どうして私は写真を撮るんだろうね
こんにちは。
まえがき
Fediverse(Mastodon)の方でお世話になっている友人が以下のような記事を書いていました。
自分も少しだけですが「写真を撮ること」について悩んだことがありますので、今日はちょっとだけそのことについて考えていたことを殴り書いてみたいと思います。
「趣味は写真撮影です」
そう言い始めたのはいつくらいからだったでしょうか。
自分のカメラを初めて持ったのは高校生の時、NikonのF65(Nikon U)だったのを覚えています。
ただその時は写真撮影が趣味と言えるほど撮影に出るわけでもなく、たまに思い出したかのように持ち出してはシャッターを切る、それくらいだったように思えます。
転機は大学生になった時、当時のTwitter(現X)でカメラクラスタ(この言い方は古いかもしれませんが……)と懇意になった時期があり、誘い合わせて撮影に足を運んでいた時期がありました。
丁度この頃から、「趣味は写真撮影」と言い始めていたような気がします。
そして時が経って社会人として働き始め、自費で初めて買ったカメラがNikon D5200。その後、D5600→OLYMPUS OM-E10 Mark Ⅲ→Nikon Z50→Nikon Z5→Nikon Zfc→Sony α7C Ⅱと年数と総撮影枚数に見合わないほどのカメラ遍歴を辿ったのは別の話。
社会人となってからは常に「趣味は写真撮影です」と色々な人に話してきました。
「写真撮影の何が楽しいの?」
「何を撮るのが好きなの?」と並んでよく言われたのを覚えています。
ただ、これに対する明確な回答を返せた記憶がありません。
何を撮るのかについては答えを返せていました。風景・スナップ・動物(というよりも鳥)、最近だと花を撮るのも好きなので割とオールジャンルに撮ってますねと、答えになっているんだかなっていないんだか微妙なラインではありましたが。
ただ、写真撮影の何に楽しみを見出しているかについては自分の中で言語化できずにいました。
何かの賞を狙っているわけではないですし、定点撮影で記録写真を撮っているわけでもない。SNSでバズるような写真を量産したいという意欲も無い(バズりたくないわけではない(笑))ですし、撮影技術を磨いている訳でも無い……。
見出しの質問をされるたびに、自分にとっての「写真撮影」とは何か、思い悩むことが多々ありました。
「重要なのは結果ではなく過程」
唐突ですが、仕事をしているとたまに言われることがあります。
仕事は結果が全てと思われがちですが、結果の説明の際に「過程で何があって、どうしたか」というのを問われることが多々あります。結果が出なくとも過程に筋が通っていれば経験という財産になるという考え方によるものかと思いますが、一時期よく言われました。
この言葉を聞いている中で、自分にとっての写真撮影も同じかもしれないなとふと思うことがありました。
どこに行くか、何を撮りたいか、どのレンズを持っていくか、実際に現地に行ったら何を撮るかを決め、静かにレンズを向けてファインダーを覗き、シャッターを切るという一連の流れ。
結果として現像された写真が誰かの心を動かすものなら何よりですが、そうでなくともそこに至るまでの過程が、いわば撮影体験こそが私が写真という趣味の中に見出している楽しみなんじゃないだろうかと。
現地の空気に触れる感覚、被写体が(物理的・観念的に)自分の方を向いてくれる瞬間をひたすら待つ時間、シャッターを切る瞬間のフィーリング、そういった撮影に関する全ての過程こそが私が「写真撮影が楽しい」と思えている理由なんだろうと、今はそう思っています。
あとがき
なんというかありきたりなオチに行きつきましたが、つまりは何ら特別なことはなかったということです。
今度、「趣味は写真撮影です」と言って「写真撮影の何が楽しいの?」と聞かれたらこう答えようと思います。
「撮ることそのものが楽しいんです」
私はおそらく生涯アマチュアの一般カメラ愛好家を貫き通すと思いますが、いつか自分が迷った時のためにこの記事を残しておこうかなと思います。
それではまた。
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