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クリスマスに夫のドイツの実家で過ごした後一人で幼児引き連れてNY郊外の家に帰った年始

変な時間にぐっすり寝てしまい、目が冴えてしまってこれ書いてる。

結構冒険してきた方だと思うけど、いまだによくやったなぁと思い出すことがある。(そして、二度としたくないと思ってる。)

NY州にいた頃、私はまだ20代後半。長女3歳前、次女1歳過ぎのクリスマスにドイツの元夫の実家に行った。

当時、全面的に彼を信頼していたので、私は子育てに専念できていたし、私が彼女たちを守るという気概を持っていた。何分私は若かったし、強かった。

ラガーディア空港に戻るその復路も、帰国者で混乱していて、ダブルブッキングされてたり、大変だった。
アメリカに戻ったのは夜遅く。雪のため交通は麻痺しており、帰りに乗るはずだったバスは数時間の遅延で、いつ来るかわからない状態だった。

そんな状態で、その時間にやつは、私に幼児二人を任せ一人とっとと日本へ飛び立つ予定を組んでいたと知ったのはその時だった。

でも、私もおかしなもんで、そんなことよりどうやって帰るのか、ということばかりに気を取られてたように思う。なんでそんな予定を組んだのか、と喧嘩した覚えがない。

夜も遅いし、バスは来ないし、やつは私達をとにかくロングアイランド行きのバスに乗せたんだよね。幼児2人付きで、荷物有で。

バスに乗ると現金のみ、お釣りはないよ、と運転手に言われたので、乗客に声をかけて両替してもらわないといけなかった。

お金を受け取ったときに、両替してくれた女性が、

ちゃんとあるか確認しな、

と注意してくれた。

乗ってると、あれ、電車の駅に行かないじゃん、と不安に思い、

このバスはジャマイカ駅に行かないの?と聞くと、行かないとのこと!!

送っていってあげようか、なんて言われたけど、流石に怖いので断った。神様は私たちを守ってくれていて、ちょうど別のバスが通りかかり、運転手が、

あれは行くから乗りな、

とそのバスの運転手に合図を送ってくれて乗り換えることとなった。

寝ちゃってる次女を抱っこして、半分寝ている長女の手を引っ張り、荷物を持ったアジア人はたいへん物珍しく、バスから降りてジャマイカ駅に急いで歩いてると、黒人のグループからヒューヒュー言われた。

ちいちゃな長女は健気にもちゃんと歩いてくれて、駅に無事着き、電車を待つ。時間が時間だから、乗客を一つの車両に集めて乗せていたのも良かったー。

私たちの前に変なGさんが座り、声をかけてくるがあまり積極的に私は返事しないでいると、長女が返事したのでGさんは、

子どものほうがしっかりしてるな、

と嫌味を言った。嫌だなぁと思う気持ちが顔に出て居たのだろう。

電車の中で長女がトロトロに眠たげにしているものの、それでも、

がんばってね、寝ないでね、

と声を掛けると、

うん、寝てないよ、

と半分目を閉じながらも返事する長女。
どんだけ心強かったか。

そして私たちは無事に降りる駅についたのだった。

次の問題は駅に置きっぱにしていたオンボロのクラウンビクトリアが動くかどうか。


1980年代もの。これのブルー。

私的には車の中は安全地帯だから、まずはみんなで車に座ったところでものすごくホッとした。

そしてエンジンスタート。

かかった!!!

あとはクジラのような動きのクラウンビクトリアで家路につくだけ。

無事家についたのは真夜中過ぎ。もう寝ることしか考えてなかった。

昼頃起き、メールチェックすると、そもそもの発端であるやつから心配のメールが入ってた。

クリスマスの間いなかったので、電話の音を無音に設定しており、電話に全く気づかず寝てたようだ。

当時は、到着がラガーディアのを取った、とか、夜遅くの到着便にした、とか、やつを責めることは一切しなかったけど、もうその頃から、家族を大事にするというのがどういうことかわからないやつの気質が出てたじゃんね。

ともかく今思い出すと、ちゃんと自分で歩いてくれた長女はすごかったというのと、私よくやったな…の二点を思うばかり。

やつに対する怒りはない。





#忘れられない旅