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マインドにより生み出された解説

いま、久しぶりに「愛のコース」の序文を読んでみたのですが、この書は、明らかにワプニック博士の解説に対する完全なるダメ出しの書なのではないかと感じました。

序文には次のようなことが書かれています。

マインド(頭、思考)は愛についても語りますが、新たなルールでハートを縛りつけ、「これは正しい」「これは間違っている」と言い続けるのです。愛について語りながらも、自らの度量の狭さや評価を下していることには気づきません。また、助けになるよう誠意をもって愛を語ると同時に、論理的に攻め込むので、新たなルールのはずなのに愛と優しさを求める敏感な人たちのハートを傷つけます。敏感なハートの持ち主は、「こんなふうに感じる自分は間違っている」と自分に言い聞かせ、自分の知らないことがあるに違いないと思い込み、敏感なハートを守ろうと覆い隠します。

ワプニック博士の解説を学んだことのある方であれば、博士の解説は度量が狭く、堅苦しいという印象を持ったことがある方も多いのではないでしょうか。そして、その度量の狭さを「妥協なく真理を守る」ということで正当化してしまいます。

博士は、著作権を盾にして、自分の解釈とは違った、コース(奇跡のコース/奇跡講座)関連の本を出版差し止めにしたり、学習会を解散にまで追い込んでいたようです。

また、「助けになるよう誠意をもって愛を語ると同時に、論理的に攻め込む」とは、まさに博士の解説の特徴ではないかと思います。

愛のコースの序文はつぎのように続きます。

あなたは同じ言葉を話さなければ分かち合えないと考え、マインドの言葉へと後戻りします。マインドは、混乱することやオープンになること、そしてオープンであり続けることや、知らずにいることをとても嫌います。まるで船が一か所に留まるための碇を必要としているかのようです。そして、マインドは変化の大波に苦しみ、流れに抵抗し、嵐に立ち向かいながら力を強めていきます。いつも安全や確かさを感じられる場所へ戻ろうとしながら、どこへも進みません。変容や創造を目撃することもなく、現実に挑む新たな展望もありません。

この部分に関しては、まさにJACIMフォーラムを描写しているように感じます。

ワプニック博士の解説は、ハートではなく、マインドにより生み出された解説であるということだろうと思いました。

とはいえ、イエスには、博士のことを責める気持ちは微塵もなく、ただ単にマインドが何をしでかすかの説明をしているだけなんでしょうね。

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