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出しゃばって要らんことをやる
久しぶりに出しゃばった。昨年はずーっとやっていたことのようだが、もう言うのも嫌になって止めていたことを、また今日やってしまった。やってしまった、というと何か失敗をした負のイメージがあるが、そうではない。まさにしてやったりなのだ。
カンタンにいえば、どんな立場にいる人が肯定することでも、自分が正しいと思えば意見をいう、ただそれだけ。アパレル会社の社長がある製造メーカーの制服のようなジャンバーを売るときに「機能性で売るんだ。ファッション性ではない!」と主張。私は即座に、機能性だけならこのジャンバーは誰も買いません、と一蹴してしまったのだ。あきらかだ。これよりも安くて、機能性に優れ、デザインもいいものが世の中にごまんとある。着ることがあえて強制ではないのなら、少なくとも競争に勝てない。
ではどうするか、といえば、会社への帰属意識、アイデンティティへの共感しかないでしょう、と。そんなものはどんどん崩壊しているらしいが、そんな一般論を解説者のように話していてもしかたがない。共感させることができなければ、そんな組織は崩壊します、と半ば脅したら、君、うちに来ないか、と誘われた。
こういう場合、もう一つ特徴がある。現場主義だ。その社長は、そのクライアントと20年来の付き合いで、しかも作業現場も見てきたことを自負された。“現場”を見ていない人に何がわかるものかと。確かにその方々の業務の仕方やご苦労はわからない。もしかするとジャンバーが単純に機能性だけで選ばれている可能性もあるだろう。
では、なぜ広告屋が必要なのか。要するに現場の人が機能性である事実だけが正解ならば、それをそのままチラシにして表現すればいいだけの話しで、プランナーなど無用。違うのだ。私が言いたかったのは、ジャンバーを選ぶ意識を変えること、そして変えることを利用して、組織をもう一度見直そう、誇りをもとうと訴えることなのだ。
どうせ売れない。売れる訳ない。だったら、せっかく社員が目にするちらしにオリジナル・ジャンバーという象徴に、意識を向けさせることが大切なのではないか、そしてそれを意識して買った人は、いままで買った人とは明らかに意識が違うはずだ。そう、このジャンバーには明確に会社の意志が表れているから。
こういう要らんことをやるのが広告屋ではないか。要らんことがもしかすると大きな変化をもたらす、という意識でみんな仕事をしているはずだ。浮かんでは消える広告という瞬間蜃気楼を生産することを宿命づけられたこの業界は、自分で自分の生きていく道を見つけ、そして誇りをもっていなければ、まぼろしになってしまう。
だからどんなデータや事実を突きつけられても、参考にはするが鵜呑みには絶対しない、という意識がある。そもそもいまの社会システムは疲弊していて、崩壊寸前なのだから。このシステムに沿って生きていたら、あっという間に消え去ってしまう。
そのシステムを牛耳ってきた人たちには信じられないことかもしれないが、人間の考え方もやがて終焉を迎えることになる。わたしたちとて同様で、自ずと限界があるだろう。そんなとき悪あがきしなように、心構えだけは怠りないようにしたい。
そのためにはいま、出しゃばって前に出ていく必要はあるだろう。少なくとも若い優秀な人間たちに早くその場を仕切ってもらえるようにステージを用意しなければならない。私たちはプロデューサーとしての役割を求められるようになるのだ。少しずつだが動きだした様子をこれからも克明に書き記し、自分の心の変化も客観的に見ていきたい。
何となく楽しみになってきた。
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つい最近まで
デザインシンキングという考え方が
もてはやされていた。
経営にデザインの力をなんて
まさにここに書いてあることのような
気がする。
それを説明するのはストーリーではなく
ナラティブと言うそうだ。
その違いは物語に終わりがあるのが
ストーリーで
そのストーリーが継続していくのが
ナラティブだそう。
区切りのないことは昭和世代は苦痛だ。
一度明確な締めがあってそこから
新たにスタートする。
周年行事が好きなのはそう言うことらしい。
確かに区切りがあるとリセットできる
メリットはあるが
それまでやってきたことが区切られてしまい
新たなアプローチを検討しなければならないし
区切ることで何か新しくなった気にさせる。
そういう
発信する側の論理が通用しなくなったらしい。
むしろ持続的な物語が作れない企業は
退場せざるを得なくなってしまうようだ。
継ぎ足される秘伝のタレのイメージかな。
変わらないようで変わっていく
つまり目先の変化ではなく
自分自身の変化なのだ。
私が社長に向かって発言していたことは
やがて20数年の時を超えて
新たな経営者たちに発することになる。
上にも下にも唾を吐く嫌なやつ。
そうなれたことを誇らしく嬉しく思う。
#あの頃のジブン |64