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空き地と(無)意味:Lichtungをめぐって

 ハイデガー哲学の概念にLichtung(リヒトゥング)というのがある。「空け開け」とか「空開処」などと訳されている。そのハイデガー哲学における意味を語りだすとなかなか厄介なので、物が現れる場所であり、存在の真理と関連がある...というあやふやな(専門家からは間違いだと言われるかもしれない)解説に留めておく。
 このLichtungという言葉は元来、ハイデガー自身語っているように、森のなかの空き地、そこだけ木がきれいに伐採されてぽっかりと開けている場所を指す。Licht(光)とも語源的な関連がある。語の成り立ちも、それが指すものも、大変ドイツ的だという感じがする。いわゆるゲルマン民族にとって、森の中で目印になる場所は大切だったろうから。そういうこともあってハイデガーはこの語を自分の哲学のキータームとして採用したのだろう。
 さて、このLichtungという語を見ると私は二つの場所を想起する。一つはドイツの森のなかで見た「本物の」Lichtungである。20歳のときにハイデルベルクを訪れて、有名な「哲学者の道」を歩いた。ゲーテやヘルダーリンも好んで散歩したという眺めの良い遊歩道である。そこから山側に少し入ったところに、ぽっかり開けた場所があった。サッカーグラウンドより少し狭いくらいだったと記憶している。それほど森の奥ではないので、私以外にも人がいた。一組の親子が遊んでいた。私はそのときハイデガーを多少読んでいて、彼のLichtungの概念を知っていたので、これがあれか、と思った。想像していたよりも広いのだな、とも思った。しかし、あれが典型的な、ハイデガーがこの語を使うときに思い浮かべていたようなLichtungだったのかどうかは定かでない。しかし、ハイデルベルクも一応シュヴァーベンなので、当たらずとも遠からずではなかろうか。

画像はイメージです(Public Domain)

 あのハイデルベルクの空き地はまだあるかもしれないが、私が想起するもう一つの場所はもう無い。そこを訪れたのはちょうど20年後、40歳のときである。広島の原爆ドームのすぐ向かいにかつて旧市民球場があった。2009年までカープの本拠地として使用され、2012年にライトスタンドの一部を残して解体、2022年6月末に完全撤去された。そこには翌年3月末にひろしまゲートパークという、飲食店に取り囲まれたイベント会場が開業した。完全撤去からゲートパーク建設開始までの、半年あったかどうかの期間、そこは空き地だった。
 それも大変奇妙な、印象深い空き地だった。なにしろすぐ南には原爆ドームとおりづるタワーと平和公園があり、東側にはそごうとバスセンター、北にはグリーンアリーナと中央公園があり、後にエディオンピースウィング広島と名付けられることになる新サッカースタジアムが建設中だった。つまり広島の観光と商業と文化すべての中心となるエリアのまさにど真ん中に、広々とした空き地があったのである。

 その一時期、そこはゲートパークの建設予定地ではあったが、柵で囲われて立ち入り禁止になっていたわけではなかった。芝生もなく、雑草もなかった。端的な空虚と言ってよかった(もっともそれ以前から、旧市民球場の名残が少しあって、時々イベント会場として利用されていたことを除けば、ほぼ空虚だったが)。立ち入ることはできるが、なにせ何もないので、人気は少なく、とても静かだった。大都市のど真ん中にこのような空虚が存在していて良いのかと不安になったが、考えてみれば、都市の中の土地はすべて埋めなければならないものなのだろうか、その空白恐怖こそ都市に住む者の病なのではないか、これをシムシティ症候群と名付けようか、いやきっとすでに名前があるはずだ、などといったことを考えた。
 だがすぐに、そんなくだらない考えで頭を満たすのはやめて、この場所のように空っぽになってみようと思った。空っぽになるのは難しいことだが、試みた。そうすると静寂が心地よく、なんだか安心した。そういえば、そこを一緒に訪れた人とはその後しばらくして疎遠になってしまった。
 人間は空虚を意味のある何かで埋めようとする。しかし無意味が安心させてくれることもある。

 あの場所を訪れてからほどなくしてゲートパークの建設が始まり、空虚は埋められた。サッカースタジアムも完成し、そこは賑わう場所になった。
 私はゲートパーク完成の翌年3月に広島を離れ、宮崎に移った。とはいえ5月はじめの連休にすぐ広島を再訪することになった。そのとき、あの場所からサッカースタジアムを挟んですぐ北にある市営基町高層アパート(通称基町アパート)を訪れた。そこは戦後に無数のバラックが密集し「原爆スラム」と呼ばれた場所を再開発し、1970年頃に出来た団地である。20階建の棟を筆頭に20棟ほどが立ち並ぶ様は壮観であり、建築としての面白みも多くあるが、完成から50年経った今ではいかにも寂しい場所になっている。空き部屋も多く、住民は高齢化している。すでに解体された棟もあるし、これから解体される予定の棟も多く、新規入居者は制限されている。私を案内してくれた大学院生は半年ほど前からここに住んでいるが、運よく入居できたケースだという。
 すでに述べたとおり、基町アパートはピースウィング広島と隣接している。このスタジアムは南側から見ると翼を広げているように見えることからそう名付けられた。しかし、北側の基町アパートから見ると、単なる巨大な壁である。私には冷たく威圧的に見えた。
 基町アパートはまだ空き地ではない。人々が生活している。新しく住み始めた人や訪れる人が意味を与えようともしている。しかしそこを更地にしようとする力は確かに働いている。それは無意味を意味で埋め、すでにある意味を別の意味で置き換えようとする力である。

筆者撮影(2024/5/2)
筆者撮影(2024/5/2)
筆者撮影(2024/5/2)

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