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歴史快道を自転車で往く#13 東海道_ 岡崎宿〜藤川宿篇
交通量が多い橋を抜けて市内に入ると、岡崎城下が27もの曲がり角があることを示す標識に出会いました。確かに、宿場などでは敵の攻撃に備えて、宿場の道をまっすぐにしないで、カーブさせたり、クランク状にするなどの工夫がされていましたが、27の曲がり角は流石にやりすぎだろうと思いました。
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途中に、街道や宿場内での諸注意が書かれた<作法触れ>なる石碑がありました。徳川家康の生まれ育った岡崎城下ですから、来客者への対応作法にも厳しかったことでしょう。まあ、日本はあれはするな、これもするな、とうるさいお国柄ですからね(笑)
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作法触れ
勅使、朝鮮通信使、大名行列等がやってくると宿場全体に町奉行から出迎えのための通達が出た。「作法触れ」とは街道や宿場内での諸注意で、道路に盛り砂を行うこと、手桶・箒を出しておくこと、決められた場所に提灯を出すこと、ほら貝、弾、大坂、拍子木など鳴らさないこと、街道では通行の前日から田畑などで下肥を施したり、ごみ焼をしないこと、通行に際し土下座をすることなど細かい点まで指示された。また、応接接待の作法についての「御馳走触れ」も出され、出迎え支度はたいへんなものであった。
岡崎公園を過ぎて、街の中心部へ。
ここはJR岡崎駅よりも名鉄東岡崎駅を中心とした街並みが広がっており、NHK大河ドラマの影響もあってか、駅周辺は再開発が進んでいました。そういえば、有名なご当地YouTuberである<東海オンエア>のホールも近くにありました。
観たことないから、知らんけど🥹
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街の中心部を抜けると、急に松並木の東海道が顔を見せました。
知立ほどではありませんが、綺麗に整備されており、時折、市民の方が散歩がてら歩いているのを見かけることができました。
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さて、これから岡崎宿を抜けて藤川宿へ向かおうと橋を渡っていると、なんと一頭の馬が河原で草を食べているのを見かけました。これは“放牧”なのでしょうか。こんな都会のど真ん中に野生の馬がいる訳ないと思うのですが・・・ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。
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そして次回は、あの有名なバイク専門店「レッドバロン」の本社がある藤川宿へ向かいます。
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藤川宿の案内板を横目に、立派な松並木が続く舗装された一本道をひたすら進んでいきます。ここは知立宿から安城に向かう途中に見た松並木よりも“街道感”があり、両側から迫ってくるような迫力のある大きな松の木が、歴史を感じさせてくれました。
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ちょうど、進行方向に向かって右手に「レッドバロン」の本社があるということで、私もこの後、小型自動二輪AT免許取得後、近くのレッドバロンでバイク購入したのですが、店長さんをはじめ、とての親切で丁寧な対応をしていただきました。これからも末長くお付き合いくださいますようお願いします。
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ここで不思議な道標を発見!案内板はかなり黒ずんで文字が読みにくかったが、「吉良道」と何とか読むことができた。調べたところ、藤川宿の西端で南西の方向に道が分かれており、ここで岡崎方面と西尾・吉良方面に分かれる分岐点になっていたらしい。
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正:西尾、平坂、土呂、吉良道
左:東都小石川住
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こうやって、ゆっくりと自転車で走ってみると、ここにも歴史的な遺跡が多く遺されていて、古くから栄えてた街道筋であることがよくわかります。
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東棒鼻跡
宿場の出入口を棒鼻(棒端
とも書く)といわれ、地元に
保存されている街道往還図に
は宿国石垣とある。
広重の藤川宿棒鼻の版画
は幕府が毎年八朔、朝廷へ
馬を献上する一行がここ東
棒鼻に入ってくるところを
描いたものである。
さて、ここからは、バイパスのような道がぐっと開けた道が続いていきます。視界には田園風景が広がり、進行方向左手には、名鉄名古屋本線が並走して走るようになります。
--- 次回、赤坂宿〜御油宿へ-----
#歴史快道を自転車で往く