対話の場の「始まり方のデザイン」
自分は人見知りです。
小学生と高校の時に転校を経験して生存術として空気を読むことと、その場に合わせて演じることを身につけました。そして転校してくる人が少しでも馴染みやすくなるために手を差し伸べることを自然とするようになりました。
たぶん、これが私のファシリテーションのルーツであり、人が居心地が良い環境というのに執心している原点だと思うのです。
居心地というのは、最初はやはり「話せる」ことにあたると思い、馴染めていない場で自分の言葉を聴いてくれたり、安心して会話ができることはすごくありがたかった。馴染んでくれば、沈黙もまた居心地になるとは思いますが、最初の関係性を構築するのは自分の感情に近い部分を話せることだと考えています。
大人になり、自分の時代は終身雇用が虚像になり、転職もそうですが、SESといういろんな現場に出ていく仕事の仕方が当たり前になり始めた時期だったので、「話せる関係性」をどう構築するかは若い頃からの命題でした。
おそらくその頃から単なる「会話」ではなくて、「対話」という関係性が再構築される安心感や中身のある話し合いができる場を作ってきたんだと思います。
ITの勉強会コミュニティに運良く参加する機会を得て、エンジニア同士で話し合う場を作りたいと聴いた時にまっさきに「ワールド・カフェ」を提案して、初めて会う人同士や、新しく参加してくれた人たちが安心して話せる場をどうやって作るかを考えるのは楽しかったし、初めて場に入る人の気持ちは転校という体験や、外注として参画するプロジェクトでの体験が活かされていたと思います。
懇親会の「ぼっち」という現象についてもすごく馴染みがあって、居心地を求めるとそういう在り方も良いと思えるし、それでもそっと関われる、もしくは関わってくれる場はうれしいと感じました。
話しやすい場への考え方は、それらの経験の集大成で、経験が増えるたびに自分の対話への考えはアップデートされていきました。
「おもてなしする」「迎え入れる」どちらも主体が主催する側の、もしかしたらちょっと上から目線とも取れる考えですが、コミュニティに足を踏み入れるとか、転職して新しいチームに所属するとか、そういう時には踏み込んでもらえる集まり側が場を用意することができるので、場づくりをするのは主催側がしっかりやるのでいいんだと思います。
なるべく早く短時間で「居心地の良い場を作るか?」というのが、対話の場(ダイアログ)のファシリテーションを始めた頃の私の関心ごとで、なんでも自由に答えられるけど、そもそも関係性がない中で何を話せば良いかわからないという自由度の高さよりも、話す内容を「限定」しやすくなる状況を作ることをファシリテーションして行いました。話す側と聴く側、新しく入ってくる人とそれを迎える側、限定しやすくすればするほど、話して良い内容がわかって、発言しやすくなる。転校生の思考だと思いますが、その場に合わないかもしれないことを言うのは勇気がいるので、最初は「探る」のだと思うのです。この場において自分が何者なのか…と。
もちろん、空気を敏感に察知して場に馴染もうとするという自分みたいな人ばかりではなくて、しっかりとどんな場でも自分というものを出せる人もいます。そんな人と空気を読もうとする人など、ほんとに多種多様な人たちがどうすれば一緒の場で楽しく対話ができるか?そんな「人」について考えて「場」について想像しまくった結果、今のダイアログファシリテーターとしての自分がいます。
対話の場を「話せる関係性に再構築する」という考えはこのように出来上がりました。
今は必ずしも最初はそうなってなくても良いと思えるようになったり、参加者に委ねることで自分たちで居心地の良い場にしようとしていく主体性に任せる考え方も身につけているので、構築のプロセスは多種多様というか、柔軟な柔らかさのあるファシリテーションにたどり着けている気がします。
自分の「ど真ん中」を文字にしていく練習として今回のブログを書きましたが、それをしっかりアウトプットとして「伝える」形にしようとプロポーザルで出したり、書籍を書こうとしています。
どこかで、そのアウトプットを見せる機会に立ち会っていただけることがあれば、少し寛容な心で話を聴いてもらえればと思います。
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