わたしの野望と本望
いつだって自分で何かしたい。
目立ちたがり屋…ということではないと思うけれど
音楽だってスポーツだって、
見ているだけではウズウズしてしまう。
そんなわたしが巧(ダク)み屋を名乗り始めて、はや数か月。
最近はその活動もそこそこで、わがままに自分のやりたいことを模索してやってみたりみなかったりしている。
落ち込むこともあるけれど(ここにきてコロナのダメージでかいぞ)、自分で自分を嗜めたり機嫌をとったりしながら、マイペースに生きられていると思う。
そうこうしていたら、自分にとって本質的で、結構大事な価値観をあらためて感じることができた。
noteも少し間が空いてしまったけれど、書きたい時に書くんだ。
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ここのところ教育や福祉などの界隈で、「伴走」という言葉をよく耳にするようになった。
伴って、走る。
主役はあなた、そして私もあなたと一緒に走ります、という意味合いが込められているのだと思う。
(実はこの言葉に少しばかり違和感を感じつつも、話の本筋から反れてしまうので今回はスルー)
わたしが4年半携わってきた社会教育の仕事、(発令はされていないが)社会教育主事というポジションは、まさに伴走者として目の前の人と向き合うことが多い。
あらゆる立場の人が、社会の中で主体的に学ぶ環境を醸成する。これが大きな役目になる。
ただ実際のところ、種を撒いてほったらかしにするだけではなく、時には泥臭く人や団体と向き合い、手探りで道を切り開いていく。
もっと遡ると、塾講師の仕事でもひたすら生徒に伴走していた。
どんなに頑張って指導したとて、結果を出すのは生徒自身。
最後はすべて信じて任せるしかない。
喜びや悲しみを分かち合いながら、そこにいる相手のためにただ真っすぐに全力疾走できた日々。
本当に、きれいな仕事ばっかりしてきたよなと思う。
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学生時代のアルバイトも含め10年以上、教育に携わってきた。
気付けば伴走することが当たり前になっていて、
なんでも自分が、という性格も随分変わったように思う。
その他、劣等感やら喪失感やら何やらを色々経験した末、
結局自分は何者にもなれないという悟りを開いた部分もあるかもしれない。
自分が主役みたいになることに対して、どこか抵抗すら感じるようにもなった。
そして2020年春、ふとしたキッカケで始めた巧み屋。
よく勘違いされるけど、この活動の本筋は「自ら企むこと、企画をすること」ではないと断言したい。
自分自身が企画するのも、それはそれで好き。
幼少の頃から、クラスのお楽しみ会や学園祭、公私にわたるイベントなど
規模の大小を問わず、まー色々やってきた。
それにともなうワクワクやエネルギー、はたまた苦労や痛みなども含め、きっと人並み以上にはあらゆるものを感じてこられたと思う。
ただ最近本当によく思うのが、おそらくわたし自身そこまで企画立案に向いているタイプではない。
0→1に、とか、部分的に得意なことはあるかもしれない(分野にもよる)けれど、少なくとも一人じゃ到底役に立たないヘッポコだ。
もっといいアイデアが出せる人がいる。
なんでもサクサクスムーズに決めていける人だって。
うまく場を回せたり、気配りできるとか最高じゃん。
あぁ劣等感劣等感…
で、終わらないのが
最近のわたしの良いところなんですよね~
なぜわたしが巧み屋をやるのか。
まずは自分のエゴ。
自分でやるよりも人のやりたいことに乗っかった方が、断然おもしろいなーって思うことが多い。
自分にはない発想ってやっぱり新鮮だし、叶え甲斐がある。
実際これまで関わらせてもらった案件の中で大きく感じることができたので、今のところ本当にやってよかったなと心底思う。
あとはギブするモノとして、
わたし自身が企みの共感者になれるかもというもの。
無責任にへーふーんそーですかーって聞くだけじゃなく、
一緒に走ってみるなかで、その人にない視点を取り入れられるかもしれない。
プロじゃないんだけれど、たのしさもしんどさも、一生懸命に共感してみせる。
あるいは共創、という言葉もよく出てくる。
結果としてできるものもたしかに重要なんだけれど、
それ以上に、その人の人生のストーリーの一部分として
そこに向かうプロセスを大切にしたい。
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今更ながらものすごく大それたタイトルにしてしまった。
そんなこんなで自分自身の野望というのがだんだん見えなくなっていて、でも不思議とそれでいいような気がしているというお話。
以上がわたしの本望であります。
まとめると、わたし、セミプロでいたいんだなぁと。
いや、それすらもおこがましい程。。
プロフェッショナルじゃないけれど、なんかそこに居るひと。
シロウトだからこそ、一緒に笑って泣けるひと。
...こうやって書くとレンタルなんもしない人みたいだなって思ったけど、レンタルさんはきっとそこまで感情を表に出さない。はず。笑
そんなやつ邪魔だしメーワクだよ、って人には
まったく何にも役に立たないと思うけど
(期待はずれだったらごめんなさいね、他あたってね)
おそらく特定少数の、まだ見ぬ「あなた」と一緒に
何か楽しいことできるといいなぁと今日も無邪気に思うのです。