夏の終わりはいつも静かに。
夏のひとり旅の最後の朝を迎えて、あれだけ夏に取り憑かれていたはずが、なんだか吹っ切れた気持ちで目を覚ました。
そして弁天島から東京へ向かう為に
改札で駅員さんに青春18きっぷを渡すと、
「はい。これで5回目。最後ですね、どうぞ。」
真夏の猛暑日なのに、その瞬間カレンダーをめくり暦上の秋が訪れた様にはっきりと夏の終わりを感じた。
このまま東京へ戻るのも少し名残惜しさがあったので愛しの熱海で途中下車。
熱海に辿り着くと陽気な南国観光ムードがあふれかえる。まだまだ日差しが強いので喫茶店へ逃げ込む。
僕を見るなり「まあ~!とんでも無く暑い日なのに爽やかボーイだね!」と喫茶店のママに言われた。陽気なアロハシャツを着ていた影響もあるのだろうがこれだけの大柄男を爽やかと言ってくれるなんて優しい。
「暑苦しいって言われるよりいいじゃない!」
子供の頃に近所の床屋で親の注文通りのスポーツ刈りに整えられると、毎回おじいちゃんに「いい男になったな~!」と褒められていたそれに近いものを感じて少し懐かしい気持ちにもなった。
実はこの旅で唯一やり残した事があった。
それは「遺書を書く」である。
これは誰に向けての遺書でもなくただ独白の様なもので、誰かに触れる前提の言葉は完全な本音ではないと感じる。
独白でしか出せない本音を見ず知らずの他人に誰かに発掘され、この世にこういう人間もいたのかと知ってもらう事が出来たら、それはまたひとつの成仏の形だと思う。
だが出張と旅の疲れで眠気が限界に達する。
途中から遺書を書く事よりも、どうしたらママに気づかれない様に寝れるかで頭がいっぱいだった。
ペンを小刻みに揺らし寝てませんアピールをしつつ目を閉じたりなどしたが他にお客さんにいないからと言っても流石に飲食店でそれは爽やかボーイらしからぬ行為と思い、遺書はまたの旅の機会に残す事にして店を後にした。
そして何件かスナックに立ち寄り最終電車で東京に帰ってきた。
地下鉄へ乗り換えの為、新橋駅の駅員さんに青春18きっぷを渡すと気の抜けた炭酸水のペットボトルをあけた様な音で改札を通された。なんとも無関心で機械的な対応なのだが不思議と東京へ戻ってきた安堵も感じる。数日前までは弁天橋の海や月明りに癒されていたのに。不思議な話だ。
午後11時44分 新橋駅にて夏の旅は終えた。
最終的に僕なりの夏の終わりを決定づけるものは青春18きっぷの5回目のスタンプだった。
夏の終わりはひとそれぞれにある。
「10月になったらもう秋だわね。」
「蝉ちゃんかな~。」
「山から海に流れてくる冷たい風感じたらだね。」
「実家の居間におかれる季節の果物が秋のものに変わったら。」
「フジファブリックの若者のすべてを聞いたら。」
「代々木公園の近くに住んでた時、長いと10月後半まで蝉は鳴いている。だからまだまだなつは終わらないですね。」
この夏のひとり旅は毎年の恒例にしていきたい。
日数的に短く、特に何かあったわけでもないけど、
それでいいし、凄く気持ちに区切りのついた旅だった。
来年はどこの街の海をいこうか。
こう綴ってる最中に「来年まで生きれるだろうか」と言う不安もある。
もし自分が何かしらの理由で他界をし、
このnoteも本来届くはずのない場所まで届いてしまって、
お昼のニュースで感情の宿らない男性アナウンサーの声で一文を朗読され、
ないよくわからないコメンテーターにわかったような事を言われた日には成仏もしきれないってものがある。
あり得もしない飛躍しすぎた妄想に悔しくなってきた。だからなんとか来年の夏までは命をつなぎとめたい。
また夏に会いましょう。