歴史快道を自転車で往く#12
東海道
12)知立〜安城〜岡崎へ
前回の知立(池鯉鮒)宿までの旅で、今まで知らなかった三河地域までに至る史実に触れることができました。この地域に住んでいるのに、以外に三河地域というのは縁がなく、用事があっても電車で移動してしまうので、なかなか周辺にある遺跡などを見る機会はなかったなあ。
早速、知立(池鯉鮒)宿から国道1号線に出て進んでいくと、それはそれは、見事な松並木の道に遭遇します。これまで中山道や美濃路を旅してきましたが、これほど松並木が残っている場所を見たことがありません。まさに東海道がそのまま現代に甦ったよう。
もちろん、当時の松の木ではありませんが、沿道の住民の方々が苗木を植え、ていねいに手入れをされて、育ててきたのでしょうね。むしろ往来する車を効率的に進めるには、伐採した方がいいのでしょうが、それでも松並木を残して街の景観を大切にしたいということかな。
三河知立駅を越えて少し進んでいくと、これまた立派な一里塚が現れてきました。<来迎寺一里塚>と書かれた石碑があり、こんもりとした緑の塚の上に、松の木が植えられていました。ここから少し進むと、まもなく安城市あたりへ。
安城あたりに到着。実は安城というのは、徳川家の先祖様が治めていた土地だったようで、お寺や道標がいくつも見かけられ、古くから交通の要衝だったことがよく分かります。
この近くに<無量寺>があるようで、その道標と案内板がありました。国道1号線と並行して走る東海道は、今では住宅街になっていましたが、時代を問わずさまざまな石碑や案内板が立っており、いにしえから交通の要衝であり、多くの人々が行き交っていたんでしょう。
その後、名古屋鉄道名古屋本線と並走するように東海道を東へ走ると、そろそろ岡崎城が見えてくる頃です。その手前の、矢作川に架かる矢作橋に<出合之像>があります。
これは近年に造られた石像ですが、木下藤吉郎(豊臣秀吉)と蜂須賀小六正勝が初めて出会った場所だと書かれていましたが・・・どうやら想像上の話をベースに造られたのでしょうね。そりゃ出来過ぎだもんで(三河弁 ^o^)。
さあ、矢作橋を渡れば、そこはもう岡崎宿。
今回は道中に見どころがたくさんあったとので、岡崎宿の紹介は次回ということにさせていただきます。
--- 次回、岡崎宿〜藤川宿へ-----