マインドにより生み出された解説
いま、久しぶりに「愛のコース」の序文を読んでみたのですが、この書は、明らかにワプニック博士の解説に対する完全なるダメ出しの書なのではないかと感じました。
序文には次のようなことが書かれています。
ワプニック博士の解説を学んだことのある方であれば、博士の解説は度量が狭く、堅苦しいという印象を持ったことがある方も多いのではないでしょうか。そして、その度量の狭さを「妥協なく真理を守る」ということで正当化してしまいます。
博士は、著作権を盾にして、自分の解釈とは違った、コース(奇跡のコース/奇跡講座)関連の本を出版差し止めにしたり、学習会を解散にまで追い込んでいたようです。
また、「助けになるよう誠意をもって愛を語ると同時に、論理的に攻め込む」とは、まさに博士の解説の特徴ではないかと思います。
愛のコースの序文はつぎのように続きます。
この部分に関しては、まさにJACIMフォーラムを描写しているように感じます。
ワプニック博士の解説は、ハートではなく、マインドにより生み出された解説であるということだろうと思いました。
とはいえ、イエスには、博士のことを責める気持ちは微塵もなく、ただ単にマインドが何をしでかすかの説明をしているだけなんでしょうね。