早稲田理系が語る、やはり発達障害やADHDは村上春樹的手法の影響としか思えないお話
こんにちは⁉️
受験に例えるならば
数学に興味があります!
数学が好きです!
という人物を基準にしたとする。
普通、一浪すれば東大位受かるだろ!
だって12年も勉強しているんだよ?
で、数学、算数が好きなんだよ?
一年浪人すれば、好きな事(数学)好きなだけ出来るじゃん!
という理屈にかなり似ている。
また、普通の人は上の人々みたいに、才能(実は社会性なんじゃないかと思っている)は無いので、
極めて勤勉に、コツコツと学力を付けている。(つまるところ社会性すら忍耐と努力である)
したがって、私も含め、普通の言語能力(社会性)普通の勤勉さ、普通の努力しか出来ない、人々は
多かれ少なかれ、発達障害的なのではなかろうか?
普通の人々を、
知っていて、何となく不安にさせる手法は、やはり村上春樹的な手法なのでは、なかろうか?
つまるところ、「共感」という単語の意味には、文字通り、他人の気持ちに自分も同化して、という意味あいなんだが、
当然、共感力が無いとぎすぎすした社会になるので
共感する事っていい意味の単語なんだが
無意識に、共感力が無い人は駄目!
みたいなニュアンスが多少なりとも含まれていて
村上春樹的手法の人々は、仕事や公の場でのみ自分たちは共感します!(マスコミとかも)
という戦略により、圧倒的に勝ち!
なのであり、このような、自分たちに都合の良い言語感覚、により教科書すら、専門書すら、書かれている。
したがって、普通の言語能力の人々(共感は共感)
としか認識しない普通の人々ってどこかしら、発達障害的!
と感じる世の中なのではなかろうか?