川端康成『雪国』を読んでいたら英訳版まで買ってしまった
以前の記事(上のリンク)で川端康成の作品の翻訳を手掛けたサイデンステッカー氏について触れましたが、それがきっかけで、最近になって初めて『雪国』を読みました。
川端作品は他に『伊豆の踊子』しか読んだことがないので全部がそうなのかは分かりませんが、少なくとも『雪国』では非常にあいまいな表現や、感覚的な言葉を用いた描写が多く、これをどう英語で表現するのか気になってしょうがなかったので、読み終わる前に英訳版も買ってしまいました。
もともと翻訳には興味があり、大学に入る前からプロの翻訳家・通訳者のエッセイや技術論を色々と読んだり、大学に入ってからも翻訳論の講義をいくつか受けていたので、こうして2か国語間の表現の違いを比較する作業というのは非常に楽しいです。
『雪国』といえば冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」という部分が有名ですが、例としてこれを英訳版と比べてみると、
となっています。
日本語の方は、汽車の窓から外を眺めているような語り手の視点であるのが、英語の場合は汽車がトンネルから出てくる様子を遠い外から眺めているような視点に感じます。
2文目の「夜の底が…。」の文も、日本語だと詩的な表現であるのに対し、私の主観ですが、英語の方は見えている風景を割とそのまま書いている感じがします。
当然言語が違えば事物の捉え方が異なるので、完璧な翻訳というのは存在しませんし、翻訳者の解釈に委ねられる部分も多分にあります。
サイデンステッカー氏も本編が始まる前の導入部分の解説で、「翻訳に際しては原文に手を加えたり、数ある解釈の中から一つを選択するなど、終始一貫した手法を取っていないことを予めご了承いただきたい。」という旨を述べています。
一つ一つ例を挙げて原文と翻訳の違いを書いていくとキリがないのでこの辺にしておきますが、日本語の作品を丸ごと英訳と比較するのは初めて(英語→日本語は英文科での授業のために何冊か経験あり)なので、面白い発見があればまた改めてお伝えしたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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