休職を終えての気づき
不妊治療を3年半続け、2回目の流産を機に、2ヶ月のあいだ休職した。
2ヶ月間はそりゃあもう健康的な生活で寿命が延びた気がした。
でも、過ぎ去ってみるといろいろ新しい発見があった。
まず私は自分が思うほど根暗ではないのだということ。
不妊治療期間中は鬱気味で、飲み会後に虚無感に襲われ、人と話すのも億劫に感じられることが多々あった。
特に不妊治療は孤独で共感してもらうことも難しいから、辛いことがあってもnoteに書き出してひとりで乗り越えることを強いられてきた。
でも、休職中ほとんど人と話さず過ごし、いざ職場で同僚たちと話したら、楽しいのなんの。
私は悩みをひとりで内省して悶々と乗り越えるより、人と会ってパワーをもらう方が案外好きなのかも。
振り返ってみると確かにそうだ。いつも悩みは友人に相談していたし、初めての人と話す機会を自らつくり刺激をもらうことも多かった。
不妊治療中すべて断っていた飲み会や誘いも、これから積極的に行こうかなと思った。
あと、休職は採卵周期にはぴったりだけど、移植周期には向かないことも大きな気づきだった。
採卵はやっぱり体調不良が続く。採卵前の卵巣は鉛みたいに重いし、採卵後は痛くて歩くのもしんどい。時間どおりに飲まなければならない薬や注射もあり気も休まらない。昔はよくこれで不妊治療と両立できてたな?と思う。
一方、移植は体調面での負担が採卵よりは少ない。その分情緒不安定の波が押し寄せてくる。ただでさえ移植後から判定日までの1日1日が長いのに、休職して暇を持て余していると、地獄のように長く感じる。無駄に検索魔になったり、頭の中を妄想が駆けめぐり、想像妊娠の症状に一喜一憂したり。
適度に仕事をして不妊治療のことは忘れるくらいの方が私にはいいんだろう。正確に言うと、仕事してたら不妊治療のことなんて考える暇もない、が正しい。
でも、こうして私が気づきを得られたのも、休職というチャレンジを選択したからで。やっぱり休職してよかったと何ひとつ後悔はないし、体が整ったのは事実。
まあそれも、「おかえり」と温かく迎え入れてくれる職場の同僚がいるからだと思うと、感謝しかない。
私はなかなか子どもには恵まれないけれど、周りの人にはとても恵まれている。これは紛れもない事実である。
そう考えると人生は楽しんだもん勝ちで、Always Look on the Bright Side of Lifeという曲があるように、明るい面を見て生きていこう。
いざ、最後の移植へ。