この1か月の後書

毎週一回更新予定のこのnote、さっそく間に合わなくなりました。

というのも、勧められて読んだ本がとにかく面白く、考察する事が多く、自分を見つめなおし、なぜそう感じるのか、なぜそう考えるのか。なぜ、なぜ、なぜ、、、が限りなく続き、発展し、広がり続けてまとめられなくなったのです。いわゆる風呂敷がたためないのです。まだ広がっているのです。

そんな広がり続けている本は「海も暮れきる」。紹介だけしておきます。良ければ読んで、いつか更新する自分の書評(感想文)と比較検討してみてください。

このnote、始めたきっかけは友人たちが相次いでnoteをはじめ、刺激を受けたのが一つ。そして始めた後、もう一つ、自分のプライベートで新しい出会いがあって、その人に対して「俺はやっているぞ」と言いたかったのも理由に加わりました。

で、何を書こうかとなると、人と同じのだとイヤだ。対象を自分の、年の離れたある友人に絞ったうえで、その人が知らないであろう本を書こう、となったのです。

で、この「海も暮れきる」は、その友人の勧めで読んだのですが・・・

思考が広がってまとまらない

いや、やられました。こんなに思考が広がってまとまらない本は久しぶりです。ページ数から比較したら、初めてかもしれません。先の自分の書評「俺は書きたいことを書く」は、400ページ越えの大書ですが、この本に比べれば、まだ思考の広がりは小さいものでした。

「俺は書きたいことを書く」が、思考を広げない、というわけではありません。ただその広がりは自分が制御できる範囲の広がりでした。ところがこの「海も暮れきる」は、制御できない範囲に広がり、おさまりがつかない。文学研究とかを始める人の気持ちとは、こういうものなのだろうと感じているほどです。

ですので今週は書評はお休み。エッセイのような駄文でお茶を濁させていただきます。ネタはこの一ヵ月、書評を書いてきた感想文です。

やればできるという自信と、落とし穴

感想としては、書けるもんだなという事と、まとめられないんだなという事が分かった、という事でしょうか。

書評と言っても、雑誌などに寄稿して、対象の本の売り上げを伸ばしたい、商業書評ではないわけで、感想文と言ってもいいようなものです。モデルにしていたのは、鼎談本ですが、「書斎のポ・ト・フ」。あんな感じで、読みたくなるような文章が書きたいなと思っていました。

しかし実際に書いてみたら、出来の良し悪しは別として、書くことは書けるんです。でもまとめるのが難しい。下手にまとめすぎてもダメなわけで、人の書いたものをまとめるのとは何か違う。

山本夏彦氏がどこかで書いていたのですが、

「編集とは3分の一だ。300ページなら100ページに、100ページなら30ページに、30ページを10ページ、10ページを3ページ、3ページを1ページ、1ページを3行、3行を1行、1行を三言、三言を一言にしろ。それができなきゃ編集者じゃない」

というもの。細部は違うでしょうが、そういう内容でした。これ、人の書いたことなら好きなだけ考えられますが、自分が書いた文だとどうもそうはいかない。あれも言いたいこれも言いたい・・・ああ筋が通らない・・・このエッセイだってまとまらない・・・と、四苦八苦しているのです。

そんな四苦八苦に追い打ちをかけて、七転八倒させられている本が「海も暮れきる」。この本は日本国民全員が読んでほしい。もっと読まれてほしい。そしてどんな感想を持つかで、令和の日本の生末が決まると思う。

ただ、中学生や高校生が、夏休みの読書感想文の題材に「海も暮れきる」を使ったら、これはちょっと心配になる・・・かな?

というわけで、ぎりぎり日曜日での更新完了!

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