ウォシュレットが怖い
「ウォシュレットのついてないトイレなんて考えられない」という人は多いだろう。
名球会投手の上原浩治がかつてFAでレッドソックスに移籍した際、「決め手はクラブハウスのトイレにウォシュレットがあったこと」と語ったのは有名な話だ。
様々な事情から海外ではあまり広まっていないが、日本の一般家庭でのウォシュレットの普及率は2020年の時点で80%を超えているらしい。ついていないトイレの方が珍しいほどだ。
ただ、私は幼い頃からウォシュレットが苦手である。
初めて経験した時の失敗がトラウマになって、未だに使えない。
今回は、そんな私のウォシュレットの失敗談について語りたいと思う。
もの凄くくだらないが、お付き合いいただければ幸いである。
私のウォシュレット初体験は1990年くらい、小1の頃だ。
私はウォシュレットの現物と対面するどころか、祖母の家に初めて設置されたのをきっかけに、存在そのものをそこで初めて知ったくらいだ。
日本でウォシュレットが少しずつ普及しだしたのが80年代初頭からで、私の地元は鳥取のクソ田舎の地域だから、当時はまったく縁のない代物だったのである。
ちなみにその頃の我が家のトイレは、今は懐かしき汲み取り式だった。
水洗トイレすらあまり使ったことのない当時の青戸少年が、どれほどワクワクして便座に腰をかけたことか。
まさか祖母の家(築100年近い)でこんな文明の利器、最新のテクノロジーに触れることができるだなんて。
期待に胸を膨らませながら便器に腰掛け、青戸少年は用を済ませる。
いよいよウォシュレットの出番だ。
ボタンに手を伸ばす。
ピッ。
ウイィーン…
お尻の下をのぞくと、ノズルが出てきた。
すげえ! かっけえ!
雑誌やマンガで読んで夢見たような、21世紀の近未来都市のごとき光景が目の前に!
さあ、これから何もしなくても勝手にお尻がキレイになる。
科学の力ってなんてスゴイんだろう。
興奮は最高潮だ。
プシューッ!
ノズルから勢いよく水が出てくる。
うおっ!!
青戸少年は便座から飛び上がった。
お尻にくる未知の刺激が、あまりに強烈だったからだ。
水の勢いは想定をはるかに超えていた。
私は元来、極度のくすぐったがりである。
ちょっと触られただけで、すぐにビクッとしてしまう。
肛門などという敏感な部分への耐性など、0どころかマイナスである。
先ほどまでの興奮はどこへやら、一瞬で落胆と失望に打ちのめされてしまった。
何だよ…。こんなの、何がいいんだよ…
と、なんだか裏切られたような気がして、恨めしげにトイレに目を向けた瞬間である。
少年は我が目を疑った。
なんと、まだ水が止まっていない!
ノズルから勢いよく放たれた水が、きれいな放物線を描いている。
すでに床は水浸しだ。
想定ではちょろっと水が出て、すぐに自動で止まるものだと思っていた。
こんなに放水が続くなんて聞いていない。
止めるボタンはどこだ!
わけも分からず色んなボタンを押す。
が、全然止まらない。
もうパニックだ。
結局少ししてからノズルは勝手に引っ込んでくれたのだが、まさかの事態に右往左往していたあの瞬間は、まるで永遠の長さのように感じられた。
残ったのは汚いままのお尻と、水浸しになった床である。
そして半泣きの少年は誓った。
こんなものは二度と使うまいと。
これがウォシュレットに対するトラウマが生まれた経緯である。
ノズルから流れ続ける水に呆然としたあの時の光景は、今でも鮮明に記憶に残っているほどだ。
「ウォシュレットがないトイレなんて考えられないよね」と誰かが話す度に、「あんなもん何がいいん?」と、口には出さないながらいつも心でツッコんでいる。
ただ、そんな風に思いながらも、大人になってから一度だけウォシュレットにチャレンジしたことがある。
子どもの頃とは体が変化して、耐性がついたかもしれないと試してみたくなったからだ。(一応断っておくが、私はプライベートでお尻に刺激を与えるような方向性の趣味は持ち合わせていない)
が、やはりダメだった。
飛び上がるのはギリギリ我慢できるが、どうにも気持ちが悪い。
叫びながら目の前のドアを蹴破りたくなる。
さらに落ち着かないのは、水流がお尻をキレイにしてくれるどころか、自分が出したものが水で薄められてまんべんなくお尻に広げられて、より汚くなっている感覚さえあるところだ。
しかも水でビショビショになったお尻を、自分でトイレットペーパーを使って拭き取らなくてはいけない。
これなら始めから自分で全部処理する方が、何もかも合理的ではないのか?
どうにも愛用する人の気持ちが分からない。
こうして今もトラウマは解消されないままである。
今はもっとウォシュレットが進化していて、私が述べたような感覚は古いものかもしれない。
また、体が不自由な人や痔で困っている人には欠かせないものであるのは確かだろう。
ただ、恐らく私が使うことは二度とあるまい。
そして、何でこんな文章を一生懸命書いたのかも分からない。
もし似たような感覚の持ち主(今まで会ったことはない)がちょっとでも共感してくれたら、せめてもの救いである。
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