やっぱりファシリテーターという在り方が好き
このブログはファシリテーターをテーマにしたアドベントカレンダーの11日目になります。
ファシリテーターをするのが好き
今回、ファシリテーターに関してのアドベントカレンダーを数回書くことになって、日々ネタを求めて思考していますが、やっぱり自分はこのファシリテーターという役割というか、在り方がすきなんだなぁと思ったわけです。
そこで、3回目の今回はなぜ好きなのかを挙げていきたいと思います。
好きな理由1:ファシリテーターのスタイルは人の数だけある
これは昔から私が言葉にしていることの一つです。ファシリテーションの実践はファシリテーターのそれまでの経験(経験はファシリテーターとしてだけではなく、自身の生活など全て)したことや、体験から学んだこと、現時点で意識していることで発現(その場に現れる)します。もちろん「認定ファシリテーター」という類のものには、その場に現れるものの再現性を考えて「スタイル」にもなっているものもありますが、ファシリテーションの多くはファシリテーターの「個性」が活きると考えます。ファシリテーション自体が多様性を大事にしたり、人との接し方を大切にしたりするものだと思うので、その「在り方」もそうなっているのがうれしいです。
好きな理由2:学びも普段の中にある
ファシリテーションはひとつひとつのふりまいは普段の生活でおこなっていることと比べてもそれほど特別なことはないと考えています。その人が今まで経験したことや、その人が向き合っている「場」そのものはリアルであり、誰かのファシリテーションを場で感じて、自分の好きな場から学びを得ることができます。自分もファシリテーションについては多くの心の師匠がいますし、体験から学び、自分の中で思考して、言語化して、今の自分のスタイルになっています。私の感覚が「良いなぁ」と思う人が私のファシリテーションを学んでくれるので、そこには自然な「学びたい」が発生します。何度か私の場を体験したことない方にも学んでいただくことがありましたが、そのうちの何割かは「求めていたものと違う」という方もいらっしゃいました。多様であるからこそ、違和感から自分の求めるものが見つかることもあるので、それはそれで良いと思っているので、違和感が何かを言語化してもらって学びにつながるようにはしたいと考えています。
好きな理由3:人に丁寧に接することができる
これは私自身の生きてきた中で培われてきたことかもしれませんが、人と関わるのがあまり得意ではありません。その私がファシリテーターという「存在の仕方」を場からもらうことで、自分の「在り方」に落ち着くことができます。そしてその場では強制的にリードする必要もなく、拒絶しあう必要もなくて(違和感を感じてそれを場に出すのは全然ウェルカムです)、丁寧に接することを認めてもらえているので、心地よいです。対立構造や、まだ何も始まっていない場ではコミュニケーションの形を模索しないといけませんが、そこも私の感覚だけで、強制して進めることはしなくても良くて、場の人から得るフィードバック(この場合のフィードバックは、意見をもらうというのではなくて、私が観察して自分自身が感じることを指します)を元に自分がこの場に合ったものを見出して、場に作用していくことができます。
好きな理由4:場に委ねる=人を信じる
私の昔のファシリテーションは「xxしてもらう」というような人に行動をお願いする形でしたが、段々と「xxしやすくなることをしてもらう」様になって、最近だと「結果、xxにしている環境をつくる」という形になっています。もちろん「xxしてください」というのも、その場の状況に合わせて使ったりはしますが。(^^;
「xxしてもらう」を直接お願いしないので、「xx」が起こるかどうか、発現するかしないかは、その場の人たちに委ねるしかなくて、起きたことに対してまたファシリテーションをするということになります。その集まった目的に対して「良くない方向にいかせよう」と思っている人がいないことを信じて、いや、そう考える人も含めて「場」と捉えて向き合うことができるのが楽しいなと。私はあまりいろんな物事に興味を持ったり学んだりするのも苦手で、詳しく知ることなく、場に向き合うことが多いです。「無知であること」。これは私にとっては一つの「信じる」に繋がっていて、「無知」であるがゆえに、そのものごとの「良し悪し」についても私が判断することはなく、「無知」であるゆえに、どんな行いも嘲笑せず、起きていること、感じていることとして受け入れることができるのかもしれないなと。
「在り方」の自由さ
この私の考え方も、私自身の「在り方」でしかなくて、共感もあるでしょうし、違和感もあると思います。押し付けず、理解者になり、その人の、場の背中を押す。そんな存在でいたいと思うでした。理解者はそのテーマについて「完全に理解する」ことではなくて、その人の「理解者」であるだけなので、AさんとBさんが対立していたら、どう対立しているかの理解ではなくて、Aさんの理解者であり、Bさんの理解者であるという、ある意味「どっちつかず」なのです。その場の向かう方向はAさんとBさんの間に起こることだと思えるので、委ねて流れをAさん、Bさんが感じられるようにする。そんなファシリテーションをしていきたいと思います。
かなり私の好き勝手に語りましたが、みなさんも自分なりのファシリテーターのスタイル、在り方を模索してみてはどうでしょうか?
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