Gwen Berry というアスリート
Gwendolyn Denise Berryはアメリカのハンマー投げの選手です。そして「活動する運動選手(ACTIVIST ATHLETE)」を標榜している人です。
Gwendolyn Denise Berry〜1989年生まれの32歳。ハンマー投げを専門とするアメリカの陸上選手。高校時代はバスケットボール選手でオフシーズンには陸上競技(短距離や三段跳び)をしていた。大学在学中にハンマー投げをはじめ、卒業後も国際大会で1位など優秀な成績を残す。2019年に金メダルを獲得した授与式中に人種差別への抗議アピールを行ったとして1年間監視対象として警告を受け多数のスポンサーを失う。
キャリア
貧しい13人家族の中で育つ。15歳で出産、一男の母で未婚。高校在学中に走り高跳びで記録を残しイリノイ州から奨学金を得て2007年に大学へ進学。心理学と刑事司法を学ぶ。大学でハンマー投げをはじめ2008年に全米ジュニアでトップ5の成績をおさめ卒業後にプロのキャリアを開始。
2012年にオリンピック代表候補になるが7位で終わる。2014年の南北アメリカ大会で世界1位に。2016年はブラジルオリンピックに米代表として出場。
2019年に南北アメリカ大会で世界1位(授与式での抗議パフォーマンスでで警告処分)。そして2021年6月、東京オリンピックの出場権を得た大会の授賞式でも米国旗を無視して抗議パフォーマンスで物議をかもした。
彼女が2018年に記録した77.78メートルは世界歴代5位の記録である。
貧しい生活
若い父(17歳)とその祖母、祖母の3人の子供、その孫たち13人との共同生活。祖母は仕事を掛け持ちし若い父や叔父たちも食べるために働く。町は薬物に汚染され近所や周辺は暴力にあふれている。それが当たり前の日常の中、祖母を除けば孫で唯一の女性として育っている。
家の掃除や雑用を終えれば、ゴミ捨て場で他の従兄弟等とゴミを投げ合って遊ぶ。男孫の中で育ち運動は得意になったがそれはゴミ捨て場や裏庭での遊びに限られテレビもなくスポーツを知る機会もなかったという。
差別との出会い
小学校へ進学することで自身が「黒人であること」をはじめて認識する。バスケットボールの白人のチームメイトから招待された家で「普通の」生活の眩しさを知り格差を知る。そして競技においても才能ある黒人を望まない世間の言動に傷つく。
結果を残せば白人は学校の誇りとされ、黒人は疑問と不信をもたれる。そんななか、白人を喜ばせる別人であることを、思う通りの人物であることを無意識に強制され機会の不平等にさらされたといいます。
高校での気づき
暴力的なイメージをもたれる郊外(2014年には18歳の黒人少年が警察官に射殺されている)で育ち、10代で出産した貧しい黒人女性。それは彼女の可能性を暗に狭めてくる社会的抑圧を固定化する事実でした。周囲は彼女に期待せず、また彼女自身も将来の選択肢を期待できなかったのです。
結果を残しても正当に評価されないチームスポーツではなく、個人競技の陸上での活躍と反響は彼女にとって大きな突破口になります。
誰もが無視できない結果を残し大学への奨学金を掴んだのです。自分の未来を変える力とその権利が自分にあることを知ったのです。
大学進学、偏見の客観化
アメリカという国が黒人に対して排他的であったことを歴史を通し学んだことは彼女に大きな変化を与えます。彼女が残す結果に対して多くの教育者が「驚く」ことに、根強い先入観と無識な差別感覚が社会にあることを再確認します。
黒人活動家から学んだことも多かったようです。父と叔父も差別解消運動に参加していましたが「影響力をもつ人物になること」が彼女の一つの目標となりました。アスリートの世界では黒人が活躍していますが、娯楽として扱われ、偏見に満ちた社会のルールに従うことを強制される奴隷のようであると感じたと言います。
大学のコーチが差別的だったこともあるようです。彼女が必要とされたのは「身体能力に優れたから」であり白人に比べて「従順である」からと聞いても絶望しなかったのは彼女が自身を信じ自分と同じく社会を変えられることを親族や書物から学んでいたからでしょう。
しかし彼女は大学にいる間、コーチや大学が求める別人格のように活動し、求めれる結果を残すためにその肉体と精神を削り続ける必要がありました。
本来の自分への回帰と、責任への決意
大きな転機はジョージ・フロイドとブレオナ・テイラーが死んだ事件です。
ブリオナ・テイラーへの銃撃事件〜救急救命士だったアフリカ系アメリカ人のブリオナ・テイラーが自宅アパートに踏み込んできた警察官に複数回銃撃され死亡した。(wikipedia)
ジョージ・フロイドの死〜アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが警察官の不適切な拘束により殺害された。(wikipedia)
それは彼女の住んでいた地域で起こったマイケル・ブラウンの死を想起させました。それを無視してきた自分、家族の誰かが犠牲になったかもしれないことを痛感します。そして自分を偽り社会の求める娯楽の一部となる、奴隷的アスリートであったことを反省します。
また練習中に出会った黒人ホームレスとの触れ合いも影響します。ただの同情であったとしても、街中に安心して眠る場所も無い現実が社会責任を放棄してきた偽りの自分を壊す決定打となりました。
そして初めての抗議アピール、パンアメリカ大会で優勝し、表彰台で突き上げた拳へとつながります。
罰金と1年間のペナルティー
変化を恐れないことが、変化のために必要なことです。彼女はオリンピック委員会を支持する大会でその規則を破り政治的表明をしました。当然のように大きな批判を受け、そして罰則と損失を受けます。
しかし今現在、米国オリンピック・パラリンピク委員会は表彰台での平和的抗議に罰則を適用しないことを発表したことに、無関係とは言えません。
彼女は社会の一部を変えたのです。彼女はメキシコオリンピックでブラックパンサー党に抗議したジョン・カルロスとトミー・スミス、そしてこれまで多くのスポーツ団体で変革のために処罰された同志達の列に加わったのです。
戦いは終わらない
彼女は決意を新たにしています。東京オリンピックの代表となった彼女は国際オリンピック委員会にも変化を期待しています。そしてたとえ引退した後も行動を辞めないといいます。
少数派でも正当に称賛され、平等に機会を与えられ、信頼と期待を受けられる社会の実現を信じているのです。
多くの情報を彼女のインタビュー(Youtube)とインスタグラムアカウント(@mzberrythrows_)から得ました。
https://youtu.be/as-4j9GauOk
https://www.instagram.com/mzberrythrows_/