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自称晴れ男とモームの言葉
みなさんは晴れ男とか晴れ女って信じるタイプですか?
私は10段階でいうと8か9くらい強めの晴れ男だと、昔から自称しています。
学校の運動会のような集団でのイベントは別として、今までプライベートでの旅行の時や節目の日に天候が崩れたことはほとんどありませんでした。
毎度晴天を見上げては「うーん、さすが俺!」なんて一人悦に浸っているわけです。
ところが、近く予定している小旅行の日程の予報を見ると、思いっきり雨。
「おいおい誰だよ、俺を上回る雨男/雨女は?」なんて、一緒に行くメンバーの顔を思い浮かべていた時、ふっと気づいたのです。
「ああ、矛盾してんな。」と。
私は占いや迷信などを信じる方ではありません。
「何の科学的根拠があって…」の枕詞でシャットアウトする、まあよくいるタイプです。
と言いながら、晴れ男だなんだというのも、普通に考えたら「何の科学的根拠があって…」という話ですよね。
人のことは目についても、恥ずかしながら自分のことは見えているようでなかなか見えていません。
ここで思い出したのが、私の好きな作家、モームの言葉です。
「人間は矛盾に満ちた存在である。」
モームは20世紀のイギリスを代表する作家で、彼の作品にはこの人間観が通底しています。
彼は文学作品において、登場人物が一貫した人間性に基づく言動を取る風潮があることに、異議を唱えていました。
「人間はそんな一貫性のある生き物ではない。一見すると矛盾しているように思われる二面性を、誰しも備えているものだ。」と。
読者の方からすれば、登場人物がどんな性格なのかイメージがつかめていた方が読みやすいです。キャラクターにブレがあると、話に入り込めず混乱する可能性があります。
例えばアンパンマンが何の脈絡もなく困っている人を見捨てたり、バイキンマンの悪事に手を貸すようなことがあれば、こちら側は「どうした、アンパンマン?」と心配になりますよね。
そのため、文学作品においては人物の性格や行動癖のイメージを読者に提示しておいて、それに沿ってストーリーを展開させていく方が理解しやすく、流れもスムーズになるわけです。
しかし、現実の世界は違います。私の雨男の話のように、人は往々にして言行不一致であったり、他人から見ると理解できない行動をとったりします。
以前は優しかった人が急に冷たい態度を取ったり、あるいは普段不愛想な人が実は意外とおしゃべり好きだった、なんてことはよくある話ですよね。
当然ながら人は様々な一面を持っており、とても一言で表しきれるような存在ではありません。
それが文学作品になると、人物が一貫した性格に基づいて話が進んでいくのはおかしいだろうと、モームは思ったわけですね。現実の人間の姿を表現しきれていないと。
そのため、モームの作品は短編でも長編でも、主要な人物がこの一見矛盾したように見える態度を示しながら話が進んでいきます。それでいて、全体としてはストーリーも人物像も整合性が取れているので、読んでいて見事だなあと思わされます。
こうしてモームの作品に出会ってから、身の周りの人を深く見つめる度に、この「人間は矛盾に満ちた存在である。」という言葉を思い出すようになりました。
先ほどの晴れ男の話をきっかけに、その言葉が自分にも向いたわけですね。
もちろん柔軟性も大事なんですが、度が過ぎると信頼を失うこともあるので、なるべくブレずに生きたいものです。
とか言いつつ、まだ「俺の晴れ男パワーで予報が変わってくんないかなあ」なんて思ってもいます。
今年で40になりましたが、凡人には不惑の境地は難しいですね。
いっそ開き直って、ワクワク(惑惑)しながら生きていきたいと思います。
はい、おあとがよろしいようで。