江戸東京
江戸は水の都。その江戸の風情を撮らせたらピカイチなのが、アヤコ14世さん。
陸続きなのに、なぜ佃島? それは、佃が摂津国の漁師が鉄砲洲の東にあった干潟を埋めて作った島だから。佃の名前は故郷の佃村に由来。町の鎮守はもちろん大阪の住吉神社からの勧請。
住吉神社の本殿の向きが、大阪から江戸城の方を向くようになったのは、島民が江戸を故郷と認めた証(あかし)。
また、アヤコ14世さんの作品にはこんな石造りの建物も。
築地本願寺は1617年、西本願寺の別院として浅草御門前の横山町に建立されました。江戸海岸御坊や浜町御坊と呼ばれて庶民から親しまれた本願寺ですが、明暦の大火で本堂を焼失。
幕府から再建許可がおりないものだから、佃島の門徒が八丁堀沖合の海を埋め立てて再建したのが1679年。それ以降、江戸湊(えどみなと)に入ってくる船の目印となり、呼び名も築地御坊に。
どうして、築地かって言いますと、それは海を埋め立てて土地を築いたから。今はなき築地市場周辺には門前町がありました。写真のような古代インドの仏教様式の本堂になったのは大正時代の終わり頃。
明治になって、ヨーロッパの影響で石造りの建物が作られるようになった江戸東京。しかし、関東ローム層に石はありません。
靖国神社の塀の土台に使われている房州石は、千葉の鋸山などから切り出されたもの。日本銀行を設計した辰野金吾は最上級の御影石(=花崗岩)である北木石を瀬戸内海から運んで使いました。その後、鉄道が発達すると、茨城県の稲田石が好んで用いられるように。
ただし、聖ルカ礼拝堂の壁は石を積んだものではなく、鉄筋コンクリートに石を装飾したものらしいですがね。