ガッチャマン

1989年生まれ。2012年大学卒業。院修了直後に病魔に襲われ障害者に。主に文学につい…

ガッチャマン

1989年生まれ。2012年大学卒業。院修了直後に病魔に襲われ障害者に。主に文学について語るというか書きます。時々英語やフランス語、ドイツ語の本に触れることがありますが「エセ教養」と思っていただければ。別に研究者じゃあるまいし、楽しむだけなら翻訳でもいいという立場。

最近の記事

小山次郎『ラテン語と英語』(文芸社、2005年)

前回の投稿時より1年以上経っているのでリハビリとして本の感想を上げたい。 ずいぶんと説明を簡略化していることが分かる。第1変化名詞から第5変化名詞までの違いについては言及を避けたり何語尾型かという説明を省略したり分詞の説明について簡略化したりしている。 こうやって簡略化しているおかげでラテン語の「枝葉末節」が取り除かれて、まあまあ頭に入りやすい。 でも欠点としてはあくまで英語を理解しやすくするための必要最小限度の解説に留めているから不完全燃焼状態である。 32頁で早々

    • フランコフォンの世界(原題:Les variétés du français parlé dans l'espace francophone)(2019年、三省堂)

      この本、学術的にどれだけの価値があるのかは知らないが、フランス語の学習という観点からは大変有益な本であると思う。 見開きでフランス語の原文と訳文とがのっかっており、辞書を引く暇を省いてくれる。語彙は一般的ではないが・・。athéeが「無神論の」という意味なんて分からない。 インタビューに収録してあるのは当然インタビュー録だから発話を述べているので、あえて俗な言い方をすれば「生きたフランス語」を幾分か感じ取れる。本書には英語がフランス語に影響を与えている者の発話が登場する。

      • 福井晴敏『震災後』

        2013年、すなわち餃子の王将の社長さんが殺された9年前に読んだときの感想。震災というものが日本沈没並みにバカバカしいと考えるかどうかは人によるであろう。 ↓ 震災後から半年程度で書かれたもの。あの頃は原発事故も未だ一段落せず、という感じであったとは思うが、それにしては、克明かつ俯瞰した感じで書いている。 平平凡凡なサラリーマン主人公がいろいろあって、熱情に衝き動かされ、講演会(学校の体育館ではあるが)に登壇、しまいは万雷の拍手というのは、なかなか読ませるところがある。

        • おもひでぽろぽろの英訳

          結構前に「おもひでぽろぽろ」という題の文章を上げたが、その英訳を公開する。 In the third year of my stay in the hospital, a new nurse had come in. Her familyname started wirh a letter of "T", which reminded me of a samurai drama. I was indignant with her because she impersonat

        小山次郎『ラテン語と英語』(文芸社、2005年)

          カズオ=イシグロ(土屋政雄訳)『クララとお日さま』(2021)

          主人公は人工知能を搭載したロボットというので、新たな時代の小説かと思いきやこれまでの伝統的な文学の流れに位置づけられると思われるのだ。 お手伝いが見聞きしたことを語るというのは『嵐が丘』の家政婦ネリーを想起させる。そういう点で本作品はイギリス文学の系譜に位置づけられるのだ。英語原文を読むと、益々その思いを強くする。realizedであってrealisedではない、centerであってcentreでない、sidewalkであってpavementでないなど、イギリス人でも基本的

          カズオ=イシグロ(土屋政雄訳)『クララとお日さま』(2021)

          ゲーテ(荒俣宏訳)『ファウスト』(2011)

          これは文学作品史上名作らしい。だから付き合ってやることにした。読後感は詰まらないだった。 なんでつまらなかったかというと、ブロッケン山に魔女が集まってサバトを開いてどうのこうのっていう下りが朝の戦隊ものを見せられているようで、幼稚くささを感じてしまうからだ。 本文よりオモチロイのは(水木しげる氏の言葉づかい。笑い声を「ケケケ」と表現するなど、荒俣氏は盟友水木氏の影響を大いに受けていると思われる。)荒俣氏の訳注である。現代人の文章だから訳注だけポッと浮き出たように本文の繁み

          ゲーテ(荒俣宏訳)『ファウスト』(2011)

          おもひでぽろぽろ

          入院3年目に新たな看護師がやってきた。Tという時代劇を思わせる看護師だった。この人は意地悪と言うか、能力が低いにもかかわらず自分はできますアピールをして癇に障った。その人はいつもフンフフンフ♪と鼻歌を歌っており、明るいのとウルサイのとは別ですから、残念!という心境だったし、自分は鼻歌を歌いながらでも仕事をこなせますアピールをしているようだった。 後者のような印象はあるエピソードをうけての自分の印象に過ぎない。そのエピソードを今から説明する。 僕はナースコールで看護師さんを呼ん

          おもひでぽろぽろ

          バルザック(水野亮訳)『「絶対」の探求』(原題:La Recherche de l'absolu)

          翻訳を読むと読みやすいので良訳だな、と思う。一か所えっ・・と思うのは娘マルグリットが成年に達するまであと4,5月なのか4,5日なのか。おそらく後者だろうが。 訳注で疑問にふされているということはない。もちろん原書と首っ引きで調べたわけではないので本当のところは分からないが。 ところでフランスの小説は人の名前が言いにくいのはなぜだろうか。ヌシンゲンとか。 訳者の言葉で「読者の退屈をおそれるバルザックは、全巻四百ページのうち、難物の化学には、わずか八ページしか割かなかったとい

          バルザック(水野亮訳)『「絶対」の探求』(原題:La Recherche de l'absolu)

          芥川龍之介『舞踏会ほか 大活字本シリーズ』

          当然芥川の作品なので彼は没しており、彼に校閲してもらうことができない。彼自身が間違えたか、第一次出版社が間違えたか、青空文庫の底本出版社が間違えたか、青空文庫の編集者が間違えたか、この本の出版社が間違えたか。楽譜ではそういう論議があるが、小説(特に日本の小説)ではそういう議論がほとんどない。自筆原稿も捨てられているだろうし。たとえば「炎」の読み仮名を「ほのう」としているのはどういう訳だろう。旧かなでも「ほのほ」であり、旧かなを新かなにしたとしても間違いであろう。 「舞踏会」

          芥川龍之介『舞踏会ほか 大活字本シリーズ』

          ウィリアム=シェイクスピア(大場建治訳)『ハムレット』(2010,研究社)

          前 『越前敏弥の英文解釈講義』(2021,NHK出版)が取り扱っている『クリスマス・キャロル』の中にハムレットの父親の幽霊の話が出てくるのと、以前noteにウィリアム・シェーク。スピア(松岡和子訳)『リア王』を書いたからシェイクスピアでもいいかと思ったのである。 朝ドラの「ちむどんどん」の役者がアドリブをやりすぎて、原作軽視という批判があるが、ここに脚本家の口吻が表れていると思う。 ハムレット「・・それに道化役だが書いてある台詞以外はしゃべらせないでほしい。よくいるんだ、

          ウィリアム=シェイクスピア(大場建治訳)『ハムレット』(2010,研究社)

          日記とtwitterとの違い

          何となく両者は違うなあと思っているがはっきりさせたいので文章にしたい。 日記もTwitterもその時あったことや感じたことを印象が新鮮な内に記録する。だから当時何があったか、どう感じたかを考える縁にはなる。 でも違いは当然ある。まっさきに思いつくのは人に見られることを前提にしているかどうか。当然オチのない話やら単なるメモはTwitterに記録されない。でもこれはネットを用いたあらゆる媒体、ブログやnoteにもいえることである。Twitter固有にいえるのは 140文字と

          日記とtwitterとの違い

          越前敏弥『越前敏弥の英文解釈講義』(2021,NHK出版)

          誤植を一つ発見。ディケンズの生涯を振り返る146頁で「私生活では・・40代半ばの1957年・・」。おそらく1957ではなくて1857とかだろう。 英語の勉強という点での感想は、なんかにているなー類書と。「ヘミングウェイで学ぶ英文法」やらと。英文が挙げられて、下線が引かれて、「このitは何を指してますか?」などと。それから解説があって、問と「答」なるものが後で述べられているのも似た本があるという雰囲気を醸し出す。違うところといえば「勉強会」があって会話が繰り広げられていること

          越前敏弥『越前敏弥の英文解釈講義』(2021,NHK出版)

          鈴木輝一郎『新・何が何でも作家になりたい!』(2013年)

          僕は創作サイトでこの本の存在を知ったが、サイトを見なくてもこの題名からしてこの本にたどりつきそうだ。 文章術を教える本かと思ったが、そういうのはほとんど教えてくれない。税金とかネット環境とかデータベースとか作家さんの日常風景が紹介されているといった感じ。 こういうこまかーいのを先に配列しているのは、こんな地味で泥くさい仕事だと分かったうえでそれでもこの仕事を愛せるのか?ということだと思う。お金を稼ぐだけならもっと実入りのいい商売があるもん。youtuberとか。嫌味ではな

          鈴木輝一郎『新・何が何でも作家になりたい!』(2013年)

          東電株主総会から見える総会運営の課題  

          問題の株主総会は10年以上前に開かれたから相当昔だ。こんな昔の文章載せるのは自分は法学部出身だったといいたいから。 ↓ 昔書いた文章から。昔書いたので、神田先生の会社法が版が古くなっていたりします。半ば妄言に近い雑記です。              東電株主総会から見える総会運営の課題   狙い  福島第一原発事故をうけての2011年6月28日の東電株主総会は、紛糾を極めた。株主総会運営の様々な問題点が浮き彫りになったとは思うが、その中でも、私は特に、株主の経済的利益の主

          東電株主総会から見える総会運営の課題  

          芥川龍之介『秋』

          今(2022年3月14日)は秋ではなく、春を通り越して初夏の陽気であったが、夜は涼しくなった。夜更けに読んでみてもいいかもしれない。 あらすじのみだとこの作品がハイライト、つまり妹の涙、それに対して残酷な喜びを覚える姉にむかって進行している感じで、それ以外の部分が閑却されかねない(閑却という言葉はこの作品で覚えた。)。 何を語っているかではなく、何を語っていないかに力点を置くべきだという「黙説法」という解釈手法を取ると、妹がなぜ泣いたか妹の暮らしぶりについて暗い部分がある

          芥川龍之介『秋』

          夏目漱石『こころ』の読み直し

          『こころ』なんて本をよく読む人、つまり読書家さんにとっては当然遠い昔の本で、既読だと思います。だからこれを推薦本にするなんて恥知らず!推薦されんでも読んどるわい!再読する暇があるならクロード・シモンでも読んだ方がいいなどと。でも再読すると忘れていたことや、読みの浅さ以前にいかにこの本が読まれていないかが分かる。 最初読むと訳のわからない小説で難儀する。もっとも理解しやすいのは「先生」が悪い親戚に財産をだましとられたことくらい。 でも再読すると前より楽しめるはず。「先生」の

          夏目漱石『こころ』の読み直し