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「ラクダの鼻」と「ゆでガエル」

隣の家の住人、昔からちょっぴりガラが悪かった。それが、徐々に変わっていき、今や893の組事務所に。ところが、わが家は先祖代々、性善説を信じており、「なにごとも平和に」を家訓としています。家の戸締りはしないし、話せばわかるとばかりに、警察に相談することも知らない。娘もいれば、孫もいるのにですよ。

ナショナル:国民の国家の、一国を象徴する、国有の
インターナショナル:国際間の国際的な、万国の
ステート:状態、ありさま、威厳、威儀、公式、国家

地球上にあるは日本だけではありません。日本だけを見ていれば、平和になる訳ではないのです。他国の動向をみながら、国際関係を考え、外交をしなければなりませんね。

昨日の新聞の記事を読んで、あなたはどう感じるでしょう?

中国は2020年12月26日、人民解放軍が守る対象として国家主権や領土などと並び「発展利益」を明記しました。「発展利益が脅威にさらされた場合に全国または一部の動員を進める」と盛り込んだのです。

もし、何も感じないなら、あなたは常温の水から徐々に熱せられ、生命の危機と気づかないうちにゆであがって死んでしまうカエルかも。もちろん、このゆでガエル理論を持ち出したのは、科学的に正しいかどうかを議論したいからではありません。ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することが大切だと思ったから持ち出したまで。

問題は、「発展利益」なるものの定義があいまいなこと。たとえば、経済制裁を「発展利益」の侵害とみなしたら、容易に軍が暴走しちゃうんです。ナチスドイツとどこが違うのでしょう? まして、日本の憲法9条なんて中国にはありませんからね(笑)。


1946年にGHQの肝いりで作られた日本憲法の時代と、今の時代、日本が置かれている状況が著しく異なるってことです。日本のGDPの1/6しかなかった1990年代の中国とは違います。経済力がつき、軍事費も飛躍的に増大しているのは周知の事実。なのに、敵基地攻撃能力保有を菅総理は否定しました。日本にはスパイ防止法もありません。そして何より憲法9条が手つかずのまま。いわば、丸裸も同然。

ローマによって滅ぼされたカルタゴをご存じでしょうか。地味豊かで交易の要所でもあったカルタゴが再び復活することがないように、カルタゴ人は虐殺されたり、奴隷にされました。港は焼かれ町は徹底的に破壊されたのです。そして、カルタゴの土地には雑草一本すら生えないよう塩が撒かれました。


ゆでガエル理論に似た話はアラブにも。

開いた窓にラクダが鼻を突っ込みました。ラクダは言います。「鼻が冷えてるんだ。あなたのそばで温めさせて」と。断る前に、頭、そして首が入ってきます。そして、怖ろしい雷が落ちるように、不格好な身体が飛び込んできました。無礼な侵入者に、「お前みたいな客が入る余地はない」と言うと、ラクダは言いました。「不便があったら、お好きなところへ。私はここにいることにするから」と。

このアラブの話を、あざけることなかれ。19世紀のアメリカの詩人、リディア・ハワード・シガニーは言っています。「悪い習慣の最初のたくらみに耳を貸すな、目を向けるな、ニコリとするな」。「悪い泉は流れ出す前にふさぎ、ラクダの鼻さえ入れるべからず」と。


「孫が自由にものが言える国の国民であってほしい」と願うオイラは、ラクダ嫌いの好戦的で野蛮な人間なのでしょうか?

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