中途障害な私の障害受容とキャリアの描き方(GATHERING動画紹介シリーズ:白井さん前編)
今回お話を伺ったのは白井長興(しらい・ながおき)さん(41)。白井さんは東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のメンバーとして広報やコンテンツ制作を担当しています。また2016年にはNPO団体を設立、現在も理事を勤めています。穏やかな物腰でテキパキとインタビューに応じて下さった白井さんですが、社会に出ていく過程の中でつまずいたこと、困ったことも多々あったそうです。今回はそんな白井さんが自身の経験を元に、「障害受容」の考え方について語ってくれました。
白井さんについて:中途障害〜大学まで
白井さんは中学校を卒業した直後、レジャー用のプールに誤った飛び込み方をして頭を強打、首の骨を折る大怪我をします。その場に居合わせた方々の救助や処置のおかげで、幸い一命は取り留めることができました。しかし白井さんは脊髄に大きな損傷を負い、車椅子での生活を送ることに。厳しいリハビリテーションに励むため、高校入学を遅らせる決断を余儀なくされたそうです。15歳から16歳にかけて、思春期まっただ中での突然の事故。感情をコントロールすることができず、両親に厳しい言葉を投げつけてしまったり、夜に病院のベッドの上で泣いたりと、精神的にも不安定な時期が続きました。なんとか半年遅れで高校に復学したものの、障害を負った自分に対する周囲の「優しさ」に思わず「辛いなあ」と感じてしまうことも。
のちに白井さん自身は、当時を「暗闇の高校時代」と振り返っています。
しかし、大学入学をきっかけに「このままではいけない」という思いが白井さんに芽生えていきます。履修科目を決め、講義を見学する際には「必ずひとりには声をかけ、友だちを作る」というルールを自身に課したのです。最終的には20人ほどと交友関係を広げることができたそうです。交友関係が広がり、学校生活を楽しめるようになっていく過程で、この「ルール」そのものは自然と消滅していきました。それでも、この経験は白井さんの中でも大きなものとなっていきます。
「障害受容」の考え方
「障害受容」は文字通り、自分の障害を理解し、できることとできないことを理解し、すべてを受け入れること。だれにとっても簡単にできることではありません。特に中途障害の場合は、自分がこれまでできていたことができなくなる、という事実に直面することになります。加えて「自分の障害を受け入れなければ」という考え方そのものがプレッシャーになり、ますます追い込まれてしまうことがあります。
10代の頃、リハビリに励んでいた白井さんをさいなんだのは、おそらくこうした感情ではないでしょうか。しかし、白井さんの場合、大学で交友関係を広げることで、自分のこと、また自分の障害のことを語る機会が生まれ、それによってさまざまな経験や感情を整理できるようになったと言います。また、白井さんはインターネットを活用することで生まれる可能性についても言及していました。さまざまな人の声が集まり、多様なエピソードや価値観を知ることができるインターネット。価値観の交流や新しい学びが自然発生するツールが、身近になった時代です。だれかに話を聴いてもらうことで自分自身が置かれている状況を客観的に把握し、整理すること、こうした「関係性の中での障害受容」を通じて、人生が開拓されていくこともあるのです。
中途障害と付き合いながら、働く。
そんな白井さんは一体どのようにして大学卒業後のキャリアを思い描いていたのでしょうか。その前に少し、脊髄損傷を負った後の白井さんが社会に出る上で、どのような困りごとがあるのか、お話を伺ってみたいと思います。
まず白井さんが挙げたのが排泄にまつわる困りごと。身体感覚を把握するのが難しいため、失禁してしまうことがある、またはおむつをせざるを得ない、という当事者の方もいるそう。トイレへ行く、または着替えをする、という動作に介助が必要になることも多いです。こうした排泄に関する困りごとは、当事者の方が社会に出て働くことをより難しくしています。
続いて挙げられたのが体温調節にまつわる困りごと。白井さんの場合は発汗機能がないため、汗をかくことで体温を下げることができません。また体を動かすことができないので、寒い地域では体温が下がってしまいます。体温を適切な状態に保っておくことが難しく、体調を崩しやすいそうです。
先ほど挙げた排泄のコントロールに影響が出てしまうことに加え、場合によっては命に関わることも。
健常者の方ならすぐにできることでも、白井さんの場合は「工夫しながら、機械とかも使いながら、上手くいって」十倍近く時間がかかるそうです。トイレ、お風呂など生活に必要不可欠な行動でも介助が必要になることがあり、「人の手を借りずに生きていくことが難しい」ことが前提になってしまいます。
時間がかかる、という問題はもちろんビジネスの場面でも。たとえば複雑なタイピングを必要とする作業では、指一本で文字を打ち込む白井さんと、両手を使って作業できる人では、どうしても進捗に差が生まれてしまいます。
もちろんこうした障害の在り方や経験はそのひと個人によってさまざま。当事者の方々はそれぞれ工夫をしながら生活しており、白井さん自身も医師やヘルパーさんと協力しながら、また自分のできること・できないことを見極めながら、さまざまな工夫をしています。
そんな白井さんの就職活動や、キャリア形成はどのようなものだったのでしょうか?中編では白井さんの大学卒業から現在に至るまでのお話を伺っていきます。(中編へ!)
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中編はこちらからご覧いただけます👇
最後まで読んでいただきありがとうございました!実際のインタビューの様子はこちらから視聴することができます。ぜひご覧ください!
白井さんが代表を務めるNPO法人シェイクハートプロジェクトのリンクはこちらから!
白井さんが担当している東京オリンピック・パラリンピック組織委員会についてはここから!東京オリンピック・パラリンピック組織委員会でのお仕事については後編に詳しく掲載します。
https://olympics.com/ja/olympic-games/tokyo-2020
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