オンラインツール自体が場づくりになっていると気付いたClubhouseでの体験
Zoom,SpatialChat,oVice,CozyRoom,GatherTown、いろんなツールが出てきた中で、ここで音声だけのClubhouseという世界が流行り方も含めて存在感のあるツールに出会いました。
最近、ファシリテーターがいなくても場の仕組みで「いい感じの場」になるのが理想なのかもと考えることが多くなってきました。そしてClubhouseの「音だけ」という制限が「場の仕組みにより発生するファシリテーション」にあたるかもしれないと思いました。
例えばClubhouseでは、ご存知のようにカメラ画像の表示がありません。自分の姿が相手に映ってはいないので、そこから「何かしながら」という「ながら」ができています。つまり仕組みによる「行動の違い」が生まれています。「いやいや、Zoomでもカメラオフすれば同じでしょう」と言えますが、機能がないclubhouseと選んでやらないZoomでは、気の持ちようが違っていて、少なくともZoomの時に「ながら」を前提とした集まりは設定されません。
またclubhouseではオーディエンス側からのリアクションはできない仕組みなので(厳密には手を挙げたり、アイコン写真を変えたりで伝えようとはできますが)、モデレーターやスピーカーにある種の安心感が生まれます。チャットによるリアクションがあった場合、そこに反応したくなりますし、質問が書いてあったら拾わないと失礼かもとも思います。そういう予想外のことへの対応もできないので、自分のペースが保ちやすいと思いました。さらにメモをとってはいけないというような特殊な「規約」とログ、アーカイブが残せない「機能」も安心感を増してくれます。
制限・制約が場に対して影響・作用をつくりだし、暗黙の了解やガイドラインという形ではなく、明示的な場づくりにになっているなと感じています。リアルなオフラインの場では成立しえない「世界の理」のようなものが仕組みで起きているなと。
ここまでは「できないこと」制約での話でしたが、逆に「できること」での作用もあります。それはスピーカーとオーディエンスの切り替えの仕組みです。スピーカーになるには、モデレーターの権限でオーディエンスをスピーカーに上げる「スピーカーへの招待」という機能があります。そしてオーディエンス側からは、スピーカーに上がりたいという意思を示す「手挙げ」機能があります。そして、どちらの行動にもお互いに「お断り」をすることができます。(話はずれますが、断る時に選ぶ選択肢の「言葉づかい」も選ぶ人の心理的ハードルを下げる言葉遣いになっていて、すごいんです。)この「相手も選択できる」と分かっている状態では、招待も手挙げも行動として「しやすさ」を与えると思います。
そして、ルームから離れる時の「気安さ」もClubhouseではよく語られることで、「そっと」出られる感じがあります。さらに、これは狙ってはやってないと思いますが、不具合で部屋から出されてしまったり、再接続しないといけない経験を利用者が多かれ少なかれ味わっていることで、ルームから人が出ていっても、もしかしたら不具合かも…と思うし、ルームが始まった時の通知を思わずタップしてしまって「誤操作」的にルームに入ってしまった経験も少なからずありそうで「部屋から人が出ていく」ことに「嫌だから出ていった」とは思いにくくて「なんか間違ったとかかな…」「不具合かな…」とか思ったりして、しまいにそもそもそんなに気にならなくなります。
ここまで仕組みや操作による人の行動への作用について書きましたが、これらの起きていることがある対話の手法で味わったことがあったなぁと結びつきました。
それがOST(オープンスペーステクノロジー)と呼ばれるやり方です。自分の話したいテーマでルームを立ち上げて話し、人が作ったテーマの一覧を眺めて(もしくは通知が来て知り)参加したいテーマに参加したい度合いで参加して去る。
もちろん、厳密にはリアルで行うOSTとは違う部分が多いし、OSTをイベントの中に、どういう意味合いでどういうタイミングで設定するかの設計はclubhouseでは難しいので、正しいOSTはできないかもしれませんが、それでも、試してみたいと思いました。
ツールの世界観は機能で作られ、使い手のユーザーによって工夫と解釈、概念が共有されて、生み出されていく。
オンラインの世界はまだまだ広がっていきそうで、楽しみです!
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