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何かに飢えている目をした彼女の運命

運が良いとか悪いとか、あまり考えたことがないが、もしかしたら、と思わないわけではない。時間軸と場所軸を都合の良いように合わせることぐらい無意味なことはない。しかし偶然というのは不思議なもので、あれから1年以上お会いしていない人とばったり会う。しかもお互いに“もしかしたら”と思って、振り返る。これは不思議だ。というわけで、私が所属していた会社の社長秘書をしていたAさんに会った。会ったときには名前すら出てこなかったぐらい私の記憶の隅っこにしかいなかった存在だ。

彼女と出会ったのは、確か2年前の春ごろだっただろうか。当時の私は企画だけでなく、秘書みたいなこともやっていたので、とにかく多忙だった。まるでマルチタレントのように走り回っていた。いま考えればどうってことないこと、つまり作業としてよりも何の意味においてそれをおこなっていたかは定かではない、というぐらいのことであった。そんなとき紹介された優秀な秘書だったのが彼女だ。前職が有名レストランの社長秘書だったという鳴り物入りだっただけに、ある種の恐怖感さえ覚えた。そして彼女の鋭さはすぐに、かつ的確に獲物を捕らえた。社長である。彼女のなかのトップの行動パターンや組織体系みたいなもの、そしてそのコマである社員の動向が、どう考えても納得いかなくなっているのが、手に取るようにわかる。必死に取り繕う社長を前にして、いきなりの退職。結果がはっきりしているだけに、この潔さは印象深い。

きっと何かに飢えていた目だった。自分の才能を活かしきれていないジレンマがあったのだろう。何かにいらつき、そして組織がばらばらになっていくのを予感したかのように、彼女は去った。まさに風のようにやって来て、風のように去ったのだ。当時の私は、ただ前を見て走り続けることしか頭になかったし、盲目的に信じ込んでいた。それは一種の宗教に近いものだったかもしれない。狂信的ではなく、自分としては冷静だったと思うが、それでも制御できないところもあったろう。辞めた人のことをいろいろと聞かされたので、そういう感覚もマヒしていったのかもしれない。すべては思うがままに。

しかし彼女が言った言葉で印象に残っているものがある。それは「数字に強くなってみようと思わない?」あまりにも直接的ではないか。あの会社のなかで数字の得意な人なんか皆無だった。だれもが人任せだったから、プロジェクトの事業計画すら子どものお遊びみたいなものを私が必死で作っていたのだ。当然、彼女からお叱りの言葉が出る。それでも作った数字を根気よく作り直してくれていたな、と今さらながら感謝している。あのころ、すでに会社ごっこになっていたことを、彼女は私に宣告してくれていたわけだ。しかしそんなことをちゃんと聞ける余裕などどこにもなかった。ただ、信じて企画書を書きまくっていた。見果てぬ夢のために。ネバエンディングストーリー。

しかし今日の彼女はどこかアクが抜けたかのようだった。多少、老けたのかもしれないが、あの頃の鋭さは影を潜めていた。某有名ブランドショップにいる、とのことだったから、それを覆い隠すことが必要になったのかもしれない。とにかく落ち着いた感じになっているのが印象的だった。その会話のひとつひとつが月日を感じさせ、人間の欲望と愚かさを描き出すかのように、ひとつひとつ自分の心の中に澱のようなものを積もらせていくのがわかる。私も愚かだった。愚かさゆえに、盲目的だっただけに走ることができた。そして多くの人を傷つけてしまった。後悔しても仕方がないが、自分の考え方を突き通すべきだったとあらためて思う。人間だからしょうがないというのは簡単。でも同じミスを繰り返さないことも人間の成長といえるのだ。彼女との偶然の再会が、私に、1人でここにいる現実を教えてくれたような気がする。

なんとなく晴れ晴れとした気持ちだ。

*****

通常のルートから外れた人というと
何か世間に唾を吐いて生きている人という
イメージがあるかもしれないが
大学を卒業して社会人になり会社に就職し
定年まで無事に勤める
そういう人以外の人を私はイメージする。

今では当たり前なのかもしれないが
転職を繰り返したり独立したりすることに
まだ抵抗感があった時代に
そういう人たちがひしめいている
場所があった。

90年代のバブル経済期
00年代のITバブル期


どちらにも一発当ててやろうと
組織を飛び出して
大学や就職で失敗した人たちが
挑んでは消え浮かんでは消えを繰り返し
失われた20年の中に埋もれていった。

私はどちらの時期も経験した人間として
その山っ気というものが経済を動かすことを
目の当たりにした。

ロジックのないゲームだ。
そんなこと学校で教えてもらったことはない。


そんな大海を泳ぎ続けなければいけない
人たちが当時はたくさんいたことは確かだ。
まともに働こうにも
まともな受け入れ口がない。
今の社会と何も変わらない状況だった。

だが彼らはへこたれなかった。
あのエネルギーはどこから来るのだろうか。
特に女性は想像を超えるほど抑圧の中で
賢い人ほど生き抜く知恵と経験と美を
身につけていたような気がする。

彼女も疲れていたのだろう。
本当は誰かに助けて欲しかったに違いない。

でも自分で生きていくしかなかった。
私も同じだった。

#あの頃のジブン |65

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