見出し画像

「陽」が照らす「陰」を辿り未来へと繋がってゆく【Catcher In The Relay】

デスゲぇ……、ナツさん主催のCatcher In The Relay、9日目。
Catcher In the Spyの9曲目、「harmonized finale」。
ユニゾンにとってなかなか意味のある曲だと思いますし、大変重荷でしたが思うがままに描いてみます。
なおタイバニタイアップでしかも映画の主題歌ということで映画に沿って・・・という話ではないのであしからず。そこまで時間ありませんでした泣

それではどうぞ!!!!



暗闇のステージ

黒幕に閉ざされた舞台で、一体何が始まろうとしているのか。
今の情勢を暗示しているかのような、覆い被されたステージ。
周りを見れば不自然な空間が設けられている。
普段より動きやすいはずなのに、見えない何かに縛られているおかげで身動きがとりずらい。

まったく新しい日常。
共存か撃退を迫られる見えない敵との闘い。
不要不急を強いられたエンターテイメント。
当たり前が当たり前でなくなり時代の変化を目の当たりにする。
超天変地異みたいな狂騒が襲い、複雑化する思考回路。
常識がガラクタになって世界の仕組みが壊れ始めた。

そんな中開かれる今回のショーは、ここでも今まで普通と定義していた形から大きく変わり、今の日常の中での「普通」のやり方と解釈している。

「君がここにいないことで あなたがここにいないことで
回ってしまう地球なら別に要らないんだけどな」

真っ暗闇な空間で響くこのセリフは、自分のやりたいことができずにいることの心の嘆きに聞こえる。
前年はかなりのお祝いムードの一年で、西の野外でどでかい花火を打ち上げたと思えば、側から見れば身内ノリ、と言っても良いようなツアーを展開していた。
10周年の時はそこまで「アニバーサリーだよ、祝って」という感じではなかったが、「15年もよくやった」「今日ぐらいは祝ってくれないかな」と、歌詞やブログを通して15年という月日を称え合った。
そして、「これからも自分たちの音楽をやり続けること」と、これからも同じように自分たちの好きなことをやっていくと宣言した。
次の節目である20thアニバーサリーに向け、どんな5年を見せてくれるのだろうか。
そんな期待を膨らませていたら、思ってもいなかったことが起こる。

見えない敵との闘い、制限される行動、そして不要不急で片付けられるエンタメ。
生きているだけで金縛りに合う感覚、それでもどう生きるかの選択を迫られる日々。
生きるとは何か、という哲学的かつどこにも落とし込めないような問いを考える様になった。全てがこのステージのように「陰」に包まれていたのだ。

当時20年そこらしか生きていない私でさえそう感じているのだから、好きなことを生業にしている人達の気持ちは私の物差しでは測れない。
だが、彼らはすぐに、虹色のステージでこんな世の中でも前を向く宣言する。

「記憶だってスイッチ一つ輝いてしまえば 全部特筆すべき存在」

どんな記憶だろうと輝かせるのは自分次第。
どんなに先が暗闇でも、その先で虹色に輝かせるのは自分次第だから。
「陰」の中でも「虹色」に輝かせてみせる。
初めてライブで涙した瞬間だった。


ショーは気が付けば佳境を迎え、締めを漂わせるキラーチューンが鳴り響く。
最後に聞こえてきたのは軽やかで、どこか寂しさを漂わせるピアノのイントロ。

「I miss youを通過してどれくらいだろう。」
ライブができなくて君に会えなかった2020年。最後にあなたに会ったのはいつだっただろう。

I miss youを通過してどれくらいだろう
意地を張って何とかやってるつもりだよ
劣等感はI don't care 当たり前だろう
君を追いかけるよ 多分死ぬまで

1A

会場を見渡せばところどころ空席がある。来たくても来れなかった人がいる。今回は来ないという選択をした人がいる。
自分たちはいつも通りのライブをしているが、違和感はある。
ただ一つ言えるのは、今日会えなくても思いは届いているよ、ということ。

こんな状況で劣等感を抱くのも当たり前である。
でも死ぬまであなたを追いかける。
この状況下で、君に寄り添うことを宣言してくれた。まぎれもなく心の支えとなった。

並行中の問題に悩んでみたり 偽善者を気取っては心を痛めたり
人間なんて皆目はそんなもんだろう 僕もその中で生きてるんだよ

2A

「正しい」「正しくない」の判断に迫られる日常。
何がよくて、何がよくないのか。
誰が間違っていて、誰が模倣なのか。
その判断を下すたび、私たちは心を痛める。

白黒はっきりつけないと気が済まない世間で何を思うのか。
この判断をしなければ自分の道筋が見えることがない。
意味もなく歩くよりかは良いのかもしれない。
ただこの判断を「自分」ではなく「他人」の答えに任すとどうだろうか?

立派にキレイに見える様に飾ったら
立派にキレイな答えが出るけれど
大層な虚栄心に満たされる方が怖い 描く景色を気安く壊すな

2B

「キレイ」とは周りと揃っているから「キレイ」なのか。
周りと揃っているから「立派」なのか。
ある程度はそうかもしれないが、自分はそうしたくないのに、それで満足できるだろうか?

be with youを懇願して どれくらいだろう
新しい時代へと橋がかかるだろう
何回だってI‘m OK また立てるから
君を追いかけるよ その未来まで

ラスト

今日いないあなたへ、これまで会えなかったあなたへ。
どんな境遇にあっても、次のページへ扉は開く。
そのページが折れていても、破れていても、そのまた次のページは全く新しい。
今日あなたがいなくても、今いるあなたがもし倒れそうになっても、
その次のページを開くためにいつでも傍にいる。

望む次なるショーに向けて、沢山のメロディが楽譜になって、大切な言葉とともに乗せ、心に刻む。離れていたって、今見えないあなたにも届ける。
どんな時代に橋が架かっていようと、あなたを追いかける。
気が付けばステージ上に一人、スポットライトに照らされながら純白のストラトをかき鳴らし、そんな言葉を投げかけて、終幕する。

ステージのバックには、「SEE YOU NEXT LIVE」の文字。
別に、この文化が終わったわけではない。
不要不急で片づけられるほど、たやすいものではない。
想い続けていれば会える。
そんな機会を、常に待ち望んでいた。


祝祭の鐘よ鳴れ

夏の風物詩を横目に、待ち望んでいた世界へ足を運ぶ。
少しずつ活気を取り戻しつつある街並みは、微かな光に向け一歩一歩進み続ける。
新たな日常を取り入れつつ、培ってきたものを大切にしながら、今日も生きていく。

ライブという文化も同じ様に進んできた。
心の旋律が、静寂という名の雑音に攪乱された。
不要不急という位置付けにあったが、音楽の力はそんな言葉で片付けられない。
音楽とはアーティストの人生であり、生きている証である。
不急どころか不要なんかじゃありゃしない、1人の人間が生きてきた証なのである。

それは受け取る側も同じだろう。
音楽が日常の僕たちは、辿ってきた道のりに必ず道標があった。
その道標は目には見えないが、耳を通して景色を形成する魔法の様なもの。
その音色を感じれば、いつでもその時の景色が蘇る。

ここまでよく生きてきた。耐え抜いてきた。
目に見えぬ敵との共存を選び、私たちは一歩進んだ。
この時の記憶を特筆すべき存在にして、また我々は前へ進む。
ここらで一つ、生きてきた喜びとして、一同に介したこの場を祝して「祝祭の鐘よ鳴れ」と称するツアー。

会場に着くと、白い幕に包まれたステージ。どんな祝祭が始まろうとしているのか。
これまで世間的に派手な演出を施してこなかったこのバンドにおいて、この演出は誰が考えたものだったのか。

このステージ、既視感がある。
2年前に行われた on the seat。この時は真っ黒の幕がかかったままスタートした。
そして最後の曲ではギタボが一人で歌い終わり、SEE YOU NEXT LIVEの文字。その時の情景を彷彿させた。
そして絵の具のピアノに被せるように、あのイントロが聞こえてきた。

I miss youを通過してどれくらいだろう
意地を張って何とかやってるつもりだよ
劣等感はI don't care 当たり前だろう
君を追いかけるよ 多分死ぬまで

1A

ついにフルキャパになったオーディエンス。
あなたに会いたかった。意地張ってライブをやってきている。
こんな時代だからこそ人と比べてしまい心痛めるけど、
後ろから俺たちがついてるから、たまには振り返ってくれよ。

これが生きた心地か。
みんなで生を褒め称え合い、「俺はまずまず、そっちはどう?」と現状報告をする。
人の温もりを感じるとはこんなに心地よいものなのか。
一つのシーンを共有し、思い思いの感情を形にする。
こんなにも生きていると実感した時間はなかった。

harmonized finale 星座になる 沢山の願いを乗せて
誰かを愛したいとか 君と笑っていたいとか 光に包まれる街で
理由のない涙もあるけど 想い続けていればきっと 会えるから
大切な言葉今 へタクソでも言わなくちゃ 誰かと誰かを繋ぐ星空の下
ありがとう ありがとう ここからまた始まってく

今日が 今日で 続いていきますように。

ラスサビ

今日この日をずっと待ち侘びていた。
みんなに会えることを心から楽しみにしていた。
想い続ければ、会えるんだよ。またここから始めよう。
今日この時を、ずっとこのまま続いていきますように。

あまりにも溢れる多幸感。
これが前回歌われたon the seatとはまた違った意味合いを受け取った。
こんなにも盛大な祝祭のプロローグを飾って、この後何が待ち受けているんだ?とも感じた。

にしてもこの演出、ずるい。
こんなに見入った一曲目はプログラム15thでお人好しカメレオンをぶっ込まれた時以来だろう(あの時は驚きが150くらいあったせいだが)。
on the seatの一曲目の、黒幕がかかったまま真っ暗の中でのスタートという演出と違い、白い幕がかかったままで3人の影が映し出される演出だった。
この演出に込められた意味を勝手に汲み取った。

世界の見通しが全くないまま進まなければいけない。いわば、「陰」の中をひたすらと進んでいたあの頃。
自分の好きなことをしていても、僕の心はずっと「陰」のまま。
誰に認められるわけでもなく、ただ自分のやりたいことをやろうとすると色々な見えない鎖に縛られる感覚に苛まられる。

ただ世界は前へ進む。その方向があっているかなんて誰もわからないが。
そうすることで徐々に心の「陰」は明けていく。保証なんてないが。
まだ見通しはわからない。でも、少しずつ前へ進めば徐々に「陽」が差し込んでくる。
壮大な白いキャンバスに描かれたのは、「陽」で描く「陰」の作品。
見通しはまだまだ悪いが、確かに未来は明るくなっている。

この2年間の全てを暗示している様な演出だった。

私が受けたこの曲の演出に込められた意味である。
実際御三方が演出にまでどこまでこだわっているかはわからないし、この演出も演出家の感性に従った結果だろうと思うが、少なくとも私はこう捉えれた。

約束された旋律は、執拗な聴衆者の心を静かに燃えたぎらす。
2022年、こうして生を称え合う祝祭は幕を閉じ混沌の渦へ、楽園は近い。


九段下のオーケストラ

2024年、20周年。
ロックバンドの結実。

僕たちが出した20年の答えだ。他に伝えることはない。
田淵が発した最後の言葉や、これまでの軌跡を辿ると、結実する日に相応しすぎる曲たちが並んでいた。ここには「I miss you」「be with you」のように過去をたどる必要がない。
「後ろを振り返れば君がいた」ことが証明されたから。

この日を振り返ると、他に必要な曲があるのか、と考えてしまうが「20年のロックバンドが結実」することを鑑みると他の曲が出入る隙が無い。
彼らが出した答えなのだから、他に無い。
聴きたいか、聴きたくないかではない。やりたいか、やりたくないか。
どこまでエゴイストやねん、このバンドは。
そういうところが飽きないところなんよ。


飽きない理由は他にもある。
ロックバンドが結実した次の日。日の丸の下でドロップされる。
「陰のステージ」「陽が作る影のステージ」の先で華やかな景色が待ち受けていた。
オーケストラバージョンのharmonized finale。目の当たりにした景色に言葉はいらなかった。

20周年というバンドの記念日の次の日、これ以上ない祝祭が開かれた。
正しいか、正しくないかよりやりたいか、やりたくないか。
ロックという名のわだかまりを解くために、常に自分たちの美学を貫いてきた。

美学を貫くのは簡単なことではない。
現実は厳しかった。
自分の書いた曲でロックやJPOPが、世界が変わると思っていた。
夢というか半分確信に近かったのに、全然変わらなかった。

それでも君がついてきてくれたから、盛大にお祝いしようと言わんばかりの特別なステージ。

そんなに自慢できることは ないけど
今日もそれなりに少しずつ 歩いてる
猜疑心や羞恥心に縛られちゃったなら 描く景色に届きはしないだろう?

1B

猜疑心と羞恥心。「人からの言動を素直に受け取らず疑いの気持ちを持つこと」と「対人場面における失敗や恥じらい」に縛られていると、自分の思い通りの世界には届かない。

人は夢を見る。その夢に向かって突っ走る。
誰もがその夢は思い続ければ叶うという。周りの大人の言葉を信じて夢へと走る。
しかし現実はそう甘くはない。周りの環境や自らの実力のベクトル違いを痛感し、その夢は夢のまま終わることが多い。

田淵はこの曲の記事で、「夢を見るために音楽を聴いている人たちばかりじゃない」「リアリズム的なものが自分の大元にある」と語っている。(参照:https://music.fanplus.co.jp/special/2014010342471a5c0
音楽があってよかったという人に、現実は現実であり続けるということを伝える。

夢を見るとは自分の思い描いている通りのことが起こる。自分の物差し加減のため、他人からの言動を素直に受け取れない。
しかしその夢が潰えたとき、計り知れない羞恥心が待ち受けているかもしれない。
どちらの側面も、人が成長しない、進めない理由になり得る。
描く景色に手を届かせたいなら、この2つに縛られず、現実をしっかりと受け止めて歩いていきたい。

音楽がそこにあるという現実。
今日が今日として続いてほしいという願い。
4年前から「陰」と「陽」がつないだ世界の先は、ロックとオーケストラの融合という類を見ない夢のような編成で、君と音楽をしていることへの幸せという名の、現実を歌い上げていた。

harmonized finale

何が起こるかわからない世界。
自然災害、疫病、対人トラブル。
身を乗り出せば手に負えない問題がずっと駆け巡り、先のわからない日々を過ごす毎日はコロナ禍を抜け出しても続いている。
浮き沈みや変化の速いこの世の中で、今を生きるには。

「陰」はその先にある「陽」が作り出すもの。
たとえ目の前が真っ暗でも、その暗さは先にある陽によって作り出される。

ただ、「陰」にいる時、そんなことを考えれる余裕はあるだろうか。
何が正しいのかわからず、どこへ踏み出せばいいのかわからず、ただひたすら畦道を不確かな一歩で彷徨うだけ。
ただ、暗闇を抜け出そうとしたとき、あの人が待っている。

I miss youを通過してどれくらいだろう
意地を張って何とかやってるつもりだよ
劣等感はI don't care 当たり前だろう
君を追いかけるよ 多分死ぬまで

1A

どんなに辛くても、どんなに苦しくても、どんなに目の前が暗闇でも、僕たちにはユニゾンがいる。
振り向けばみんながいる。ユニゾンの音楽を愛する者がみんなあなたの背中を押している。そんな現実が、今まさに進んでいる。
どれだけ苦しくても、みんないる。
彼らの音楽は、空の下にいるみんなを繋ぎ、光で包んでくれる。

harmonized finale 星座になる 沢山の願いを乗せて
誰かを愛したいとか 君と笑っていたいとか 光に包まれる街で
理由のない涙もあるけど 想い続けていればきっと 会えるから
大切な言葉 今 ヘタクソでも言わなくちゃ
誰かと誰かを繋ぐ星空の下
ありがとう ありがとう ここからまた始まってく
今日が今日で続いていきますように

ラスサビ


もしかしたら、今あなたがいる陰の先で、UNISON SQUARE GARDENが陽を照らしてくれているかもしれない。


あとがきに変えて

やっと書き終わった・・・・。

今回もデスゲぇ……、素敵な企画に参加させてもらって感謝です。いつも壮大なデスゲぇ……( 素敵な企画を練ってくださるナツさんに感謝。

後半すごい足早に進んだ感じしましたが、このあたりを書いているときに一つ大きな仕事が舞い込んできまして・・・・。全然構想練れなかったのが残念です。次につなげます(次ってなんや?)。

ぶっちゃけタイバニを見て、映画も見ればもっと聴き方が変わってたかもな・・・と思います。もしかしたら、何かのきっかけで映画を見て、記事の内容も変わってるかもしれないので、たまに見に来てください(?)。

この曲の担当になった瞬間、kaleidoツアーのことしか頭に思い浮かばず、「祝祭の鐘よ鳴れ」の冒頭の言葉がなぜかすっと降りてきた感じがしました。
推理編でも紹介したこの部分から今回の記事が組み立ってきた感じです。「陽」と「陰」についての関係は、kaleidoツアーでのハモナイの演出を見た時からずっと考えていたことなので、もう一度その時の感情になれてすごく懐かしく感じました。(その時のツイート載せておきます。)

この時まだコロナ禍でしたね~兆しはかなり見えてきたけどマスク必須やし店によってはパーテーションあったり(あれ邪魔やったなあ)。
そんな中でのkaleidoのあの演出に、何か意味がありそうでめちゃくちゃ気になってました。

コロナ禍が来て以来、世の中本当に何が起こるかわからないなと思えるようになりました。それまで震災やら様々な事件が飛び交っていましたが、あれだけ全人類を巻き込む事態になったのは初めてでした。
「明日は我が身」なんてよく言いますけど実感なかったんですよね。

on the seatは私が初めて公演中に泣いたライブです。
暗闇の中スタートしたクローバー、暗めのライトアップで今の現実を暗示しているかのようなライブだなと思ってたら、文字通りフルカラープログラムのステージを見てめちゃくちゃ泣いた記憶。あの暗闇からのフルカラーのステージは今でも忘れられませんね。

ユニゾンはいつも陽を照らしてくれるなんて言いましたが、多分本人たちは自分たちの好きなことやっているだけなので、そんなこと意識していないと思います。
でも、自分たちが好きなことしているだけで誰かの陽の光になれるなんて、そんな幸せなことないじゃないですか?
私が目指すべき人間像だなあと思って、少しでも彼らからの意味を受け取れるように、このバンドを追っかけている節があります。

今回on the seat、kaleido、オーケストラを観に行こうを題材に書いたわけですがこの3つのライブ、結構自分のライブ人生の中でもキーとなっているライブとなっているわけですごい書きやすかったです。
この曲について意味を探れているかわかりませんが、ライブバンドとして描くこの曲の意味を見出すという試みをしたつもりです。
どのタイミングでも、陽を照らしてほしい、照らすべきタイミングでこの曲が演奏されているので、相当特別な曲だなと感じています。聴いていて快感です。

誰かの陽となれるよう、その時に欲しい言葉を投げかけれるような人間になりたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?