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やってやろうじゃないの!

今年は私にとって60年に一度の年であるらしい。さて、その37歳の誕生日も過ぎて、いよいよそのステージを迎える予感が高まっている。それは最近、少々疎遠になっていた人間とのある意味、劇的な再会が続いているからだ。先週の旧友との5年ぶりくらいの再会、昨日の“裏エク”会、来週末の家族合同韓国ツアー、そして前職同期会と、なんかその気があってもなかなか集まれない面々と、この2,3ヶ月で一気に顔を合わせることになる。それはそれでうれしい限りなのだが、なぜこの時期に全員集合なのかわからない。

ここまで続くと、本当に人生の区切りになって、また新たな生活がスタートするような予感さえ感じる。すべてリセットすると宣言した日からはや3ヶ月。自分のペースを掴みかけている状況であり、決して安定しているわけではないが、それでも一日一日、少しずつでも進歩していると実感できる。さすがに以前のような猛烈さには欠けるかも知れないが、落ち着いて仕事をこなしている。

そして特筆すべきことは、書くことを生業とするための動きができているということだ。予備校の小論文添削者応募もそのひとつ。どんな方法を使っても、文章を書くことにこだわってそこにかかわっていくことで、新しい自分の姿を見つけることができるような気がする。道はそんなに簡単なものではないだろうが、きっかけがあることがうれしい。そんなことを素直に感じている。

こうして旧知の人間と出会うと、いままでの自分を振り返りつつ、新たな生活を宣言し、そして有言実行のための勇気が出てくると思う。彼らは自分の今を映し出す鏡だ。何もかもが白日のもとにさらされ、そして偽ることなく自分と対峙できることもあるだろう。こういう人生のリターンも悪くない。

知らないあいだにハーフウェイを過ぎてしまう人が大半のなか、自分の人生の折り返し地点を仲間たちと過ごすことができる幸せ。これが占い師のいった60年に一度の年の出来事になるのかもしれない。焦る気持ちを押さえつつ、年を重ねた分だけゆっくりと、しかも確実に、充実した気持ちで上をめざしていきたい。どれだけできるかではなく、もうそろそろこれだけやろうと考えてもいいでしょう。不遜ではなく、自分へのご褒美として多少は自信ある言葉で励ましたい気持ちになる。

たぶん、今年を境にして、これからまた別れも多くなっていくことだろう。名古屋にいるのか、アメリカに渡るのか、はたまた違う道があるのか。人生はつねにドラマチックに展開するのが私の特徴になってしまった気がする。また何かやらかしたか、との声も聞こえないわけではない。しかしもう気にならなくなった。たいてい守りに入ったときにろくなことが起こっていない。どうなるんだろうともがいているときのほうが、結構、充実している気がする。

でも40代っていうのはまた感覚が違うんだろうな。何かいままでストレートだけで押してきたピッチャーが、変化球を織り交ぜながら打たせて取る投球術を身に付けて復活!なんてこともある。でもたぶん、私の場合はスピードがなくなってもストレートで押し続けて、揚げ句の果ては…なんてことにもなりかねない。はてさて変化球を覚えるべきかどうか、これもまた悩みの種になりそうな気がする。

夢を抱き、現実の波に飲み込まれ、そしてついに自分のステージを築き上げることができるかの大事な3年間。その初っぱなの年に友人たちと酌み交わす酒。ああ、覚悟酒!不思議とそんなことが頭を過り、彼らの頬に刻まれた皺を見つめながら、やってやろうじゃないのと奮い立つのであった。

*****

この度
定年前に退職を決意した。

決して
会社に不満があったわけではない。
むしろ大切な仲間たちと離れることに
心が揺れた🫨

しかし
どう考えてもこれからの組織は
私が主役になるべきではないという
思いが拭いきれなかった。

プロ野球選手が戦力外通告を受ける
テレビ番組を見るたびに
ハイレベルで闘う人たちは大変だと
思っていたが
他人事ではなかったということだ。

早く気がつけて良かった。
区切りをつけることができて
本当に良かった。

心からそう思う。

それは本文にあるように
年齢ごとに
出来事があるごとに
ジブンの生き方を変えてきたから。

どんな未来があったとしても
後悔なんかするもんか。

それが私の人生なのだから。

#あの頃のジブン |47

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