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歴史快道を自転車で往く#14

東海道
14)赤坂宿〜御油宿篇

さあ、ここからいよいよ赤坂宿へと向かいます。

赤坂宿 案内板(舞木町)

近くにある<山中八幡神宮記>の一節に、「文武天皇(六九七~七〇七)の頃、雲の中より神樹の一片が、神霊をのせて舞い降りる」と書いてあるところから、「木が舞い降りる」を取って「舞木」と名付けられた舞木町の案内板を超えて東に走ります。

▶︎藤川〜本宿/GoogleMapより

赤坂宿へ向かう途中に、立派な案内板があったので、思わず自転車を停めて読んでみたところ、この<本宿村>というのは、藤川宿と赤坂宿の間にあって、なかなか栄えていた村らしい。

享和二年(一八〇二)の本宿村方明細書上帳によれば、家数百二十一軒、 村内往還道十九丁余、立場茶屋二か所(法蔵寺前、長沢村境四ツ谷)があり、 旅人の休息の場として繁盛をきわめた。  東海道中膝栗毛に「ここは麻のあみ袋、早縄などあきなふれば北八、みほとけの誓いとみえて宝蔵寺、なみあみ袋はここの名物」とある。本宿は古くから麻縄(召縄)の産地として知られ、農家の副業として麻細工が盛んであった。また、家康公が食したといわれる当地独特の法蔵寺団子があり、その他、草鞋、ひさごなどが土地の名物として売られ、街道筋の評判となった。

宝蔵寺

今は、田畑が広がるのどかな赤坂宿跡ですが、大小さまざまなお寺があり、代官所や大きな旅籠、脇本陣などが並び、これほどのスケールだとは思ってもみませんでした。東海道も東になればなるほど、自分たちの生活圏とは離れてしまって、こういうことを知ることができただけでも良かったかな。

赤坂宿 案内板

今回、特に期待していたのが、有名な<御油ノ松並木>です。藤川宿から本当に松並木が立派で、地域の方々が懸命に育ててきたことと、この車社会の道路に、どちらかといえば邪魔になる木々を大切にされてきたことに、本当に感謝です。

間近でみることができて、このスケールの大きさを感じることができるなんて。

御油ノ松並木①
御油ノ松並木②

さあ、周囲の看板にも豊橋という名称が出てくるようになり、そろそろ次の宿場町が近くなったということのようです。

--- 次回、赤坂宿〜御油宿へ-----

#歴史快道を自転車で往く


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