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私は猛烈に嫉妬している

もう限界。
どこかにそういう感じがなかったと言えばうそになる。

韓国とスペインのワールドカップ準決勝の試合前に、そう思っていた。それはアジア人がアジア人の限界を自ら悟り、期待感とは裏腹の現実を踏まえた“感触”だったに違いない。ポルトガルやイタリアを破った事実よりも、やはりブランドに意識が傾いた。

日本代表がああいう形で敗退し、どこか冷めていたことも否定できない。結果は0対0だったが、スペインが4人目でPKを外し、ついにアジア初のベスト4に韓国が名乗りをあげた。韓国国民の喜びの声がここにまで届いてきそうな勢いだ。

そう、もうお分かりのように、私は猛烈に嫉妬している。サッカーそのものではなく、自分の試合前の予測やそれに伴う自分の感情が、必ずしも客観的でないうえに、あまりにも幼稚な判断があったからだ。そして、日本代表に見せてもらえなかった本当のタフさを韓国代表にまざまざと見せつけられたこともあるだろう。

日本が敗退したとき、かみさんは韓国の気力の勝利だといった。私は即座にそれを否定した。日本には技術が足りなかっただけだと。そして韓国にはサッカーの歴史と技術力があった、ただそれだけだと。しかしそれは間違っていた。今日の試合を観て確信したが、韓国には戦うための意識がしっかりと備わっていたのだ。相手を惑わし、そして自分たちのペースを崩されない強固なタフさがあった。それが悔しい。

なぜ日本にはそれがなかったのか。
ワールドカップに入るまでは、とにかく日本代表の情報しか入らず、終始、日本選手の戦力分析や先発メンバーの置き方にしか興味がなくなっていた。しかし実際に始まってみれば、各国のチームの戦略や特色、選手それぞれの経歴など、たぶん日本人は何も知らされないままにテレビに熱中していたはずだ。勝てる。相手のことも知らないのに、みんなが彼らなら勝てると信じていた。なんてことだ。またもやマスコミの情報に躍らされて、置いてきぼりを食った感じだ。

なぜもっと自分たちの手で、足で、目で情報を集め、そしてその現実を判断できなかったのだろう。毎晩のようにテレビに夢中になって日本代表の動向を追った、そして信じた自分が少々情けない。

誤解のないようにしたいが、日本代表が実力がないと言っているわけではない。世界各国の代表チームをもっと知るべきだったし、韓国のあのアグレッシブさにくらべてなぜ日本代表にはそれが感じられなかったのか、を事前に推し量れなかった自分の意識に無念さが残るのだ。もっと泥まみれになってやっていく姿を追うべきだったし、ガッツあるプレーとは反対の圧倒的な力の差、それはタフさという精神的なものかもしれないが、それがなぜ育っていなかったのかがわかっていれば、もう少し冷静に日本代表の試合を観られたと思うと悔しくて、ただ悔しくて…。

どこの国のサポーターも、自国のチームや選手を冷静に分析することはありえないが、思い込みが激しいとその反動も大きくなって思わぬミステイクをすることがある。そんなに気合い入れなくても楽しめばいいのだから、という人もいると思うが、やはり勝負だから勝ったほうがうれしいに決まっている。だから勝つためには何が必要か、をしっかり選手にも求めよう。それがサポーターという人たちの役割だと思う。ただがなり声をあげて応援したり、川や噴水に飛び込むだけならば、それはサポートにもならないただのお祭り参加者に過ぎない。

韓国は、まず選手自らがしっかりと自分たちの役割を意識し、冷静に、かつアグレッシブに大会に備えてきたことだろう。うねりをあげるサポーターたちにお祭り騒ぎの様相はない。国の威信と名誉、そしてそこで最大限の活躍を見せる選手に心からの応援をしているように見える、ああ、うらやましい。ベスト4だけでなく、ワールドカップでこんなに心底盛り上がれてうらやましい。4年後には日本は選手もサポーターも、そして国民もみんなが成長して望みたいと思う。

*****

勝ち負けをつけるということは
相手との実力差以上に
駆け引きが必要だということは
言うまでもない。


37歳の私が
20年の歳月をかけて身につけたものは
まさにさまざまな“駆け引き”だった。

会社などの仕事に限らず
家族や友人
小さなコミュニティまで
あらゆる場面で駆け引きは行われたし
必要に迫られた。


今ではそれが科学的になって
データ収集や分析によって傾向を示し
確率の高い方へと誘ってくれるようになった。

私が新卒で入った映画会社では
映画の中で実際には
使われていなかったシーンを
ポスターや予告編で使い
別の物語を作り上げることで
お客さんを呼び込んでいた。

今ならSNSで大批判を浴びそうな気がするが
当時はお客さんの方も騙されたなあと
映画館の出口でつぶやく程度であった。

本当でないものを本当だと言うのはいけないが
そういうことが想像できるよねという
顧客との駆け引きはもうダメなんだろうか。

すべて見通せる社会って
何となく居心地が良くないような気がする。

たまに当たり
たまに外れる。

こういう関係性ってゆるくていいじゃない!

私はこれを機会に
データ分析に基づくマーケティング理論を学び
世の中の“先っぽ”を知っている的な
仕事をすることになるのだけれどね。

#あの頃のジブン |45

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