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家族が揃う二度と来ない時間を

この度、義理の父母の還暦をお祝いして、かみさんら3姉妹がお金を積み立てして家族揃っての韓国ツアーが実現した。総勢11名の大旅行団になり、親戚含めてこれだけの顔触れで一緒に旅行をしたことがない。欲のない父母たちに、子どもたちが全員で行こうということで一致し、みんなが賛同したという流れだ。

それから、なんだかんだとやっているうちに今日を迎えたのだが、それまでのかみさんの奮闘ぶりには関心した。多少、自分の欲望のために企画をもっていくところが感じられるため、私は“我田引水ツアー”と呼ぶことにしている。

しかし、こうしてみんなで集まれることを喜ばずにはいられない。だいたい私たちの親の世代は、つねにもったいないという意識があるから、こうして遊びに行くにも躊躇することが多い。私の母親もようやく最近、友達と出掛ける機会が増えたが、自分の好奇心がかき立てられるような旅をする機会は、だいぶ前に失ってしまったような気がする。

義理の父母も、生活することで頭がいっぱいで、なかなか自分のためにご褒美をあげるなどというような考え方はない。だからこそ、今回の旅行には意味があるのだ。これが国内だったら、非日常性が薄くなってしまっただろう。韓国という外国へ行くことで、日常に戻れない感覚がいいのだ。極力、日本語環境を避けて、韓国のいまを見ることがいい。

なにせ今回のワールドカップでの韓国の活躍は素晴らしかったから、その余韻は十分に感じられるだろう。多少、北朝鮮との銃撃戦など不穏な動きはあったが、平和ぼけしている日本から緊張感ある国へ行くことは、刺激があっていい。それに、どれくらい韓国という国の民度が高くなったかを知る機会にもなるはず。

またそれぞれの家族にも思惑があって、次女は、子どもが生まれてからなかなか遊びに行くこともできなかったから、少し解放されたいと思っていただろうし、三女は日々の仕事の疲れもあるだろうから、リフレッシュして活力をつけてもらいたい。おばさんも、娘や息子を孫のようにかわいがってくれるので、長いこと会ってなかった分、孝行できるだろう。私はといえば、なんとか胃の痛みも治まって体調も整った。少々仕事の進捗が気になるが、割り切っていくしかない。

こういう気持ちになるようになったのも、家族みんながそれなりに幸せに暮らせているからであり、子どもたちが大きくなったら、こういうことはできなくなるだろうと思う。いや、もう二度とやってこないかもしれない。そう思いながら旅に出よう。

今回だけは少し短め。特別バージョンだとして欲しい。では行ってきます。

*****

あれから年月が流れ
孫たちは増えて
義理の父はこの世を去り
そして新たな家族が増えつつある。

人の繋がりは一瞬だ。
その先は多分ない。
そう思うことが刹那的だと人は言うが
その先がなかった時に
「何故」という問いかけが出る。

それが分かっているから
私は人との別れが悲しいとは思わない。
悲しくないわけではないが
また機会があるとは限らないと
つねに自分に言い聞かせている。

でもその時の自分の感じた気持ちは
永遠に消えることはない。

例え相手の記憶から消えたとしても
私の記憶から消えることはない。

私は
そういう人間なのだ。


#あの頃のジブン |54

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