
音楽とわたし④-鬼のネガティブドラマー-
多趣味で飽き性、ひとつのことを貫ける人にあこがれを抱きつづけているどいの人生で唯一、ずっとこだわっていたくて、一貫して深く関心を持ち続けている音楽。
12月末まで毎週火曜日に更新する#週1note vol.5、
音楽を通して人生を振り返るエッセイを書いています。
すっかり終盤戦、来週のクリスマスイブの更新が最終回です!
ここまで読んでくれたあなたは、ぜひ
最後までお付き合いくださいませ。
前回までの記事はこちら↓
1週目(11/19) プロローグ-音楽とわたし-
2週目(11/26) 音楽とわたし①-それなりに音楽一家-
3週目(12/3) 音楽とわたし②-打楽器との出会い-
4週目(12/10) 音楽とわたし③-兼部とドラムレッスンと-
5週目(12/17) 音楽とわたし④-鬼のネガティブドラマー- ←今ここ
4週目までで高校卒業を迎え、いよいよ大学生編。
10年ちょっと前からの時間軸になります。
(もうそんなに経ったのか…)
--
“大学生時代”のキーワード
・軽音楽サークルの隅っこ部員
・まだまだドラムを極めたい
・遅れてきた“ジャニ期”
軽音楽サークルの隅っこ部員
大学入試はセンター利用推薦で早々に受かった。
大阪の公立総合大学、といえば聞こえがいいし、周りはそこそこ賢い人ばっかりだったけれど
センター利用推薦+大阪市内枠(市内の高校に通っていたので)とかいうチートで受かってしまっただけのわたしは、わけもなく4年半かけてなんとか卒業できた程度の底辺層だった。
晴れて大学生になれる。そこそこ規模も大きい大学だし、絶対軽音楽のサークルに入ろう。
2月の少し早い時期に合格が決まった推薦組は、一般入試(前期・後期)で多くの人が押し寄せる前に、いち早く入学手続きに訪れることとなる。
そこでたまたま、同じ学部の受付名簿に中学時代の塾の友達の名前を見つけて、連絡を取ることになった。
すっかりご無沙汰していたけれど、昔から同じバンドが好きだったので、再び意気投合。
彼女もまた、初心者ながら軽音楽サークルに入ろうとしていたので、一緒にサークルのボックスを覗きに行くことに。
前期・後期手続きみたいな、人がいっぱい来てどこのサークルも新歓をやっているようなタイミングではなかったので
その後入部することになったサークルのボックスに突撃したときには、先輩方に心底びっくりされたと思う。
ただ初見のその日のうちに、ご飯に連れていってもらったり、色々と大学のことを教えてもらったりして、大学ってすごいな、ここの人はみんな温かいなって素直に思った。
その後、新歓期を経て入部。
サークルだけでなく、大学祭実行委員会をかけもちしたり、バイトも塾と介護をかけもちしたり、本業では福祉の学科だったので、資格取得のための単位や実習をこなしたりと、今思えばまったく意味の分からないほど忙しい大学生活だった。
なお1回生の途中まで、合唱サークルにも籍を置いていたけれど、大学祭実行委員会に入ると決まってさすがにパンクしそうだったので、早々に退部を決意した。
基本的な行動原理は今も似たようなもの。
ただし当時のわたしは、ただがむしゃらに突っ込んでいくばかりで、自分のキャパシティの管理や調整、引き算がとても苦手だった。
結果、ネガティブ大魔神と呼ばれるまでに…
しんどい、忙しい、もうあかんわ、とかが口癖で、それもかわいらしく言えるようなキャラじゃなかった。
あと所属していたサークルは当時、学内でもそこそこ知られる飲みサーだったのにも関わらず、お酒に関してへなちょこだったわたしは、自分で勝手に肩身が狭い思いをしていた。
楽しくないわけではないし、いい人たちがたくさんいた。
けれど拭い去れない日陰感。
同じ代にはドラマーがあと1人しかいなかったし、一応経験者ではあったから、バンドメンバーとしてはそこそこ重宝されたけれど
(サークルはジャンルを問わずコピーバンドをイベントごとに組むスタイルで、固定のバンドという名目はなかった)
結局、学祭のステージとか華のあるところでは人望も技術面も先輩や後輩には及ばず、大きな舞台に立つことはほぼなかった。
今になっては、自分自身の言動や態度に問題があったよなって笑える時期。
大学自体にそこまでの思い入れはないけれど、
この時に出会ったサークルの友人は、先輩後輩含め、なんやかんや気にかけてくれたり慕ってくれたり、忙しさにかこつけて闇を巻き散らかすようなわたしを心から叱ってくれるような人もいて、本当に恵まれていたんだなと思う。
まだまだドラムを極めたい
サークルの中では日陰だったけれど、そんなことは関係なく、ただただ上手くなりたかった。
サークルのイベントでは機会があるごとにバンドを組み、かけもちで3、4バンド並行することもしばしば。
基本的に他のパートのメンバーに誘われることが多かった。
よっぽどでなければ断らないスタンスだったので、声がかかれば聴いたことのないバンドや、当時あまりなじみのなかった洋楽、V系など、何でも叩いた。
機材もスネアをはじめ、ペダルも何本か。
スティックにもこだわっていたし、
EGO-WRAPPIN'のコピーをしたときにはブラシにも挑戦した。
シンバルとか小物もいくつか揃えたり。
T.M.Revolutionのコピーをしたときにツインペダルも購入。鬼のようにツーバスの練習をした。
サークルは部室(ボックス)以外にも練習場(スタジオ)を2つ持っていて、週ごとにスケジュールを組んで使っていた。
1日をコマ割りして、バンド練習を取ってから、余った枠で個人練習を取るスタイル。
こんな画像残ってた笑
音練表なつかしー!
ドラムを叩いていない日の方が少なかった。
バンドをたくさん組んで、たくさん曲をコピーしたから
必然的に練習量もすごかったと思う。
(わたしがすごかったというより、サークル全体がそんな雰囲気でした)
スコアがない曲は耳コピ。
人によってやり方は違ったと思うが、わたしは一旦五線譜に全部書き起こしてコピーしていた。
バンドスコアが出ていないようなインディーバンドもたくさんやったので、耳コピした曲はトータル50曲をゆうに超えるんじゃないだろうか。
細かい記憶はもうあまりない。
でも楽しかったな。
やっと心からやりたいことができていた青春。
大学自体は正直あんまりすきじゃなかったけれど(なんというか校風が合わなくて、学業には本当に打ち込めなかった)、大学時代にやっていた活動、出会った人たちは、わたしにとって大きな財産となっている。
遅れてきた“ジャニ期”
ここから一気に時が加速する。笑
大学時代はライブにもたくさん行って、
学祭でもロックフェス企画に携わったり、多方面から様々なアーティストやバンドを見るようになった。
サークルは引退後もしつこく顔を出し、事あるごとに後輩とバンドを組んでいた。
4年生以降(卒業が半年遅れたので、幻の5年目もあった)、家で過ごす時間が多くなり、テレビをたくさん見る生活。
社会人ではないから、そこそこ夜更しもして。
水曜深夜にやっている関ジャニ∞のジャニ勉が毎週の楽しみだった。
最初はバラエティとして、何となく見ていたのだけど
その年の紅白でエイトさんが出ていて
渋谷すばるの歌声に度肝を抜かれ、そこからファンに。
(最終的な推しは丸ちゃんでした)
いろいろハードル高すぎてコンサートまでは行かなかったけれど、
特典目当てにCD買ったり、DVD買って観たりしていた。
彼らの曲が本当に良くてですね。
抜群に歌が上手い、とかだけじゃなく、メンバー一人ひとりの役割がちゃんと考えられた構成や楽曲のクオリティに感動していた。
どちらかと言えば商業路線はアンチで、あんまりJ-POPに興味を持ってこなかったけれど
ジャニーズを追っかけて歌番組とかも見るようになり、この頃からアイドルとか流行の音楽をわりと前向きに聴くようになったと思う。
どっぷりはまっていた時期はほんの1、2年くらい。
たぶんコンサートに行っていたら抜け出せなくなっていたと思う。笑
その後はや6、7年。
エイトさんも色々あったよね。
熱量は保てなかったけれど、今でもすきだし応援している。
--
やばい。
多めに見積もって、書きたいことの3割くらいしか書けていない!
今年中に全部書きたかったけど、終わらんなぁ…
そもそも社会人編の尺…
ひとまず本記事はこれまで。
最後に今年ぶったまげたジャニーズソングを1曲。
文句なしにかっこいい!なにこれ。
#週1note vol.5 5週目の更新でした(過去形)
他のみなさんのnoteはこちらから↓