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日本のアニメと想像力の源

ご機嫌よう。

バナナは薄く切った方が美味しいと思う、

ときのにわ 、Nonaです。


日本人にとってアニメは日常と言っても過言ではないのだろうか。古いものだとアキラ、千と千尋の神隠し、攻殻機動隊、ワンピース、最近では鬼滅の刃など。日本で育つとアニメは子供だけではなく大人も一緒に楽しめるものになっている。どんな文化もその時代の背景と状況とともに生まれると思うのだけれども、では、日本人の想像力の源はどこからくるのでしょう?私は空気を読む文化に答えがあるのではないかと思う。もちろんそれだけが創造的な想像力を持つ理由の一つではないと思うのだけれども、日本人の私たちは会話の合間に空気を読むのがとても一般的で自然にそれをしている。言語と文化は密接な関係があり、言語学を理解することが鍵となるかもしれない。

人間が1日に話す言葉の量が英語と日本語とで異なることを以前記事で読みました。その記事は今見つけられなかったのですが、日本語を話す人は、英語を話す人に比べて言葉の量が3分の2ほどだという。日本語には漢字があり言葉数を少なく表現できるからでしょうか。笑 冗談ですが、それは口頭においてはありえません。でも、個人差はあるにせよ、ニューヨークに10年ほど住んでいたので、そのような見解は的を得ていると感じました。ニューヨーカーは一般的に早口で、しかもよく話す!笑 そして英語と日本語の会話の大きな違いは、会話をボールを投げることに例えるとわかりやすいかなと思います。

英語や西洋文化では、誰もがいつでも好きな時にボールを投げることができます。一方で日本人はキャッチボールをするようにボールをそのグループ内でやりとりします。そしてその連鎖を壊すと、日本人の美徳からは外れ、空気が読めないやつだなんて言われたりします。アメリカでも日本人のように空気感、その場のバイブスを読んだりもしますが、日本のそれとはちょっと違う感覚。日本人はお互いに何を期待しているのだろうか。

日本では、政治的にではなく、その美的観点という点において全体主義が一般的です。無言の圧力やそぐわない人を排他するのもよくあります。(しかしながら日本人は海外の新しいものとか大好きで、日本的に作り直したりするのうまいですよね。)私はどこに行ってもアウトサイダーなので、どちらのアイデアがいいとか悪いとか言っているのではなく、人それぞれ人生の目的を持っていて、選ぶ価値観は個々の性格なんかにもよるものだと思っている。ただ私には個人主義の方が息ができるな〜という見解。

日本人は美徳を壊すことのないよう、無言の圧力の中で育ってきていると思う。私のように個人の自由を楽しみたいと思っている人もいるかと思うけれど、それでも抑圧された感情や動機は日本のアニメとその本質だと思う。過酷な現実世界を生き抜くには、ファンタジーが必要なんだ。オノヨーコさんの言葉を借りるとするならば、彼女は戦争中に兄弟で食べたい物を想像して夢を満たしていたと。これは想像力に冨み、創造的であることの源を説明しているように思う。欲しいものは、なければ自分で想像して作ればいいんだよね、って。

あなたはどう思いますか?

意識の向こう側でまた会いましょう。


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