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歴史快道を自転車で往く#16 東海道_白須賀宿〜新居宿〜浜松宿篇

二川宿を超えると、そこからは静岡県。これから白須賀宿へ向かいます。道案内が旧宿場名で書いてあるなんて、なかなか洒落てますよね。

静岡県は2歳から9歳までの8年間住んだ街です。正確にいうと、父親と過ごした年月ということになります。それ以来、たまに仕事の関係で行くことはあっても、幼馴染と会うことさえなくなり、私としては少し距離のある故郷のような存在になっています。

私たち家族が住んでいたのは沼津市ですが、父親の実家は浜松市にあり、今回は何とか沼津までたどり着けるといいなあ、と思いながら計画を立てていました。

白須賀宿に向かう道筋

潮見坂上】は、かつて織田信長が武田勝頼を滅ぼして尾張に帰るとき、徳川家康が茶亭を新築して信長をもてなしたところであったり、明治天皇が江戸へ行幸する途中に休まれた場所としても有名。眺めがいいということも聞いていたので、とても楽しみにしていたのですが、とにかく急な坂道が続いており、懸命にペダルを漕いでも、なかなか自転車は進んでくれません。

GoogleMap/潮見坂

ようやくたどり着いたその先からは、とにかく大きく広がる海が見えてきました。

潮見坂公園 石碑

見晴らしの良い景色が広がっていて、流石に旧な坂道を登ってきた甲斐がありました。

静岡県というと、東西に長く、そして平坦な地域だと思い込んでいましたが、いやいやとんでもないことが、この先に待ち構えているとも知らずに、のんびりと広がる海原を眺めていました。

潮見坂上からの眺め

白須賀宿には本陣と脇本陣が1軒ずつあり、本陣は建坪が200坪近くある大きな建物だったそうです。

公園のすぐそばには小学校があり、当日は父兄参観日だったのか、しきりに坂の上を目指して車が登り、敷地内に入っていく様子が見られました。

今度は登ってきた坂とは反対側に降りることになりましたが、とにかく急な坂道になっていてブレーキを力一杯握りしめないと、ものすごいスピードが出てしまうので気が抜けません。やっとの思いで下まで降りてくると、そこには静かな海辺の街の風景とまっすぐに伸びる道路だけがそこにありました。

海沿いの道をそのまま進んでいくと、道の両端に松並木が見られるようになりました。ああ、これは旧東海道の名残だろうな、と思い、そのまま自転車を進めていきます。とにかく静岡県はまっすぐな道が多く、風景があまり変わらないので、少し飽きてきてしまいそうになります。

果てしなく続く松並木

舞坂宿を通り過ぎて、松並木を横目に見ながら東へ東へと自転車を進めていくと、地域住民の方々が手入れしている植栽の近くに、古い一里塚の石標を見つけました。なんとなく古いものと新しいものが調和していて、思わず写真を撮りたくなってしまいました。

湖西市の端まで来ると、そろそろ見ることができるのが【新居関所】。浜名湖の今切口にあった新居の関所は、箱根と並んで東海道の最大の要所でした。 1600年に徳川家康によって設置されてから約100年間、幕府直轄の関所として厳重な警備体制が敷かれていました。

いやあ、当時の姿を再現したその様子は、まるで現在も同じような役割を果たしているかのように、存在感がありました。当時の人たちは、この勇壮で厳格な建物を見て、緊張したことでしょうね。当時は敷地内ギリギリまで浜名湖だったらしく、当時の面影を残しています。

当時の建物を再現した<新居関所>

新居関を越えれば、浜名湖はもう間も無く見えてきます。
私の父親は浜北市、現在の浜松市浜北区(浜名区?)の生まれで、小さい頃は何度か訪れたことがあるのですが、最近は親戚とも交流がなく、しばらくご無沙汰でしたので行くのが本当に楽しみでした。

こんな馬鹿なことを思い付かなければ、こうやって浜名湖を見ることもなかったでしょうから、何かに突き動かされるように行動してみるのも悪いことばかりではないでしょう。

浜名湖の下のシールが張り替えられる前は、なんて書いてあったのでしょう?
新幹線も、在来線も、そして高速道路も、みんな浜名湖を越えていく交通の要衝です。

四方を水辺に囲まれた道を自転車で走るのは初めての体験。浜名湖を越えると、すぐに立派な松並木の道が現れてきます。もちろん、主要道路の横を走る旧道として、市民の日常生活を支えています。湖とのコントラストも美しく、これまで見てきた松並木よりも重厚な感じがして、より一層、歴史的な雰囲気を漂わせていました。

麦飯長者跡

小野田さんの子孫たちは、このような案内板が設置されて、さぞかし誇らしげなのだろうか?それとも、学校で「長者様」と囃し立てられて、嫌な思いをしているのだろうか。

北と南に相対するように二つのお堂が建っていたが、時は鎌倉時代前の出来事らしい。

二つ御堂
 奥州平泉の藤原秀衡公と、その愛妾によって、天治年間(1125年ごろ)創建されたと伝えられている。
 京に出向いている秀衡公が大病であることを聞いた愛妾は京へ上る途中、ここで飛脚より秀衡公死去の知らせ(誤報)を聞き、その菩提をとむらうために、北のお堂(阿弥陀如来)を建てたという。
 一方、京の秀衡公は、病気が回復し、帰国の途中ここでその話を聞き、愛妾への感謝の気持をこめて、南のお堂(薬師如来)を建てたという。
 現在の北堂は、昭和三十年改築、阿弥陀如来・地蔵菩薩・毘沙門天が、南堂は、昭和十二年新築、薬師如来・不動明王・大日如来が祭られている。
 毎年十一月十四日、供養が行われている。

少し進むと浜名湖の美しく広がる景色から一変、静岡市と並ぶ静岡県の大都市・浜松市の駅前に到着。駅前から広がるビル群は高く聳え立ち、地域の中心地として栄えていました。

浜松市街

さあ、次回は待ちに待った浜松城です。
JR浜松駅から自転車で約11分の距離にあり、市内を抜けていけばすぐにいくことができます。

GoogleMap/浜松市街

帰り際に浜松駅では、どこかのオーケストラが演奏会をしていて、多くの市民の人たちが足を止めて演奏に聞き入っていました。そうです。浜松はヤマハや河合楽器があって、音楽に親しむことのできる街なんですね。

いやあ、演奏はなかなか迫力があって、ついつい聞き惚れてしまいました。また来ますから、その時も演奏会があったら嬉しいなあと思いながら、家路につきました。

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ここでちょっとだけ紹介を。
もうご存知だと思いますが、すべての工程を自転車と電車で移動していますが、私が拠点としている鉄道の駅があります。それがJRおよび名鉄豊橋駅です。

JRと名鉄が併記されている珍しい駅表示

今回も浜松駅からJR東海道線で豊橋まで戻り、そこから名鉄に乗って自宅まで帰りました。次回は自宅から豊橋駅まで来て、ここから浜松駅まで戻って、また自転車旅を続けていきます。また、ここからは飯田線も出でいますので、長野に行くにも拠点になります。

#歴史快道を自転車で往く


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