統計と人間とアダム・スミスについての雑感

Twitterなどで他人や自分の振る舞いを見ていると、気分が乗っているときに発言が多くなる私のようなタイプと、気分が沈んでいたり精神的につらいときに発言が多くなるもう一つのタイプの人たちがいると思う。どちらでもない類型もきっとあるだろう。そうすると、メンタルヘルスや主観的幸福度とSNSでのアクティビティの量の間に相関を見出すことは難しいような気がする(たぶんそういう量的研究はたくさんあるのだろうが、調べずに書いている)。あるいは何らかの相関を見出せたとしても、それを解釈するときには、他の様々なファクターを考慮に入れなければならないだろうし、世の中にどういう種類の人間がどれくらいいるのかについての観察やサーヴェイも必要になってくるだろう。

心理統計のごく初歩を人に教わりながら勉強したことがある。面白さは感じたが、中学生のときから数理的なことが苦手で、そのとき理解したと思っても細部はすぐに忘れる。統計的因果推論が何をやっているのかについてはおぼろげなイメージしか持っていない。そんな私の言うことだからあてにはならないが、人の行動とその原因を分析するときには、量的アプローチをとる場合でも、世の中にはどういう人がいるのか、とか、人の心は大体どのようなメカニズムをしているのか、とかについて、ある程度正確で繊細な理解を持っているべきなのではないだろうか。そうした先行理解が量的分析によって訂正されることもありうるだろうが、逆にそうした先行理解が量的な結果から帰結を導き出すときの推論の確からしさを支えるという関係もあるのではないだろうか。

経済学についても数理的なことはほとんど知らないのでいい加減なことしか言えないが、近代経済学の礎石の一つである『国富論』を書いたアダム・スミスが、人間の心に対する非常に繊細な洞察にあふれた道徳心理学の書である『道徳感情論』の著者でもあったことは示唆的だ。前者はまともに読んだことがないが、後者はかなり興奮しながら読んだ。哲学の古典の中でも最も好きなものの一つだと言える。私が読んできた哲学書(したがって文学作品は除く)の中で一番「この人は人間のことがわかっている」と感じたのは『道徳感情論』かもしれない。これを書いたときスミスがまだ30代だったことにも驚いた。スミスはヒュームの著作やヒュームとの個人的やりとりから多くを得ているのだろうと思うが、こと共感(sympathy)については、『人間本性論』のヒュームよりもずっと繊細で正確な観察をしていると思う。

いま手に入る邦訳は複数あるが、日本語だけで読むなら講談社学術文庫の高哲男訳がおすすめ。原典と合わせて版ごとの異同を気にしながら読むなら(そういう人はあまりいないと思うが)岩波文庫の水田洋訳がよいだろう。

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