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酒池肉林

Jadeさんの記事の中の「私はカタカナは文字の歴史の中で最高の発明だと思います」から着想を得ました。

布石となったのが、墨字書家・五輪さんのこの記事でのコメントのやりとり。

ということで、これから書こうとしているシリーズのその1ーイントロです。ただし、記事を紹介させて頂いたお2人が美女だからってこととは無関係ですので、あしからず(笑)。

酒池肉林(しゅちにくりん)を「女性に囲まれて大騒ぎをする宴」と思っている人が多いかと。確かに、司馬遷が書いた歴史書『史記』には、殷の帝が「肉を天井から吊るし林に見立て、酒を溜めて池に見立て、その上で女性をはべらかしながら、ほしいままにこれらを飲み食いした」とあります。

でも、肉に「肉欲」の意はありません。本当の意味は「酒や肉が豊富で豪奢な酒宴」「過度な奢侈的生活で、贅沢三昧な生活をする」「度を過ぎた享楽」のこと。

殷王朝 30代目、最後の帝の名は殷周革命武王によって焼身自殺に追い込まれたは「義を残(そこ)ない、善を損なう」暴君の代表とされています。そして、不徳、不義を表す紂 (ちゅう)の呼び名が付けられました。

この記事では混乱を避けるため、以後、ではなくで統一します。

司馬遷に対する評価は、すこぶる辛口(笑)。美貌を持ち、弁舌に優れたですが、臣下からの諫言を得意の弁舌で煙に巻いてしまいます。増長したは「天王」を自称し、神への祭祀をおろそかにします。また、寵愛する妃の姐己(だっき)の歓心を買うため日夜宴会を開いて乱交にふけりました。

そこで、数々の暴虐な行いに耐えかねた周の武王が兵をあげたと。

しかし、この、出土した甲骨文によれば、歴代王と同様に祖先祭祀に努め、前代まで続いていた人身御供を取りやめたことが判明しています。殷を倒した武王の功績を讃え、統治を正当化する意図で暴君として描いたに違いありません。

『論語』の中で、孔子の弟子であった子貢は「殷の紂王の悪行は世間で言われているほどではなかった」と述べています。また、殷墟から出土している甲骨文卜辞(ぼくじ)には妲己に関する文献は見つかっていません。

甲骨文って何?」って思った方、おいおいわかってきますので、オイラから目を離さないでくださいね(笑)。

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