要素を含む、いわば総合芸術みたいなものと私は解釈する。本投稿の途中で書いた通りカポエィラの歴史はブラジルの歴史そのものとも交差している。
2012年、こうした背景を踏まえ、カポエィラのホーダはユネスコの無形文化遺産に登録された。カポエィラが、ブラジル文化の結晶といっても決して誇張ではない。
イタリアにはオペラが、日本にはお笑いが、ブラジルにはカポエィラがあるのだ。(日本を代表する文化ってお笑いなの?と感じるかもしれないが、日本のお笑いは、日本の時事やあらゆる日常の風景に異変を混ぜることで笑いを生み出している。お笑いは日本にあまねく、あらゆる文化的背景が前提となっており、日本の文化の結晶といっても過言ではない(これは過言かもしれない))
私は今後も可能な限りはレッスンに継続して通う予定であり、より深くカポエィラを理解しようとポルトガル語を始めた。
ブラジルの文化について多方向の入り口となりうるカポエィラの広さと深さに今後しばらくは驚き続けることだろう。
おわりに
本投稿を通してもしカポエィラに興味が出たら、近くのカポエィラ教室を訪ねるとよいだろう。特に、カポエィラの演武会みたいな組手みたいな「ホーダ」はどこの団体でも無料で観覧できることが多い(私の通うカポエィラ・テンポ東京もそうだ)。HPからホーダの日程を確認してみてほしい。(依頼されて宣伝しているわけではなく、完全に自主的にやっているので安心してほしい)
もし受講を考えている場合は、下記リンクから気軽に問い合わせも可能だ。なお、本当に興味が出て受講することになっても「本投稿を見て来ました!」などと声高に主張する必要はない。この教室は生徒数が多いのでYakisobaのnoteって言っても誰にも伝わらないと思うし、他の受講生に見つかったら普通に恥ずかしいから。
さて、私がカポエィラを始めたきっかけは何だったか?
おさらいすると突発的に現金を入手したことであり、その現金は骨髄バンクドナーの助成事業で受け取ったものである。
カポエィラを始めて、改めて骨髄バンクドナーになった経験は貴重なものだったなと振り返る。ややいびつな因果だが、骨髄バンクドナーになってよかった。前編に引き続き、ドナー登録方法が記載されたリンクを掲載して本投稿を締める。登録することで未来の不確実性が高まると思う。
前編をご覧になっていない方は下記リンクから是非どうぞ。
最後まで読んでくれて本当にありがとう!
(おわり)