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私がnote「フォロー0」を貫くたったひとつの理由

これからも誰かをフォローするつもりはありません。

この発言が上から目線に聞こえてしまったら申し訳ありません。しかし、私はあえて「フォロー0」を続けています。その理由は、従来のフォロー・フォロワーという関係に依存せず、新たなつながりの形を模索し、関係性の再定義を試みているからです。

言い換えるならば、SNSにおける「フォローする」「フォローされる」という単純な形式を超えて、本質的なつながりとは何かを再考しようという挑戦です。

フォローという概念を超えたい

SNSにおいて「フォローする」「フォローされる」という関係は、私たちの人間関係を「フォロー数」「フォロワー数」というデジタルに記号化する行為です。反面、「好きだからフォローする」「フォローバックを期待してフォローを返す」など、フォローの動機は意外とアナログです。

しかし、この関係性の記号は一見シンプルに見えても、その背景にある動機は他者には見えません。私たちは、往々にしてフォローという行為に勝手な解釈を加え、それに安心したり満足したりします。これが、「ファン」や「支持者」といったラベルが無意識に生じる理由でもあります。

フォローに潜む「思考停止」のリスク

物事を批判的に考えることは重要です。フォローという行為を無意識に受け入れることは、「思考停止」を招くリスクがあり、これは重大な問題です。なぜなら、フォローやフォロワーといった関係性は、権威性や影響力と結びつきやすく、時に自己利益のために利用されることがあるからです。

権威とは、他者からの承認によって成り立つものであり、SNS上のフォロー関係も例外ではありません。単にフォロワー数が多いだけでも、影響力を持つ指標として認められる時代であり、同時にそれが「選別の思想」を伴うことで、見えない格差や搾取が生じる可能性があるのです。

「無知のヴェール」で考えるとフォロー0になる

哲学者ジョン・ロールズが提唱した「無知のヴェール」を紹介したいと思います。ロールズは、正義を考える際に、個人の背景や社会的地位に関する情報を持たない状態で判断することの重要性を説きました。この「無知のヴェール」をSNSに当てはめた場合、フォロー0という選択は、人間関係の表面的な数字から解放された状態を目指す試みだと言えるのではないでしょうか。

私がnoteでフォローをしない理由は、ただの反抗ではありません。それは、この「フォローする・される」という従来の関係性に縛られることなく、noteという場で本質的なつながりを探求しようとする、私自身の挑戦です。新しい形のつながりを築きたい、その一歩を踏み出したのです。(ちなみに、フォローはしていませんが、「スキ」やコメントで積極的に交流を試みています。)

とはいえ、今はまだ手探りの状態です。この新しいつながり方が、真に意味のある関係として機能するのか、それともただの自己満足に終わってしまうのか、不安と期待が交錯しています。もちろん、私はこの試みが実を結び、深い紐帯を生むことを心から願っています。しかし、願うだけでは終わらせたくない。そのために、どんな行動や姿勢が必要なのか、自分自身を見つめ直し、学び続けたいと強く思っています。

本質的なつながりを求めて

noteでは最初から「フォロー0」を貫いていますが、正直に言うと、現X(旧Twitter)で同じことを実行したら、どんな反応が待っているのか、その結果が怖くもあり、興味もあります。一方的にフォローを全て解除するというのは、まるで今まで築いてきた関係性を一瞬で壊してしまうような行為です。そのリスクを理解しつつも、どこかで「どうなるんだろう?」と心の奥で自問と葛藤があります。

こちらにどんな意図や狙いがあるとはいえ、「フォロー解除」というボタンを押した瞬間、フォロワーはどう感じるのか?怒り、失望、それとも無関心?私とのつながりが薄れていくのか、それとも逆に深まるのか。私に対して抱いていた信頼や共感が一瞬で消えてしまうのかもしれません。あるいは、その行為が逆に新しい理解や共鳴を生むのか。すべてが不確定で、未知数です。

新しいつながりの形を哲学する

でも、正直に言えば、私はまだその勇気を持てていません。微々たる数ですがフォロワー数は、私にとってのひとつの痕跡です。それを手放すことは、単なるマイナスブランディングでしかない可能性も十分にありえる。だから、私は小心者だと自認しています。その「フォロー0」へのボタンを押す勇気が出るのは、まだ少し先のことかもしれません。

Xフォロー数は150まで激減しています。

24年10月28日時点

それでも、その一歩を踏み出す日は来るのでしょう。新しいつながり方を信じ、未知の反応を受け入れ、私は再び自分の選んだ道を歩んでみたいからです。その答えは、未来の私にしかわかりません。しかし、変わらずに留まることが私の選択肢にないことだけは、今この瞬間にも確信できています。

もしのその一歩を踏み出すときは、こんな実験で始めたいと考えています。
この記録と経緯を哲学してみるつもりです。

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大田勇希|ハラスメントを哲学する【雇用クリーンプランナー】
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