アサヒに学ぶ、UP TO ME!
こんにちは、ガオラー1年生のRyuです。
突然ですが、みなさんもご存知のとおりアサヒはUP TO ME!の歌いだしを担当しています。
僕はここをアサヒが歌っていることに深い意味を感じています。
そしてこの背後にアサヒの素晴らしい人間性を感じます。
それは「足るを知る」とも言える人生哲学であり、他人の指標に頼らない「目標設定」です。
ふと自分をすごく遠くから見てみると、実はたくさんのモノや人に囲まれていて、満ち足りている。これ以上多くを求めることに意味があるのだろうか?と考えたことはありませんか?
それでも人は、会社でも学校でも、もっと上を目指しましょう、何かしら目標持ちましょう、と言われるもの。「組織の目標、自分の目標を持ちましょう」と言われたときに、なにか違和感を感じることはないでしょうか?
そんな現代にどこか疑問を感じることはありませんか?
このnoteでは「目標設定」と「足るを知る」という切り口で、アサヒのアーティスト、社会人、現代人としての素晴らしさについて書こうと思います。
※なお、今回のnoteはかなり主観的にアサヒの話を捉えています。同じアサヒを見て、違う捉え方をする方もたくさんいらっしゃると思うので、あくまでも僕の個人的な考えとして、「そういう捉え方している人もいるんだね〜」くらいで読んでいただければ幸いです。
「目標」についての疑問
「私たちの活動の目的ってなんだろう?」「組織としての目標は?」「あなた自身の目標は?」など、目的や目標にまつわる問いかけを仕事や学校でされたこと、誰しもあると思います。
「目的」や「目標」は一般的にこのように言われています。
たとえば、リトグリにとってはこういうことだと思います。
「目標立てよう!組織の目標を自分の目標に分解しよう」って仕事とかで言われるけど、頑張って理解した「組織の目標」、頑張って作った「自分の目標」に疑問をいだくことはないでしょうか?
僕はあります。こんな感じで。
組織の目標に関する疑問
目標は「指標」なので、組織の目標の例としてはたとえば
という感じでしょう。
以下のような記事はよく見かけます。
目標を立てるうえでのポイントとして
などが挙げられています。
たしかに、集団でなにかを進めるときにはこれが大きな力の源になることも大切でしょう。しかし、このポイントを踏まえていないといけないのか、というと、人によっては、ときによっては、そうでないときもあるかもしれません。
僕は、組織にいる全員がこのポイントを踏まえた組織の目標を語っている必要があるかというと、そうでもない人がいてもいいのでは?と思うことがあります。
全員が揃って同じ目標を高らかに宣言していなくてもいいのではないでしょうか。
個人の目標に関する疑問
個人の目標を発表し合うと、目新しいなにかに挑戦している人がが立派に見えがちだと思います。
でも、本当にそうでしょうか?今やっていることを少しずつ良くするのではいけないでしょうか?何か目新しいことをやろう、そういう宣言をしようとやっきになって考えを巡らせている。僕自身はそんなときがあるように思います。
そんな目標設定がどうも納得いかなかったり、考えるのに疲れてしまった僕らに、アサヒは目標設定のあり方、その前提となる現状の受け止め方について「こんな考え方もあるんだ」と示してくれているような気がするのです。
アサヒの目標とは
アサヒがここ数年で「目標」的なものについて独特な考え方を語っているのは、僕が知る限り3つです。順番に見ていきましょう。
組織の目標を聞かれても、即答しないアサヒ
アサヒ節がたっぷり堪能できる、みんなご存知の神動画です。
僕が注目したいのは9:16〜の「"北海道中にアサヒ"の件」のところ
素敵なのは「目標は?」と聞かれて即答していないところです。完全なる僕の個人的な考えですが、ここに「アサヒの素直な考え」と「ファンを抱えるアーティストとしての責任」の葛藤のようなものを感じます。
アサヒの素直な考えとして想像できるのは、「みんなに話せるような、一般的で大きくてわかりやすい目標を実はもっていない」ということだと思います。Ring×3では
と非常に悩んだ挙げ句
と、ちょっと「これは目標か?」とつっこみたくなるような話を展開します。(あとで語りますが、この考え方こそアサヒの素晴らしいところだと思います)
そして、
と語る様子は正直非常にぼんやりとして聞こえます。
一方で、ここでぼんやりと答えたのにはファンを抱えるアーティストとしての責任感も感じます。「なにか答えを述べておかないとファンをがっかりさせてしまう」という配慮というか、そういったアサヒらしい生真面目さが表れているように思います。
実際のところ、”言葉に窮している”というのがこの場面のアサヒなのではないでしょうか。別の言い方をすれば、あえて明確な言葉を使わないようにしている、とも言えるかもしれません。
社長の前でも個人の目標を明確にしないアサヒ
あまりアサヒの登場シーンがない、この動画。そんなアサヒが喋る7:06〜のシーンは、ミキ社長からの問いかけから始まります。
一見、アサヒのボケキャラが炸裂して爆笑、というシーンにも見えますが、僕はそう感じませんでした。このやり取りは非常に興味深いです。
アサヒはミキ社長の言葉を聞いて、「そういうチャレンジもありだなぁ」とは思ったかもしれません。
でも、「じゃあぜひやらせてください!」という気持ちには見えません。
だからといって「〇〇をやりたいです!」とも明言しません。
謙遜をしているようにも見えますが、でもどこか謙遜だけではないように見えます。僕にはこのあやふやな受け答えが、「私は今やれていることに満足しています。今やっていることをやり続けたいです。」というような、そんな雰囲気に聞こえてなりません。
また、注目すべきはミキ社長の問いかけ方です。前の話からの流れを切ってまで、すごく真剣にアサヒに問いかけているように見えます。アサヒには深い”何か”があって、「今」どう思っているのか、表現してほしかったのではないでしょうか。
しかし、アサヒはあやふやな感じでこの場を終わらせました。たしかにアドリブで言葉を発することは苦手なのかもしれないけれど、僕は”あえて”あやふやな形にしたように思いました。
わかりにくい目標を置くアサヒ
僕はこのインタビューを見て、「なるほど」と思いました。
一見わかりやすいようで、わかりにくい「展望」だと思いました。批判ではありません。この点が素晴らしいと思うんです。
「リトグリといえばこの曲」、たしかにアンケート調査を行えばファン以外に対しても意識調査はできるかもしれません。でもここでアサヒが言っている「リトグリといえばこの曲」はそういうものではない、もっとぼんやりとしていて、たくさんの人のぼんやりとした意識を集めたようなものに感じます。アンケート回答などの量に測るようなものではないように感じます。
だから、とてもわかりにくいなと思いました。
それでも素晴らしいアサヒ
ここまで書いた内容だけだと、
・「(組織の)目標は?」に対して即答しない
・「(自分が)やりたいことは?」に対して明確に答えない
・展望を聞かれても少々抽象的
さて、自分がもし職場の上司に同じ質問をされて、同じように受け答えをしたら納得してもらえるでしょうか。もしかしたら、「もっと明確にしよう、測定可能で、いつまでにやるのかわかるように」と言われるかもしれません。
ではアサヒは?
このアサヒの回答に納得しない人はいるでしょうか?目標を明確に示さないからアーティストとしてレベルが低いのか、といえば、それは皆さんのご覧になっている通り、まっっっっったくそんなことはありません。真逆です。
実力派アーティストとして認知されるLittle Glee Monsterの中でエースといえる人気を誇り、その歌唱、パフォーマンス、ビジュアルは高い評価を受け続けています。サイン会で一番最後まで行列ができるのはアサヒ。そんなアサヒのすごさをガオラー歴の浅い僕が語るのはもはや野暮なので、この辺にしておきます・・・と言えるほど、名実ともに素晴らしい方なのは自明です。
明確な目標設定は素晴らしい、むしろそれが普通は”あるべき”もの
このあたりでちゃんと言っておきたいのですが、僕がここで書いていることは、あくまで「こういう考え方もあっていいよね」ということであり、明確な目標を掲げる他メンバーを批判するものでもありません。むしろたぶんその方が一般的にはわかりやすいし、実際目標を追う身としても具体的なアクションに落とし込みやすい。
たとえば、2014年の渋谷duoライブで「青春フォトグラフ」前に涙を見せながら「武道館でリトグリの歌を歌えるように」と組織の目標を明確に話していたmanaka。2017年、それを本当に叶えた初武道館ライブでmanakaが登場するシーンの”あの”なんとも言えない感動で溢れた表情を見ると、リアルタイムで追っていなかった僕でも何回見ても感動します。組織の目標を具体的に設定し、それを成し遂げるということがいかに素晴らしいことか。
アサヒだってときにはしっかりと明確な目標を話すときもあります。
いつもわかりにくければいいという話ではありません。どちらも大切。でもどっちもあっていいよね。ということなのだと思います。
アサヒに見る職業観
こういったVTRやインタビューから、冒頭にも書いたとおり、アサヒには2つの素晴らしい職業感を感じています。
アサヒの職業観①:あえて”わかりにくい”大きな目標を追う
「リトグリといえばこの曲」を作るのはわかりにくい展望だと思います。でも、あえてそうしているのだと思います。
・ファン数
・会場規模とライブ動員数
・受賞歴、ランキング
・タイアップ数、タイアップ先の規模
などなど、測りやすい成果を目標にするのはわかりやすいし追いやすいです。でも「それはときに本質的ではないこともある」ということをアサヒは感じているのではないでしょうか。時代性や状況、市況によって、測りやすい成果の価値は変わったりします。
だからこそ、少々わかりにくくても、測りづらくても、期限を決めていなくても、普遍的だと思える目標を持つ。そうして進んできたのがアサヒではないでしょうか。
「リトグリといえばこの曲」を作る。でも作曲をするのはアサヒではありません。それを「歌手」として取り組むとならば、「今から歌う一曲をいかに完成度高く歌うか、自分が理想とする歌い方に近づけるか、この曲がもつ素晴らしさを表現しきるか。」それを一曲一曲最大限やっていくということに尽きると思います。
その取り組みは感情や雰囲気など具体的に説明できないものもあるかもしれないし、他人がなにかの指標で測定できないかもしれない。もしかしたら一生かかっても達成できないかもしれない。
アサヒ自身はあえてわかりやすい目標を宣言せず、これを愚直に取り組み続けているのではないか、と感じます。
僕が最初にそれを感じたのは、UNLOCKセミファイナル→ファイナルで2日間でのORIGAMIを見たときでした。もちろん2日間とも素晴らしくて大満足だったのですが、落ちサビの「泣かないで、いいんだ」の「だ」の歌い方をファイナルで修正してきた。より落ち着いて聴こえるようになったのを感じて、これには脱帽でした。歌手としてのこだわりを感じました。
ミューズノートのいつかの回で、miyouが「スタッフさんに聞いたけど、アサヒはレコーディングで絶対に2度同じ間違いをしない」的なことを言っていたことがありました。これもその一つでしょう。
圧倒的なプロ意識のもとには、具体的で、測定可能、期限が設定されている目標がなくても改善は続けられる、向上し続けられるのだと思います。
アサヒの職業観②:足るを知る
アサヒは現状の受け止め方がとても素敵です。それは「足るを知る」ということ。
ミキ社長に「歌詞を書いてみたら」と言われたときの反応。ここにはチームリトグリのなかで、自分は「パフォーマー」「歌手」として役割を担っているということへのプロ意識を感じました。作曲家、作詞家、アレンジャー、ステージマネージャー、照明、音響、映像制作など各分野を担当する専門家がいて、そのなかで自分は表に立ってそれらを届ける部分、「パフォーマー」であり「歌手」である。他の領域にあえて手を出さず、自分の領域をひたすらに突き詰めていく。そういうアサヒの職人的なプロフェッショナリズムを感じました。
もちろんmiyouが言うように、新しいことに果敢に挑戦していくのも素晴らしいです。miyou自身の魅力もそこにあると思います。
でもこういう「新しいこと」を期待されていそうなインタビューで、必ずしも新しいことを宣言しなくてもいい。「今あるものを続けていきたい」でもいいのだと、アサヒは教えてくれているような気がします。
つまり、UP TO ME!
こういったアサヒの職業観や目標設定において、大切なことは「自分で自分を評価する」ということだと思います。
良しとするのか、悪いとするのか、それは自分次第。UP TO ME!ということです。
周りから求められて自分の目標を決める必要はない。それにすがる必要はない。自分で自分を評価できる、自分が納得できる目標を持とう。そんな考えなのではないかと思います。
「客観性のある評価の方が説得力がある」というのが一般論です。しかし、SNSをはじめ、なにかをすればウェブ上にさまざまな評価が無責任に飛び交う現代。本当に他人の評価に重きを置くのが常に適切なんでしょうか。ときにそれは自分を見失うことにつながる危険性もあると思います。
さきほど挙げたわかりやすい指標だって、自分以外が決めるものです。
・ファン数
・会場規模とライブ動員数
・受賞歴、ランキング
・タイアップ数、タイアップ先の規模
そういった自分ではない誰かによる外の評価に軸を置かないということ、現代において大切なのだと思います。まったく気にしないというわけではない。ちゃんとそれらも見たうえで、最終的に今自分が目指しているものは何なのか、それに近づけたのか、は自分の中にある軸に従って、自分で判断をする。
アサヒはこれを意識的にやっているような気がするんです。
そういう仮説のもと、このインタビューを読むとアサヒの言っていることがとてもかっこよく思ったので紹介します。
そんなアサヒがUP TO MEの歌いだしを担当しているんですよね。
もはやこれは偶然の一致には思えません。自分からここを歌いたいと言ったのか、メンバーが推薦したのか、アレンジャーの方がアサヒに割り当てたのかはわかりません。でも、ここを歌う人はアサヒが最もふさわしいのではないでしょうか。
表を向くと最高にかわいい、アイドルみたいなアサヒ。
でも僕はその背中に最高の”かっこよさ”を感じます。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
noteでもXでも、コメントいただけたらとっても嬉しいです。
あなたの「アサヒ論」もぜひ聞かせてください。