子供の頃、甲状腺がんだった話 3
その後私は4人目の子を授かり、35歳で出産しました。
流産も経験しており、妊娠と甲状腺ホルモンについては書きたいことがあるので、また別の記事に起こそうと思います。
どうしてがんだったということが私に伝わっていなかったのか。
担当医が経過を見て伝えるつもりだった?
両親が私に嘘をついていた?
両親の(あるいは私の)記憶の改ざん?
今となっては分かりません。
がんだったと知ったからといって、特に変わったこともなく。
今も3か月から半年おきに通っているI病院の血液検査のオーダーに、がんの転移を調べる腫瘍マーカーが加わったとか。
既往歴が「甲状腺腫」から「甲状腺がん」に変わったとか。
そんな程度です。
残った右側の甲状腺は相変わらず頑張って働いてくれているので、現在も服薬はしていません。
検査は多かったけれど、症状もなく、切除しただけでいわゆる闘病はしていないので「がんだった」という実感さえあまりなく。
I病院が大昔のカルテを保存して下さっていなければ、一生知らずに終わったかもしれません。
でも、時々、考えます。
あの時、私の首に入っていたあのぷよぷよは、いずれ私の命を奪ったかもしれないんだ。
もしあの時手術をしなかったら。
あるいは、受診せず過ごしていた間に転移や再発をしてしまっていたら。
今の人生はないのかもしれない。
子供たちもここにはいなかったかもしれない。
そう思うと、どん底のようだった思春期も、反対にのびのび楽しんだ大学時代も、残業しまくりだった20代も、母の言うように「好き勝手に生きてきたなあ」と思います。
その時々で悩んだり落ち込んだり泣いたりもしたし、今でもしょっちゅうそうだけど、全体で言えば「のんき」で「有り難い」こと。
そして良き伴侶に恵まれたこと、双子を筆頭に4人の子に恵まれたことに至っては、自分の強運と頑健さにちょっと笑いたくなるほど。
この「有り難い」気持ちを忘れずにいなければな、と思います。
私にはムスメもいますので、この子の成長過程では甲状腺のことも気にかけてあげないといけないなと心に留めています。
もしムスメが私のように…と考えると、居ても立っても居られなくなります。
そう思うと、私も母も、がんのことは知らなくてよかったのかもしれません。
先日、知り合いの女性が甲状腺がんの手術をされました。
病気の話をしたことはなかったのですが、私の首の傷跡に気づいていたようで、
「もしかして甲状腺かなと思って」
と切り出してくれたので、私の体験を話しました。
驚かれたと同時に、「私も子供、持てるかな。だって4人も産んだんですもんねえ」と言われました。
その方は両側温存できたそうなので、「そうですよ、だって私20年生存だし。双子も産んだし、4人いるし」と励ましました。
そしてふと、この方のように、甲状腺の病気になって妊娠や出産を不安に思っている方もいるのかもしれないなと思いました。
それならば、届けたい。
こんなケースもありますよ、と。
私、がんだったけどそうとは気づかなかったほど元気だし丈夫だし、普通に仕事して普通に子供産んで育ててますよ。
そう普通に。
少しでも誰かを励ますことができればという一心で書きました。
長文をお読み頂きありがとうございました。
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