子供の頃、甲状腺がんだった話 1
甲状腺。
首もとにある、蝶のような形をしたこの器官を、ご存知でしょうか。
ホルモン分泌を司る、実は重要な器官ですが、異常がなければ意識することもない存在だと思います。
私、この甲状腺のがんでした。
でもがんだったとは知らないまま、二十数年生きてきました。
どうしてそんなことになったのか。
事の始まりは今から30年近く前、小学校低学年の頃。
首の左側がぽっこり腫れてきたのです。
どれくらいのペースで大きくなったかはよく覚えていないけれど、それはもう、ぽっこりという言葉がぴったりの腫れ方でした。
首もとから顎の下までの膨らみ。写真に撮ってもよく分かりました。
自覚症状は何もなし。
痛みもなく、喋りづらかったり飲み込みにくかったりということもありませんでした。
触ると水が入っているかのようにぷよぷよしていました。
症状がないので、私も「なんか変だねえ」くらいで笑っていられたのですが、母が中学生の頃にバセドウ病を患っていたので、「これは甲状腺の病気かも」と病院に連れて行ってくれました。
(甲状腺の病気は女性から女性に遺伝しやすいと言われています。)
初めは地元の市民病院でしたが、そこでははっきりしたことは分かりませんでした。
紹介状を書いてもらい、甲状腺の権威、表参道のI病院へ。
遠い記憶で定かではありませんが、検査のために何度も通いました。
とにかく待ち時間が長かった。
私は本の虫で、待ち時間の間中ずっと本を読んでいられるのが嬉しかったけど。
しょっちゅう採血するので、採血慣れしました。
それからエコー検査。
確か穿刺吸引もしたはず。
あれこれ検査して出た結論は「腫瘍があるが、良性か悪性かは取ってみないと分からない」。
大きいので、審美的にも取りましょうということで、手術することになりました。
左側の甲状腺の切除です。
通学に支障がないよう、手術は3年生から4年生に上がる春休みに行いました。
入院は1週間ほどだったと思います。
入院と手術に関する記憶もおぼろげです。
覚えているのは、9歳とはいえ一人で入院するのが少し心細く、夜は怖かったこと。
大部屋だったので、周りのおばちゃんたちが「こんなに小さいのに、かわいそうに。えらいね」と言ってくれたこと。
手術への不安は、全身麻酔って怖いらしい、目が覚めなかったらどうしよう。手術で声帯が傷ついて声が出なくなったら…、とそれくらいでした。
手術の日、両親に見送られ、ドキドキしながら手術室に入りました。
先生に言われて10数える途中で意識がなくなりました。
目が覚めた時のことは覚えていないけど、多分「無事に終わったよ」と言われてホッとしたんだと思う。
麻酔が切れた後はかなり痛かった。両親に心配してほしいのもあって「痛くて死んじゃう」と言ってみたのをうっすら覚えています。
この時の経験で、痛みには強くなりました(感じないわけではないけど、かなり耐えられるようになった)。
術後数日は首を固定していたと思う。
経過は良く、予定通り退院できました。
退院後も1か月ほどは首にテープを貼らなくてはならず、学校で「ツキノワグマ」とからかわれたりもしました。気にしなかったけど。
首を動かしすぎると跡になる、と言われましたが、やっぱり傷跡は今でもはっきり残っています。私がケロイド体質なせいもあるのかも。
自分では見慣れすぎて気にしていないけれど、たまに気づく人もいます。
さて、大変な思いをして手術した結果、こう言われました。
「腫瘍は良性でした」
幸いにも私は残った右側の甲状腺が頑張ってくれ、薬を飲まなくてもホルモンの数値は安定していました。(甲状腺は腎臓のように、片側を切除してももう片側がその機能を補ってくれるそうです。)
その後しばらくは経過観察に通い(私の記憶では小6まででしたが、病院の記録では中2まででした)、診察終了だったのか一方的に行かなくなったのか、そこもよく覚えていないのですが、通院しなくなりました。
(中1の時に父が亡くなり、転居もしたため、私も母も物理的にも精神的にも通院する余裕がありませんでした。)
重大なことを知らないまま。
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