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聖霊の具体的な導きについて

聖霊による具体的な導き(以後、聖霊の導き)について、どう考えるのかということは、コース学習者の間でも、統一的見解はないように感じます(学び方は人それぞれですので、統一的見解の必要などないかとも思いますが)。ワプニック博士の解説のみでコースを学ぶと決めた学習者の方々の間では、聖霊の導きは、全面否定ではないものの、否定されがちのように感じております。どうして、ワプニック博士は、当初は博士も肯定的であった聖霊の導きを否定するようになったのかといえば、それは学習者の多くが、自我の闇と向き合うことをせずに、聖霊の導きばかりを求めていた状況に違和感を覚えたからではないだろうかと思います。実際、ヘレンさん自身、そういう傾向があったようです。この点に関する、博士の指摘はとても正しかったと思います。とはいえ、聖霊の導きを求めている人たちを、間違った実践をしている人たちだとしてしまったことに関しては、博士は大きな過ちを犯してしまったように感じています。というのも、聖霊の導きを求めることと自らの自我の闇に向き合うことは、あちらを立てればこちらが立たずという関係ではなく、両方同時に成り立つもの、成り立たせる必要があるものであり、イエスの意図もそこにあったと思うからです。イエスは人間の弱さというものをちゃんと理解しており、自我の闇に向き合うことだけをすることは、大抵の人にとってはどだい不可能だと考えていたように思います。わたしたちが自我の闇に向き合うためには、わたしたちの生活における具体的な必要性を満たしながら、それを行うことが大切だと考えていたように思います。ですから、博士が、聖霊の導きを求める実践を間違った実践としてしまったことは大きな過ちであり、コースの学習環境に大きな混乱を招く原因になってしまったようにわたしには思われるのでした。

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